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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(97」

2020-10-26 09:56:03 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(97」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/208(2020/10/26/月】カール・マルクスは「資本主義経済は破綻し、共産主義経済へ移行する」と説いたが、現実は逆になった。


裕福で寛容な弁護士の長男坊として生まれ育ったマルクスは、青春の鬱屈もあったろうが乱暴者、素行不良、銃器不法所持などで最初の大学を除籍され、エンゲレス(繊維工場の御曹司)に触発されてアカ雑誌にカネにならない論文ばかりを書いていたから万年金欠病、おまけに浪費癖。何となくインテリの無頼放蕩漢みたい。


「商品価値/利潤でしかモノを見ない」資本主義経済を激しく憎悪、つまり「俺の論文は優秀なのだから、その価値を認めてくれる『貧者による貧者のための貧者の独裁的共産主義経済』へ移行すべきだ」と思うようになったのかもしれない。負け犬の貧乏な自分たちにとって都合の良い社会を創りたい・・・“タニマチ”エンゲレスの金銭支援を受けながら哲学のような、宗教のような、共産主義思想をそれらしく「科学」に練り固めていく。


不平不満分子は巧みに学問を装ったマルクス風共産主義にかぶれて洗脳されていった。ソ連のレーニン、トロツキー、スターリンは御用学者の「雪の上に種を蒔くと収穫増になる」という説を評価して農民にやらせたが、増えたのは餓死者だけだった。毛沢東は「稲を食うスズメは人民の敵だ、殺し尽くせ」と命じたが、害虫が増えて収穫が減り、この手の愚策を強行して結局は5000万人が飢餓で殺された。


イギリスから始まった産業革命は1760年代から1860年代まで比較的長い期間にわたって漸進的に進行した・・・ここまで書いて書庫からアカの聖書であるマルクス著「資本論」を探し出して50年振りに開いてみたら、ペラペラっと折り畳んだ紙が落ちた。開いてみたら、


<制限住居変更許可願 凶器準備集合等被告人 ○○修一


現住居 神奈川県川崎市・・・・番地
新住居 千葉県成田市天神峰四二番地


変更の理由 農業従事の為


右の通り制限住居を変更いたしたく 御許可願います。
昭和四七年三月十三日 右 ○○修一


千葉地方裁判所 御中>


うーん・・・結局、全学連(中核派)現地闘争本部長の前田さんに、彼らにとっては「神」であるレーニンとトロツキーを批判したことから「お前は消耗どころじゃない、腐敗している」と言われ、小生の三里塚移住はご破算になった。移住していたら農家の養子になり、今頃は「今年は雨が多がったがら心配していだが、まずまずのでぎだ」と精米したコメを掌に載せて微笑んでいるかもしれない。


三里塚の農地はとても肥沃で、当時としては「1000万農家」(年収、今なら2000万か)が多く、そのために移転に大抵抗した面があった。新左翼がそれを政治利用したのだ。


閑話休題。マルクスが「資本論」を書いた1860年頃(日本は幕末)、産業革命は蒸気機関の発明もあって大いに進んでいくが、労働者、特に児童労働はまだまだ悲惨な状態にあった。マルクスはこう書いている。


<州治安判事のブロートン氏は1860年1月の会合の議長として、こう公言した。「9歳、10歳の児童が午前2時、3時、4時に不潔なベッドから叩き起こされ、夜の10時、11時、12時まで労働を強制されて露命をつないでいる。


彼らの手足はしなび、体格は萎縮し、容貌は愚鈍となり、人間性は全く失われている。恐ろしいほどの鈍重さだ。無制限な奴隷状態・・・米国の綿花栽培業者の黒人奴隷に対する恐るべき鞭打ちと人肉売買と同様な、資本家の利益のために行われている緩慢な殺戮だ!>


貪欲な資本家/ブルジョワジーによる貧困層/プロレタリアートに対するこうした「非人道的な搾取」が常態化している中で、マルクスらが怒るのも当然だったと言える。日本でも1911~1926年頃(大正時代)の紡績工場の女工の悲惨な労働状態を生々しく伝えた「女工哀史」は国民の同情を大いにそそった。


(山本茂実が1968年に発表したノンフィクション文学「あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史」は朝日新聞社刊。明治、大正期の生糸工場の模様を描いているが、極左暴力集団を煽る意図が朝日にはあったろう。「農業より女工の方がはるかにマシ」という証言も記載されており、小生は「ふーん、みんな大変だったんだなあ」ぐらいしか思わなかった。いずこの国も「おしん」時代はあったのだ。


小生の母は関東大震災で実家の料亭が液状化で倒壊、乳母日傘の身分から女中奉公、「おしん」になった)


スタインベックの「怒りの葡萄」(1939年)も世界大恐慌や旱魃で過酷な労働を強いられる貧困層の姿を伝えて大きな関心を呼んだ。1917年のロシア革命で人類初の共産主義国家、ソ連が誕生したことから、ソ連のプロパガンダもあって世界中の「良心的であろうとする、正義が大好きな若者」を中心に「資本主義×、共産主義〇」の風潮が蔓延していった。


1945年の終戦以降、多くの先進国では国民の共産主義的志向が進み、労働運動、革命運動の激化を警戒するようになったが、それに対処するような「貪欲資本主義から国民福祉資本主義への転換=緩やかな大衆資本主義革命」が米国を筆頭に主要国で推進された。


伝統的・古典的な「富国強兵を基盤とした帝国主義的・植民地主義的・資本家優先的な資本主義経済」から「国民優先・国際友好を掲げた協調平和の資本主義」への志向が強まっていったように思える。


二つの世界大戦が兵器の高度化で凄まじい災禍をもたらしたこと、さらに1発で20万人の都市が壊滅する核兵器の登場で、1800年代までの「軍隊 vs 軍隊」の古典的な局地戦時代が終わって、国民が絶滅されるか敵国を絶滅するかの最終総力戦になってきたことが、上記の政策変換を大いに促したろう。


大東亜戦争で日本がアジアから植民地を一掃する快挙を快挙をなし、結果的に先進国=宗主国は「強盗資本主義」から「協調平和の資本主義」への転換を図らずには存続できなかったという面もある。


大東亜解放の志半ばにして刀折れ矢尽きた日本では1960年、池田総理による「所得倍増計画」、それ以後に顕著になった「大衆消費経済・社会=バンバン買って幸せになろう」「大量生産=大量消費時代」のような大転換が資本主義を新次元へ盛り上げたといって良い。


世界中が概ね過酷な労働や餓死から免れるようになった。つまり資本主義は共産主義的ユートピアの要素を達成することで、共産主義経済をほぼ駆逐したのだ。今は残滓のような「独裁」という絶滅歓迎種が消滅を待たれているだけである。中、露、北、キューバ・・・ドミノ倒し・・・


こんな風になるなんてアダム・スミスもマルクスもまったく想像できなかったろう。共産主義の理想を資本主義が実現しちゃったのだ。マルクスはこう言うだろう。


「吾輩の理論が外れたのは予想外だったが、資本家に理論をパクられたとか、参考になったことは間違いない。その点では納得できるが、わずかに残る共産圏がいずれもゴロツキみたいな独裁者によって支配されるようになるとは、こればかりは想定外だった」


金持ちも貧乏人も、堅気も前科者も、男も女も、等しく1人1票で政治家を選べる・・・今様の普通選挙は1920年の米国が最初らしいが、「文盲はダメ」といった制限で黒人の投票は制限されることがあったらしい。日本では占領下の1946年が最初。


ガス抜き効果のある普通選挙では「勝っても奢らず、負けても腐らず」が暗黙のルールだったろうが、米国では近年その美徳が随分後退しているようだ。


弱者救済という福祉政策は結構だが、それが過ぎて“バラマキ福祉”になると、自助自立の原則を忘れたような「福祉を食い物にする怠惰な階層」が増えて、社会の健全性が劣化しているような感じがする。特に民主党の政治家自体が「とにかく選挙に勝ちたい」からバラマキ政策に傾斜している印象を受ける。


金持ちから税金を取って福祉に回せばいいというのでは、「貧困層こそが正しく、富裕層は絶滅するべき敵である」という共産主義そのもだ。それでは国家全体の成長が阻まれ、国際競争の中で負けていくようになってしまう。


貧すれば鈍するで、選挙の勝者を呪い罵倒し憎悪を煽るような民主党のやり口は、まるで三流国の様で、世界をリードすべき大国の所業ではない。大統領選の結果では米国の世界的プレゼンスは急落していくだろう。国連常任理事国への日独の追加、日本と友好国による対中包囲網など、日本の役割はどんどん大きくなる。


熱戦か冷戦か、大東亜戦争「鬼滅の刃 無限列車編」が始まっている。敵は細菌兵器も辞さない。中共包囲殲滅戦へ、イザッ! 目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp