つぶす時間

 近ごろ、つぶす時間というのがあまりないように感じる。そういうと予定のぎっしり詰まった生活を送っているように聞こえるかもしれないけれど、そうでもない。予定がないからスケジュール帳を持つ必要もなくて、自分では買わないでいたのだけれど、たまたまどこかでもらったのがあって、一応使っているが中は真っ白である。予定はないのだけれど、家にいるときには漫然とやることがあって、暇でありながら、あまり時間もない。
 もっとも、「つぶす時間」という概念の見方の違いもあるかもしれない。空いた時間があると常からやりたいと思っていることをそこでやるから、自分ではあまり「つぶす」という意識がないのだけれど、人によっては、それが「時間をつぶす」ことだというかも知れない。
 外出するときには鞄の中にスケッチブックと文庫本を入れているから、待ち時間などが生じると、たいてい絵を描くか本を読むかしている。車が赤信号で止まったときなど、バス停や横断歩道で待っている人をスケッチする。信号が赤のあいだというのはたいして長くはないけれど、モデルはさっさと描かないとすぐにうろうろしてしまうから、赤信号の時間くらいに仕上げるのがちょうどいい目安である。
 今はあまり自由になる時間がないから、そういう細かい空き時間も利用しているけれど、いざ自分の時間を好きなだけ与えられたら、目いっぱい有効に使えるという自信はない。本来が怠け者の性分だから、時間があればあるほど後回しにしてしまう。自分にとっては少々時間が足りないくらいがいいのだと思う。
(トラックバック練習板:テーマ「時間のつぶし方は」)


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春近し

 桃の節句が過ぎ、啓蟄も過ぎたが、まだ道行く人は厚いコートを羽織っている。昨日は雪が降った。ちっとも気温が上らないから、実家の庭の水仙の花はいつまでもきれいに咲いたままで、先日、幾らか分けてもらった。いい匂いがするので部屋に飾ろうと思ったら、みゆちゃんがくんくんやって来て葉をかじろうとするので、仕方がないのでまたトイレに置くことにした。猫草と間違えたのだろうけれど、水仙には毒がある。
 今年の冬は長いらしいが、週間天気予報を見ると、当たるかどうかは知らないけれど、来週にはようやく暖かくなるらしい。毎年夏が終わって秋風が吹きはじめると、寒くなるのは嫌だなと決まって思うのだけれど、いざ冬になってみると、寒いのにからだが慣れてしまって、あまり気にすることなく日を過ごしているうちに、春になる。早く冬が終わるのはいいが、そうやって季節がどんどん巡っていくのだと考えた途端、急に恐ろしいような気もする。
 昨日降った雪もなごり雪で、真冬に降る雪とは様子が違う。空が明るいせいか、冬の暗さがなくて、どこか春めいている。春になるのはうれしいけれど、暖かくなって野山にも食べるものが豊富になったら、もうメジロは庭に来てくれないのではないかと思う。冬のあいだ毎日顔をあわせていただけに、あの可愛い姿が見えなくなるのはさびしい。
 先の水仙だけれど、みゆちゃんが花を食べることはないだろうから、葉を除いて花だけ挿せばいいと気づいた。部屋も玄関も、今この机の上も、水仙の冬から春へ漂う甘い香りがしている。


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