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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(9」

2020-06-14 20:08:34 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(9」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/122(2020/6/14/日】2日連続で蚊に刺されたので、網戸を慌てて修繕した。やらなければいけないとは分かっていても切羽詰まらないとやらないもので、試験勉強とか、締め切りが迫らないと書き始めないとか、そういう人は多分、多数派だろう。

何しよう 大事なことより 好きなこと(修)

理性よりも感性が優先されることは日常茶飯事だ。お母さんは子供に「好き嫌いはダメ、何でもちゃんと食べなさい!」と「理」を言うけれど、お母さん自身、好きな料理しか作らない。「ママずるい!」なんて言われると、「だってお肉の脂身は苦手なんだもん」。

豪傑になると「清濁併せ吞む」とか尊敬され、落ち目になると「無節操、結局は個利個略だった」なんて非難されたり。「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかくに人の世は住みにくい」(漱石「草枕」)、世の中はそういうものらしい。

そうであっても「言行に恥づるなかりしか」(海軍「五省」)と、理性的であることを良しとするのは日本人のDNAには未だに刻み込まれているようだ。「一場(いちじょう)の感情で人生の大事を誤るなんて愚の骨頂だ」といった言葉はダメ出しの場面で結構出てくるのではないか。

「そういうのを短慮、軽率と言うんだ、いい歳をしてレディ・リリーを襲うなんて、まったく何考えてるんだ・・・で、具合どうだった?」

「へへ、もうパンデミック! ♪エジプト帰りーのリリー、リリー・・・って、ずいぶんご機嫌でしたよ・・・詳細は・・・不起訴なら話しますがね、旦那の御心次第。起訴されたって病院送り、アタシはどっちでもいい。検事さんと相談、熟慮してからお返事を。旦那、悪いディールじゃないですぜ、ヘッヘッヘ」

感情は理性(計算、損得、知性、是非判断)を弱め、理性は感情(気分、好悪、本能)を抑える。抑えすぎると「非情、冷酷、人情の機微が分からない原理主義者、鬼!」なんてクソミソに罵倒されたり。

まあ、感情と理性の塩梅、制御が上手にできる人が智者、賢人で、へたくそとか、できない人、情にもろい人が愚者、暗愚、バカということだろう。

普通の人はその間を揺れている。時に賢明だったり、時に判断を間違えたり。

「恋は盲目、アンタがリリー太夫に惚れてる気持ちはよーく分かる。だけれども、箕帚を取らせ賄いを任せて上手くいくかどうか、紺屋高尾は話の世界。暫く旅へでも出て、よーく考えて見るんじゃな」

主要国の中で離婚率1位はロシア、2位は米国、日本は10位ほど。民度が高いかどうかは知らないが、日本人全体の「感情と理性の塩梅」は概ね良さそうだ。

日本では有史以来、大規模暴動はほとんどない。江戸時代は治世批判の農民一揆がそこそこあったが、最大の農民一揆(反政府武装蜂起)と言われる「大塩平八郎の乱」でもわずか半日で鎮圧され、処罰されたのはたったの40人(うち死刑は30人)である。

<近世日本の都市部において町人同士の相互扶助である「合力」が発展し、富裕町人による町方施行が成立した享保年間の頃から「仁政」と呼ばれる社会正義思想が形成された。

仁政とは、為政者は富者の私欲の追求を規制して弱者の生活が立ち行かなくなることを防ぎ、富者は私欲を自制し、飢饉や災害が発生した時は率先して施米などを行って弱者を救うべき、という為政者・富者に課された責務である。

公的収奪にせよ私的収奪にせよ、この責務を果たせない為政者・富者は「不徳」として糾弾された。家財の略奪なども行われたが、一方で正当な制裁行為であることを主張するために、家屋の破壊だけにとどめ、略奪や放火は厳に戒められた事例も多く知られている>(WIKI)

しょっちゅう飢饉に悩まされた国なのに(国だから)信じられないほどのセーフティネットがあった。それなりの福祉国家が江戸時代には模索され実践されていたわけだ。徳川幕藩体制が諸問題を抱えながらも200年以上続いたのはそれなりに善政だったのである。時代の要求に応じて体制が自らを改革していったのだ。

農林水産業を含めて識字率はなんと70%、そんな国は世界ではない。

さらに統治が揺らぎ始めた幕末には福祉政策なのか、ガス抜きのような庶民向け娯楽イベント「ええじゃないか」フェスティバルもいっぱいあった! 江戸城無血開城で江戸は戦火を免れた。戊辰戦争の参加率は人口のたった3%、犠牲を最小に抑えられた。

同志諸君、改めて言う、そんな国は世界ではないぜ。

米国は今、伝統行事の「理性を忘れて感情爆発!第〇回全米火付強盗暴動フェスティバル」の最中にある。さすが、世界がひっくり返っても真似できないほどの民度レベル! 3、4年に一度の持ち回り会場で、観光客誘致の大イベントにすべきだろう。

♪ロックとジャズとブルースに 酔って歌って踊りまくれ バーボン、ポテトにサザンフライ、クラックやればこの世の天国、火付け強盗やり放題、恋も破壊もお好きにどうぞ、なんでもありのフェスティバル!

キング牧師は喜んでいるか、泣いているか。苦労の末に小さな店を持った多くの商店主は店を壊され商品を奪われて喜んでいるか、泣いているか、報復を恐れて黙っているか。(邦字紙「The Rafu Shimpo 羅府新報」を読んでくれ!)

一体誰が時代錯誤の暴動を喜んでいるか? 中共と過激派とリベラル≒アカモドキ≒アカと社会のダニのような盗人だけだ。曰く――

「コロナを革命に転化せよ! 千載一遇のチャンスだ! 奪え、焼け、殺せ! 焦土、血の海から新しい世界を創れ!」

そういう妄想世界の住人には「体制憎し」と「付和雷同」の感情しかない。つける薬もない。遠島に追放するしかないんじゃないかと絶望的な気分になる。

そういう妄想世界のキチ〇イが人民の血と涙で創った「労働者の祖国を標榜した収容所群島」ソ連はいかにして崩壊したか。前回に続き「Russia Beyond」から紹介する。
・・・

◆レーニン「追放より強制収容所のほうがましだ」

「ソ連のプロジェクトは、我々が現在『福祉国家』と呼ぶものの要素を含んでいた。ソーシャル・モビリティ(努力すれば出世できるといった社会的流動性)、社会福祉の制度、社会的支援、無料の医療サービスなど。

しかし、これらのプロジェクトは、そのユートピア的性質のため、完全に実施されるわけにはいかなかった」。マリシェワ氏はこう指摘する。

「三権を分立させず、人々の自己管理にまつ。これが機能するには、高度の社会的責任感が必要だが、それはソ連社会にはなかった」

なるほど、レーニンと同志たちは信じていたかもしれない。党もソ連の役人も、すべて公正かつ誠実であり、賄賂を取ったり盗んだり職権を乱用したりすることはない、と。だが、残念ながら、現実は「真理」からかけ離れていた。

ソ連の初期でさえ、ボリシェヴィキ政権は、穀物を生産した農民から非人道的なやり方でそれを徴発した。政権は、民衆の強力な抵抗に遭い、しばしば、1920~1921年のタンボフでの反乱のような事態になった。タンボフ反乱には5万人以上の農民が加わり、数万人が赤軍によって殺された。

一方「新世界」に収まらなかった人々、とりわけ元ブルジョアジーや地主もつぶされることになった。「無慈悲な根絶が必要だ」とレーニンは書いている。

「外国人は急いで追放しなくてもよい。強制収容所の方がいいかもしれない」と彼は言った。レーニンが社会正義と平等の理想的状態を構築しようとしていたのは明らかだったが、それは残酷な方法で行われた。

これに関連し、心理学者で思想家のジョーダン・ペーターソンはこう主張する。レーニンを理想化して、彼が労働者階級の幸福のみを追求していたと言うのはナイーブである、と。

ペーターソンは、単純化しすぎている嫌いはあるが、単刀直入にこう述べる。「レーニンの腹心はスターリンだった。もしあなたの腹心がスターリンだとしたら、あなたは良い人間ではない」

結局、ソ連当局は、農民の抵抗を粉砕して、私有財産を国有化し、土地と農業生産の手段を集団化することを宣言した。今や、農民の土地、牛、農具はコルホーズすなわち集団農場に属していた。こうして農民は、ほとんどお金を奪われてしまった。

農民は「労働日」に働き、働いた日数に応じて現物支給された。歴史家たちは、1861年に農奴制が廃止されたと言うが、それは、1932年~1937年に復活したのである。農民は、自分に割り当てられたコルホーズから去ることを禁止された。

◆経済的衰退

集団農場のシステムは、穀物生産の急激な減少をもたらし、食料を外国から購入しなければならなくなった。かつて、1913年の時点で世界有数の穀物輸出国だったロシアは、その主要な輸入国の一つに転落した。

ルドルフ・ピホイア氏の示す統計によれば、1973年にソ連は、自らが消費する穀物の13.2%を輸入していたが、1981年には、その割合は 41.4%にまで達した。

また1987年には、ソ連の生産に占める消費財の割合は24%にすぎなかった。国は、自国民を犠牲にして前例のない軍備拡大に乗り出していた。

しかし、その収入はどこから得られたのか。1970年から1980年にかけて、シベリアの石油生産量は10倍(3100万トンから3億1200万トン)に増え、ガス生産量は95億立方メートルから1560億立方メートルにまで増加した。そしてこの石油とガスは西側に輸出されていた。衰退しつつあるソ連経済にとって唯一の「ライフライン」だった。

「党と国家の機構はあらゆるレベルで統合されていた。すなわち、行政、管理、コミュニケーション等のすべてのレベルで」。マリシェワ氏は言う。

「党と国家の機構のいずれかに危機が生じた場合、もう一方も危機に見舞われ、衰退する。だから、1980年代後半に民主主義が発展し始めたとき、党は権力を維持することができなかった。共産主義のイデオロギー自体は生き残る力を持っていたが、国家機構との一体化は、共産主義を破滅させた」

チェルノブイリ原発事故の大惨事は、行政機構が芯まで腐敗していることを示した。ミハイル・ゴルバチョフが社会的・政治的改革を始めると、党と国家の、それでなくとも不安定な均衡は崩壊してしまった。

リアルな選挙が導入されると、ソ連の各共和国の国民が主権を強く望んでおり自ら決断を下す機会を得たがっていることがあぶり出された。

その間、党の古くからの党員はほとんど皆辞めていった。1986年~1989年に、すべての共和国の地元党幹部の90%が辞任し、結局、連邦は崩壊した。

ソ連のシステムは、時代の要求に応じて自らを改革することができず、持続不可能であることが証明された。(以上)
・・・

ソ連は崩壊すべくして崩壊した。ソ連の指導と支援で生まれた中共も崩壊する。早めに静かに自壊してほしいが、何億もの難民が世界に押し寄せたらコロナどころじゃない、それこそ元寇、侵略だ。早急にA2/AD(接近阻止・領域拒否)対策練るべし。

言論の自由があるから我々は「理性を働かせさえすれば」過去から多くを学ぶことができる。一方で中共には言論の自由はないし、理性を働かせて「解」を得たところで、それが中共の政策に合わなければ「反逆罪」で弾圧される。武漢肺炎を真っ先に報告した李文亮医師は処罰され、後に武漢肺炎で亡くなった。

中共の学者から構成されている社会科学院は習近平政権初期に「学問の自由を縛るのはいかがなものか」と声をあげたら、習近平に「誰のお陰でメシを食ってるのか」と恫喝されるや沈黙してしまった。

共産主義とは独裁者に追従するだけのシステムで、上がムース(ヘラジカ)を指さして「あれは馬だ」と言えば下も「あれは馬です」と言うだけである。

「いや大きな角があるから鹿の一種です」と言ったら死刑、「正確にはロバです」は収容所送り、「農耕用のペルシュロンという馬です」ならお伽衆に採用されるかも知れないという、ほとんど理性とは程遠い、不思議の国のそんなのアリンス、狂気の世界。

キチ〇イから言わせてもらえば「一度キチ〇イ、一生キチ〇イ」で、火付強盗殺人鬼のような重度のキチ〇イは絶対完治しない。ひょんなことから狂気にスイッチが入るのだ。

「くそっ、面白くねえ、生きてたっていいことねえや、どでかいことして死んでやる!」、コロナと大統領選という社会不安、社会分断に揺れている今の米国は、そういう連中にとってパンデミックの絶好の機会になっているはずだ。合い言葉は「アカ頭巾ちゃんに気を付けて!」。

エクソシストとかバスターズになってアカ掃除を終えてから昇天したいものだ。(2020/6/14)