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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(8」

2020-06-13 17:37:21 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(8」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/122(2020/6/13/土】朝は室温28℃、いつもの通りの梅雨、ブルーになるが、これがなければ農業など困る産業は多いから、「神様仏様、どうかほどほどに」と祈るしかない。

人間は高度(利便ときどき邪道)な文明を築いてきたが、治水灌漑や建設土木から医療研究などあらゆる分野で自然災害、伝染病など災難を小さくしてきたが、基本中の基本である「飢え、食糧難」を解決できたわけではないし、平和をもたらすはずの宗教や主義でも相変わらず殺し合っている。

専門家によると災害によるダメージは自然災害が一番大きく、次いで紛争災害(民族紛争、宗教紛争、派閥紛争など)、経済災害(恐慌、不況など経済危機)、戦争災害(国と国の激突)だという。

一人当たりのGDP(年率)への影響は一番大きい自然災害でもマイナス1%ほどだからさほど大きいわけではなさそうだが、1億人の国で1%、100万人が犠牲なると考えれば甚大だ。

2011年の東日本大震災での死者・行方不明・関連死2万人、避難者数(最大) 47万人だって大災害として未だに傷は癒えていないのに、100万人が被害を受けるような災難が2、3年続いたら大打撃だろう。

(ちなみに毛沢東の招いた経済災害&人災「大躍進政策」の餓死者は人口5億人の10%、5000万人。中共は「天災だ」と嘘をついており、14億の民の多くは騙されている)

実際には1億人が皆で被害を引き受けるから痛みは小さくなるとは言え、GDPは年率2、3%成長しないと経済が委縮すると言われている。そういう中でマイナス1%となれば財布のひもは締まる、消費意欲が下がる、ボーナスは前年割れ、残業はダメ、気分が晴れない、となる。みんな空気に流される、付和雷同、蚤の心臓。

今回のチャイナコロリ、中禍は自然災害(感染症)のような紛争災害(生物兵器由来?)であり、未曽有の経済災害(年内で収まるかどうか)でもあり、戦争災害(中共 vs 世界の激突)という「最強手」というか「禁じ手オンパレード」。

中共は世界中からレッドカードを投げつけられているのではないか。普通の国なら恐れ入って、責任の所在はともかくも、

「結果的に重大性の認識が不足していたことについては謝罪いたしますが、賠償に応じることは第一世界大戦の敗戦国ドイツを圧迫し、結果的に第二次大戦を招いた歴史から世界にとっても懸命な策とは申せません。

中国は後進国であり、人口は14億、一人当たりのGDPは世界70位です。いまだに月収千元(約1万5千円)の民が6億もおり、中規模の都市で家を借りることすらできないのが実態です。新型コロナで影響を受けた人々の生活保障が重要課題になっている今、恥ずかしながらない袖は振れぬ、と申す外はございません。

今後は過ちを改め、国際社会の良きメンバーとして貢献してまいります。角を矯めて牛を殺すことにならぬよう、どうかご理解とご協力をいただきたく、伏してお願い申し上げます」

こう頭を下げて習近平の首を出せば、軍隊の縮小、核放棄、チベット、ウイグル、モンゴル、香港独立、収容所解体、共産党禁止、台湾不干渉くらいで勘弁してもらえるかも知れない。

とりあえず虎口から逃げ出すための兵法で、まずは先進国の怒りを鎮めることだ。習近平の首はマスト。小生が広報担当なら以上の策を提言するがのう。10年後に「舌技で中共を解体した男 シーチン」なんていう本、出ないかなあ。

さて、温故知新、ソ連はいかにして崩壊したか。Russia Beyond というサイトはソ連/ロシアから逃げ出した人たちが作っているようで、以下、紹介する。
・・・

なぜソ連の社会主義は失敗したのか:衰退と崩壊の要因は何か ゲオルギー・マナエフ(2019年6月28日)

社会主義国家「ソビエト社会主義共和国連邦」の衰退とそれに続く崩壊には、いくつかの明白な要因があった。

ソ連の黎明期、間もなく共産主義が世界に打ち立てられるとの期待が、世界各国の左派勢力の間で高まっていた。しかし、その後数十年のうちに、レーニンの社会主義的理念の挫折が明らかになった。これはいかにして起きたか?

◆社会主義の扉を通じて共産主義にいたる

「社会主義と共産主義を区別することが重要」と言うのは、エレーナ・マリシェワ氏。彼女は歴史古文書研究所・古文書研究科を率いている。

「社会主義は、ソ連の国家行政の形態であり、共産主義は支配的なイデオロギー。この社会主義国家のプロジェクトは、当初はユートピア的でポピュリスティックだった」

ルドルフ・ピホイア氏は、歴史学博士で、国のアーカイブの元専門家だが、論文「なぜソ連は崩壊したのか?」でこう指摘している。

ソビエト国家の主な特徴は政府機関と共産党が一体をなしていたことで、ソ連憲法(1977年)は、党を「政治体制の核心」と定義している、と。

実際にはこれは何を意味したのか? レーニンの主張はこうだ。

選挙で選ばれる地方自治機関「ソビエト」は、直接民主主義である。だから、議会も三権分立(立法、司法、行政の相互の独立)も必要ない。すべてはソ連最高会議の代議員がカバーする。これらの代議員は、各地元のソビエトから選出されている――

しかし、ソ連の選挙はまがい物だった。役人はすべて、ソ連共産党によって任命された。真に国家を支配していたのは、党の中央委員会である。あらゆる軍人、官僚、警察官、秘密警察は、党に属していた。国の治安を保障していたのは、秘密警察「KGB」の膨大なエージェントだ。

フィリップ・ボブコフ将軍(1925~2019年)は、KGBの元副議長(1983~1991)を務めた人物。その彼が最近のインタビューで推算したところによると、すべての地域に約300〜500人のKGBエージェントが活動しており、主要な地域では最大1500〜2000人に達していたという。

こうした状況で、体制に異を唱えたり反抗したりした人間には、刑務所と強制収容所(グラーグ)が待っていた。恐るべきグラーグのシステムは、1933年の時点で50万人以上を収容していた。1936年以降は100万人以上に達し、1950年代の初めには実に250万人にのぼっていた。このシステムの過酷さは、とくに外国人の目からすれば明白だった。(つづく)
・・・

ソ連の轍を中共は辿っている。中共が自ら力があるうちに方向を変えなければ、名物の軍閥が割拠したり、狂信的な団体が暴れたり、排外主義が逆に外国の干渉を招いたりといった災厄を招く。

蓄財蓄妾美酒美食とか孫子の兵法ではなく、四書五経を学んで文治政治に徐々に切り替えていくとか、本当の文化大革命、大改革が必要だと思う。

「子曰く、之を導くに政を以てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を導くに徳を以てし、之を斉(ととの)うるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格(ただ、正)し」(論語)

(解説:国家経営は法律を作れば上手くいくとはならないね。行政を法制のみに依ったり、治安に刑罰のみを用いたりするのでは、民は抜け道を見つけてテンとして恥じない。

上に政策あれば下に対策あり、中共統治下の今では華人の処世術になってしまった。情けないことだよ。行政や治安は道徳、モラルをベースにすべきで、ルール違反は恥ずかしいことと思うようにした方が上手くいくと思うがね)

孫中山(孫文)先生も日本で多くを学んだ。ポスト習近平の指導者も日本で民主主義のピンキリ、清濁、裏表、リアルを学んではどうか。(2020/6/13)







雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(7」

2020-06-13 00:14:02 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(7」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/121(2020/6/12/金】室温31℃、すっかり夏だ。

庭の草花はのびのびと成長し、手入れをしないと「もっと上へ、もっと横へ」と縄張りを広げてくる。大人しくて(自己主張の少ない)可愛い花は、野性味たっぷりの花卉に覆われて、存在すら忘れられそうだ。野趣と人工美をバランスよく調和させるのが「庭師」のキモなのだろう。

この「庭師」という言葉は好きだ。一日の仕事を終えて、縁に腰掛け、手入れを終えた庭を眺めながら一服している姿なんて、まさしく一幅の絵になる。

これが「造園家」とか「作庭家」「ガーデンデザイナー」「ランドスケープデザイナー」とかになると小生は「なんかなー、ちっとも粋じゃない」と興覚めする。

「留さん、ご苦労様でした、今日はね、いい酒が手に入ったんで、留さんとちょいと一杯やりたくて井戸で冷やしておいたんですよ、まあ一杯どうぞ・・・」
「いやーっ、うめえ! いい酒ですね、まったくゲージツ品だ!」

「そうかい、嬉しいね・・・それにしてもすっかりいい庭になった、心が晴々するねえ、まったくゲージツ品ですよ。先代の熊さんからお世話になっていますから・・・そう、もう60年」

「親方からは“百年先を見て手入れするのが庭師だ”ってよく言われたもんです。代々受け継がれてきた庭がゲージツ品みたいに神々しくなっていく・・・庭師冥利に尽きるってつくづく思いますよ・・・」

こういう風情はスケールは小さくても長屋の軒先、小家の玄関脇や商家の坪庭でも見られたし、今でも狭い空間を利用して花卉を楽しんでいる人は多い。

日本花き卸売市場協会のサイトにはこうあった。

<スコットランドの植物学者であるロバート・フォーチュンは1860年に幕末の日本を訪れ、街中で人々が植物を育てている様子を見て驚いたそうです。そのことを著書「幕末日本探訪記 江戸と北京」の中で、

「日本人の国民性の著しい特色は、庶民でも生来の花好きであることだ。もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものであるとすれば、日本の庶民はイギリスの庶民と比べると、ずっと勝ってみえる」

と書き記しています>

ただ、低成長経済や少子高齢化が進んでいること、同時に単身世帯が増えていることもあって、「⽇本の花き産業規模は1995年をピークとして縮⼩を続けている」(農水省)という。

バブル景気の最終年1990年は大阪花博が開催された年でもあるが、バブル余韻で世間の景気はまだ良くて、1995年の産出額は6200億円(作付面積4万8000ha)、これをピークに下り坂で2017年は3700億円(作付面積2万7000ha)に落ち込んでいる。

要は花卉業界が旧態依然で、生産者は「私作る人、市場で売ってオシマイ」、小売業は「私売る人、店舗で売ってオシマイ」。昔の食管法時代の百姓と米屋のようなもので、鮮度や産地なんてどーでもいい、というレベル。

業界あげての市場の分析、商品開発、マーケティングという当たり前のことが行われていないのだ、と農水省は怒っているようだ。

農水省がいろいろ指導しても生産者には馬耳東風だろう。我が街でもそうだが、都市近郊なら皆さま大地主で、「園芸農業なんてオレの代で終わり、息子はマンション建てるでよ」という人が多いはずだ。

小生の本家は元来は農業だが、小生が知っているだけでマンション2棟、オフィスビル1棟、40台収容の駐車場は4か所だと思っていたら「〇〇第5駐車場」を最近発見した。後継ぎには税理士の資格を取らせた!「百姓なんてやってられるか!」と思うのも当然だ。

かつて花を愛した国民は、まるでソドムとゴモラを理想社会と思っているかのように、ひたすらカネ、旨いもの、娯楽を愛するだけの野蛮人に退化しつつあるんですよ、フォーチュン先生。

戦後日本の師匠、米国では隠れアカが「中禍戦争を内乱へ転化せよ」とマルクス、レーニンの教え(詐話)をまたぞろ持ち出して、「チャンス到来、最後の絶好の機会だ!」と街頭で暴れまくっている。アカとバカにつける薬なし、ただ消え去るのを待つのみ。

6/11産経に岩田温(あつし)大和大学准教授の寄稿「国難に思う パンデミックでよみがえる亡霊 なぜ、また共産主義が語られるのか」が大きく掲載されていた。岩田氏は2005年、22歳の若さで「日本人の歴史哲学」(展転社)でデビューして以来、小生は期待していたが、久し振りに読んだ氏の論考は期待をさらに促すものだった。

まだ37歳、小生の愚息と同世代だが、氏はこれから一流の保守愛国派論客として名を高めていくだろう。次代は良くなるかもしれないとヂヂイは励まされる。

さあ、今日も元気で勉強しよう。上島武・前大阪経済大学教授の講演「ソ連はなぜ崩壊したか」要約の続き。( )内は修一。
・・・

日本には第二次大戦中に大本営発表というのがありましたが、それは負けていても「勝った」「勝った」と発表していました。

発表している側は、最初はウソだと自覚しているが、そのうちに自分が自分にだまされていく。それと同じように、スターリン時代のソ連では「社会主義が最終的かつ完全に勝利した」と言われました。

その社会主義の目標のなかに、「諸民族の融和と接近があり、ソ連には民族の抑圧、差別がなくなった、ある民族とある民族のあいだに固有のあつれきがあるという状態はなくなった」と宣言しました。ところが、現地の人はそうじゃないと思います。
チェルノブイリの原発事故以後、ゴルバチョフはグラスノスチとして、「みんな、言いたいことを出してくれ」という政策をとりました。

そうすると、各地方民族から「ロシアに我々は差別されてきた。我々より、もうちょっと大きな民族が我々を差別してきた」と言いだした。そしたら、その下にいる民族がまた言いだした。「そういうことをお前たちが言っているが、お前たちは我々を差別してきた」と。あっちにも、こっちにも問題が内向していることが明らかになってきました。

これが最初に爆発したのが一九八八年のナゴルノ・カラバフでした。ゴルバチョフが最初に聞いて、「ナゴルノ・カラバフ」ってどこにあるのか分かりませんでした。そこで何が起こっているのかも分かりませんでした。

(ナゴルノ・カラバフ地方は、アゼルバイジャンの西部で、アルメニア人が多く居住していたが、ロシア革命後にアルメニア共和国ではなくアゼルバイジャン共和国に強制的に編入された)

ナゴルノ・カラバフに住んでいる民族のなかでは、アルメニア人がアゼルバイジャン人に差別されてきましたが、アゼルバイジャン人はロシア人に差別されてきました。二重、三重、四重の差別があって、いちばん下から声をあげたのです。

しかし、なかなか聞いてもらえないので、手をだしました。これにたいして鎮圧部隊がやってきて紛争となります。

しかしこれは、ナゴルノ・カラバフだけ(の問題)ではなかったのですね。形式上は、平等にソ連邦に加盟するというかたちをとりながら、実際は二重三重の上下関係のなかにおかれてきたなかで、(ゴルバチョフに)「最終的に諸君の権利をみとめます」と言われた。

その時には、とうとうと湧き上がった民族的エネルギーをゴルバチョフ的な方向で、あるいはゴルバチョフが頭のなかで描いていたレーニン的な十月革命の原点にかえって再編成しようという方向に組み上げていくんじゃなくて、まったく別の方向へ導いていった勢力が明らかにありました。

地方の共和国のエリート集団が選んだのは、社会主義的な連邦的な再生ではなくて、そこから分離・離脱する方向でした。そして、分離・離脱するさいに社会主義も捨てました。

なぜ、社会主義を捨てたのか? 各加盟共和国のトップの連中たちは、自分たちの行く末、身の振り方を考え、自分たちの地位、立場、権力、権威、権限をどうやったらうまく確保できるかを考えたとき、社会主義とか連邦とかいうことではなく、分離独立の方向をとった方が、今後の政治家として影響力を保つことができるという選択をしたんでしょうね。

同時に民衆も「社会主義に未来はない」と感じとってしまったのじゃないでしょうか。
そうなる要因として、これまで述べてきた経済的な要因、政治的な要因以外にもう一つあります。ペレストロイカは、もともと経済の改革から始まったのですが、そこから打ってくる政策が次々と裏目にでて、地方ほどツケがまわってきたのです。

これとまた、何十年間の積もる怨みと重なってしまったんでしょう。国民生活の後退というのは国民にとってがまんすることができない。日に日に生活が悪くなってくる、これは庶民の絶望感をさそったでしょう。

さらにソ連の国民の一〇人に一人はかつての戦争で死んでいます。また五人に一人は多かれ少なかれ、大粛清の経験をし、あるいは身内・縁者に関係のない人がいないぐらいです。

この歴史を考えてみると、選択肢は分離独立イコール脱社会主義ということになって、民衆の支持を最終的に失ったわけです。

◆むすび

ただし、民衆は社会主義をオール否定したのか? あの時点で、そのように社会主義をみなかった人もいます。あとで「しまった」と思っている人もいます。しかし、問題なのはその当時「ソ連を離脱なんかしなくてもいい」と思ったり、あとで「しまった」と思ったりしている人たちが、なぜ声を出せなかったのかということです。

ソ連共産党やインテリゲンチャなどの政治集団も声ある形でなぜ出せなかったのか? それは、彼らもまた社会主義に自信をもっていなかったからです。

ソ連崩壊を考えるときに、このことも考えなければなりません。ソ連の社会主義というのは、人々を「脱政治化」にしてしまいました。

政治的な判断力とは、政治をどう見て、明日はどうすべきかということです。ところが、政治的であるべき民衆が、そのなかでもリーダーシップを発揮すべきインテリゲンチャや前衛を自称する共産党の連中が声を出せなかった。

彼らもまた脱政治化していた。ここのところが、いちばん大事なことだと思います。(おわり)
・・・

一党独裁、共産党独裁というのは党のトップの最終命令(機関決定)にすべての党員、人民が無条件で従う制度である。逆らえないどころか異議を唱えただけで銃殺や収容所行きだ。つまり政治はトップクラスの人が決めることであり、クチパク以外のことを言えば「畏れ多くもご政道を非難した不届き者」となってしまう。

だから庶民もエリートも政治を語ることはご法度、せいぜいこんなアネクドート(風刺的な小話)で憂さ晴らしをするだけだ。

<KGBの職員が通り過がりの通行人に話しかけた。
KGB職員「あなたの政治的な立場はどんなものですか?」
通行人「はあ、私が考えるに...」
KGB職員「それで結構、あなたを逮捕します」>(WIKI)

脱政治化しなければ生きていけない世界。それがリベラル≒アカモドキ≒アカども目指す世界であり、そういう時代錯誤的バカや確信犯的ワルが米国にはまだうじゃうじゃいるのだということを「民度の高い」文化的日本人は知り、己を戒め、「民度の低い」享楽的日本人は「あら、アメリカでもリオのカーニバル!」としか思っていないんじゃないか。

「世界を俯瞰すればマシな方」と言えないこともないけれど・・・(2020/6/12)