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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(4」

2020-06-05 18:49:23 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(4」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/118(2020/5/23/土】昨日から朝、駅へ向かう人の数がかなり増えてきた。来週の月曜(25日)からは中禍以前の半分ほどには戻るかもしれないが、なんだか出口が見えてきたようでホッとする。

ヤマは越えたか? 大きな再発があるか? ヤマあり谷ありのズルズルか? 一口千円、握る? 英国ブックメーカーは賭ける対象のスポーツが軒並み中止で困っているそうだ。先が見えないというのはメガネが曇ったみたいで嫌なものである。

現役の人には長すぎたバケーションかも知れないが、入院したり刑務所に入ったわけではない、心的外傷後ストレス障害で悩むこともないだろうから、そのうちに「いや、実は・・・」と飲み屋での笑い話になるかも知れないし、そうなって欲しいものだ。

一口に「人間」と言うが、以下のような分類もできそうだ。

理性、理知、理論、理解、理念の人。

感性、感情、感覚、感動の人。

利己・利口・利発・利害・利便・利用の人。

「理・感・利」の要素が天の配剤や環境、意志によって混じり合って「その人」を創っているような気がする。

その塩梅で、福翁の言うように「重い仕事」に就く人もいれば「軽い仕事」に就く人もいて、それでもどんな仕事でも社会にとっては必要な仕事である。

ただ仕事の軽重、需要供給の塩梅によって報酬は千差万別で、もしあなたが「重い仕事」に就きたい、社会に大きく貢献したいのなら学問をしなさい、と。

福翁の「学問のすゝめ」は明治のベストセラーで、かつロングセラーであり、二冠王をとる書物はとても少ない。多くの人が感化を受けて学問に精を出したに違いない。

福翁の創刊した「時事新報」は戦後、復刊され、「1955年『産経新聞』に吸収されて『産経時事』となり、1958年の改称で『時事』の名は消えた」(コトバンク)が、天下国家国民を「独立不羈」の方向へ進めたいという福翁の精神は引き継がれているようだ。

「重い仕事」とは、いろいろなジャンル、政界、経済界、文化・教育界などで方向を定めたり牽引することだろう。

先日、孫と多摩川で遊んだ際、ドバトより一回り小さく美しいハト30羽(キジバト?)ほどが群舞して頭上1mほどまで接近し、思わず頭を両手で覆ったが、迫力満点だった。

群の方向を決めるのは先頭の三羽(パイロットとナビゲーター2羽)のようで、三羽は三角形をなしている。しかし、最先頭はしょっちゅう入れ替わる。ナビだったのが操縦桿を握る。何やら「集団の意志」のようなものがあり、必ずしも最先頭通りには進まない。フェイルセーフみたいな感じ。

東アフリカでは年初からバッタが大量発生し、中東にも広がって穀物を食い荒らしているそうだが、バッタがどうやって群の方向を決めるのかははっきりとは分からないものの、メカニズムがあり、ただ群の大勢に従っているだけではなさそうだ。

自由民主主義を建前とする国では言葉による論争や選挙というガラガラポンで「重い仕事」をする政治家を選ぶ。実に単純で、時折実弾は飛び交うが、涙は流れても血は流れない。負け組は臥薪嘗胆で耐え、勝ち組は「勝って兜の緒を締めよ」で次の選挙に備えている。

勝ったところで政治家は好き勝手ができるかというと、国民の空気、時代の流れとかに配慮しないと支持率が落ちて求心力が弱まり、思うような方向に国民、国民感情を引っ張れずにレームダックになるから、いつまでも「国民の皆様」に気を使い、蝸牛のように時間をかけて政策を進めるしかない。

大統領、主席、総理、首相、宰相などと肩書をつけても、自由民主主義体制であれば、国民の公僕、バッシングの対象であり、余程のマゾか人格者でないと耐えられないのではないか。まともな人、堅気が手を出す仕事ではないと「理性冷静激情、時々邪道」の小生は思うが・・・

リーダーはとにかく勝たなければならない。7勝8敗では許してもらえない、せめて8勝、何としても勝ち越さなければならない、歴史に名を遺せない。「やってられねーよ、バカヤロー」とつぶやいたらマイクが拾って国会解散、「バカヤロー解散」と刻まれる世界だから愚痴も言えない。

宰相は嫌な仕事、小生のような単純な吶喊小僧とは住む世界が違う。座を降りた途端にそれまでの「素晴らしい指導者」から「残虐非道な独裁者」に評価が反転して銅像まで倒されるのだから、堅気の人は手を出さないに限る。

口は出すのはOKという民主主義はいいもので、命懸けで守る価値はあるね。

習近平が知りたくない話、上島武・前大阪経済大学教授の講演「ソ連はなぜ崩壊したか」の続き。以下要約。( )内は修一。
・・・

◆計画経済をめぐって

経済でもう一つうまくいかなかったのは、計画経済をやりすぎたということです。

何から、何まで計画経済の対象とした。「穀物播種面積からチョッキのボタンまで」という一九三〇年代のトロツキー(スターリンに暗殺された)の言葉があります。ソ連の計画経済は、何から何まで計画にいれている。そして、計画目標は法律だという意識があります。

我々の決めたことを守らない、これに意図的に反対する、これは犯罪行為だというわけです。

戦後非常に注目された経済学者・ネムチーノフが、スターリンの計画経済について「あれは計画経済ではなく、統制経済、切符配給制度」といいました。

日本にも第二次大戦中に戦時統制経済がありましたね。この物資は統制物資だと指定されると、自由に売買できなくなる。かならず国家機関の許可と割り当てと、割り当てに対する切符があり、切符と引き換えでないと売ってもらえない。

ソ連では、こうした統制経済で、基本的な生産財から日用品までがんじがらめにしました。この配給制度の下では計画がかえってうまくいかないのです。

あっちが不足するかと思うと、こっちが多過ぎる。こっちに工場を建てようとして、工場は建つんだけれども、電力が足りない。つぎに電力は供給したけれど、原料が届いていない。なぜ、届いていないかというと、鉄道や道路が整備されていない・・・

なぜそうなるかというと、計画の組織が完全に縦割りになっているからです。鉄道部門は鉄道部門、農業部門は農業部門と、まったく縦割りになっていて、それぞれが個別の官庁によって管理され、資金的にも統制されるようになっていました。

そのため、この官庁は目標が達成できていても、その横の官庁は達成できないということがありました。

計画経済では、中央計画を作成するための経験が必要です。そのための、ある程度の技術も必要でしょう。そういうものがないときは、市場に任せざるを得ない、また市場に任せた方が損失が少ないのです。

(中共のゴーストタウンは「ここに共産主義終わりぬ」とやがて看板を出すだろう。アクセスもニーズもほとんどない辺鄙なところにビル、道路、鉄道を造っては放置。まるで中共の愚かさを後世に伝えるモニュメントだ。計画経済という傾城軽薄無理無駄経済、まるで秦始皇帝陵、長城。支那民族のDNAなのか)(次回に引用つづく)