雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(番外3」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/201(2020/10/12/月】ようやく雨が止んだので5日振りにチャリ散歩。桜並木はほぼ落葉し、柿は色づいて秋を実感する。実りの秋・・・
随分前から、近隣に奇跡的に残っている田んぼを見るたびに、農家の人に「稲刈りをしたことがないんです、このままでは成仏できません、お金を払いますから手伝わせてください」と頼もうと思っていたが、長雨の間にすっかり稲刈りは終わっていた。
ぐずぐずしているとチャンスを逃す、ということだ。来年は春先の田起こしから農家のオッサンに頼むことにしよう。“趣味の農業”、みなさん土地持ち、かつマンションオーナー、豪邸暮らし、銀行やデベロッパーが擦り寄って来るので警戒心が強いから、長女(保母さん)の人脈で探れば上手くいくかもしれない。保育園は園児のために農地を借りているし、農家のお嬢様は子供を保育園に預けていたりするからコネがあるのだ。
やりたいことをやれずにくたばると、この世に未練が残るからよろしくない。「初めての稲刈り」は来年に回して、今回は五輪(オリンピック)について考えたい。
1964年、中2(西側は広い麦畑の稲田中学校!)の時に東京五輪をTV観戦したが、重量挙げ(三宅)の生中継は興奮した。女子バレーボール(東洋の魔女)と男子フルマラソン(円谷)はニュースとかで見たが、終わり方がバレーは敵失、マラソンは追い抜かれたためか、なんとなくスッキリしなかった。
記憶にあるのはこの3種目の最終ゲームだけで、それはスポーツ音痴の小生のみならず当時の国民も大体そんなものではなかったか。
目は2つしかないし、仕事や学校はあるし、多くのスポーツがあっても、日常的には野球、相撲、プロレス以外に関心を寄せるほど国民に余裕があったわけではない。「貧乏人を見かけなくなった」というほどの時代で、ミッチーブームの「軽井沢のテニス」や乗馬、またゴルフ、ヨット、スクーバなんて夢のまた夢の世界だった。
<1960年代半ばのいざなぎ景気時代には、カラーテレビ 、クーラー、カー(自動車)の3種類の耐久消費財が新「三種の神器」として喧伝された。頭文字が総てCであることから「3C」とも呼ばれた。中でも普及が早かったのは1964年の東京オリンピックを境に売れ出したカラーテレビだった>(WIKI)
今年の東京五輪はコロナ禍で延期になった。延期とは関係ないが、ずいぶん前から五輪は興行ビジネスになっていた。ビジネスは商売であり、売り手と買い手が「毎度ありがとうございます」「こちらこそとても助かってますよ」「そう言われると励みになります」という WinWin だ。
今の五輪は「銭ゲバマフィアの独占興行利権」みたい。凄まじい金を使って誘致しても、地元にとっていい時期でも、いい時間帯でもなく、基本的に米国の大スポンサーの意向次第だ。違うか?
何でクソ暑い夏、しかもろくでもない時間帯にやるのか、結局はカネ、カネ、カネ・・・スポーツマンシップ的清廉潔白不偏不党なんてありゃあしない。巨額の動く「マフィアによる、マフィアのための、マフィアの興行」。違うか?
国際大会は大いに結構だが、4年に一度、特定の都市で、多くの競技を、同時期に、集中的に実施する理由が分からない。昔は国際往来は大変だったし、TVの同時中継もないないから、集中実施の意味はあったろう。
しかし、今は世界の主要都市から地球の裏側に行くのでも24時間以内だ。日本から欧州に行く航空機往復運賃は1964年(海外渡航自由化)当時はサラリーマンの年収を超えていた。3週間の滞在費を含めれば今のカネなら400万!(メシと移動=アゴアシ代と業界では言う)
それが今やアゴアシ代は80万もかかるまい。外国旅行は日常茶飯事であり、無理して五輪を一か所で一斉にやる必要なんてないのだ。
たとえばサッカーは南米で3月に、マラソンは4月に豪州で、柔道は5月に日本で、というようにやればいいし、毎年とか隔年でやってもいい。
何十年に一度のために巨大な施設をいくつも造り、祭りが終われば閑古鳥・・・こういうのを無理無駄無謀というのではないか。五輪マフィア抜きで、既存の各種目の国際組織が塩梅すれば上手くいく。大体、各種の国際組織はそれを毎年のようにやっているのだから手慣れたものだろう。たとえ利権マフィアが悪事をなしても五輪と比べれば問題は小さく、防止や是正はしやすいはずだ。
五輪は高邁な理想から始まったのだろうが、人間は聖人君子ではないから時を経れば理想は遠のくばかり。国連(連合国機構)と一緒で「旨い汁を吸う」「政治利用する」輩が出てくるのは避けられない。WIKIから。
<1984年のロサンゼルス大会は画期的な大会で、大会組織委員長に就任したピーター・ユベロスの指揮のもとオリンピックをショービジネス化した。結果として2億1500万ドルの黒字を計上した。
スポンサーを「一業種一社」に絞ることにより、スポンサー料を吊り上げ聖火リレー走者からも参加費を徴収することなどにより黒字化を達成したのである。
その後「オリンピックは儲かる」との認識が広まり立候補都市が激増し、各国のオリンピック委員会とスポーツ業界の競技レベル・政治力・経済力などが問われる総力戦の様相を呈するようになり、誘致運動だけですら途方もない金銭が投入されるようになってゆく。
1989年12月のマルタ会談を以て冷戦が終結してからオリンピックへの冷戦の影響は減り、共産圏と旧共産圏のステート・アマも減ったが、その反面ドーピングの問題や過度の招致合戦によるIOC委員に対する接待や賄賂など、オリンピックに内外で関与する人物・組織の倫理面にまつわる問題が度々表面化するようになった。招致活動や関連団体への政治家の参入も増えている、云々>
五輪の裏舞台は有象無象の利権アサリの銭ゲバ劇。儲け優先、清濁併せ呑むTV屋を交えて表舞台より遥かにスリリングでインモラルな戦いが演じられている。魑魅魍魎、悪鬼夜行、銭ゲバ家の人々。「ドキュメント“裏五輪”知られざる銭闘」、表よりこっちの方が面白そうだ。
「五輪の原点に帰れ」なんて悪い冗談、過ちを繰り返すだけだ。五輪マフィアを解体、駆逐することが一丁目一番地、まずはガラガラポンと監視組織の立ち上げに着手すべし。中共殲滅戦もこの手法が有効かもしれない。
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/201(2020/10/12/月】ようやく雨が止んだので5日振りにチャリ散歩。桜並木はほぼ落葉し、柿は色づいて秋を実感する。実りの秋・・・
随分前から、近隣に奇跡的に残っている田んぼを見るたびに、農家の人に「稲刈りをしたことがないんです、このままでは成仏できません、お金を払いますから手伝わせてください」と頼もうと思っていたが、長雨の間にすっかり稲刈りは終わっていた。
ぐずぐずしているとチャンスを逃す、ということだ。来年は春先の田起こしから農家のオッサンに頼むことにしよう。“趣味の農業”、みなさん土地持ち、かつマンションオーナー、豪邸暮らし、銀行やデベロッパーが擦り寄って来るので警戒心が強いから、長女(保母さん)の人脈で探れば上手くいくかもしれない。保育園は園児のために農地を借りているし、農家のお嬢様は子供を保育園に預けていたりするからコネがあるのだ。
やりたいことをやれずにくたばると、この世に未練が残るからよろしくない。「初めての稲刈り」は来年に回して、今回は五輪(オリンピック)について考えたい。
1964年、中2(西側は広い麦畑の稲田中学校!)の時に東京五輪をTV観戦したが、重量挙げ(三宅)の生中継は興奮した。女子バレーボール(東洋の魔女)と男子フルマラソン(円谷)はニュースとかで見たが、終わり方がバレーは敵失、マラソンは追い抜かれたためか、なんとなくスッキリしなかった。
記憶にあるのはこの3種目の最終ゲームだけで、それはスポーツ音痴の小生のみならず当時の国民も大体そんなものではなかったか。
目は2つしかないし、仕事や学校はあるし、多くのスポーツがあっても、日常的には野球、相撲、プロレス以外に関心を寄せるほど国民に余裕があったわけではない。「貧乏人を見かけなくなった」というほどの時代で、ミッチーブームの「軽井沢のテニス」や乗馬、またゴルフ、ヨット、スクーバなんて夢のまた夢の世界だった。
<1960年代半ばのいざなぎ景気時代には、カラーテレビ 、クーラー、カー(自動車)の3種類の耐久消費財が新「三種の神器」として喧伝された。頭文字が総てCであることから「3C」とも呼ばれた。中でも普及が早かったのは1964年の東京オリンピックを境に売れ出したカラーテレビだった>(WIKI)
今年の東京五輪はコロナ禍で延期になった。延期とは関係ないが、ずいぶん前から五輪は興行ビジネスになっていた。ビジネスは商売であり、売り手と買い手が「毎度ありがとうございます」「こちらこそとても助かってますよ」「そう言われると励みになります」という WinWin だ。
今の五輪は「銭ゲバマフィアの独占興行利権」みたい。凄まじい金を使って誘致しても、地元にとっていい時期でも、いい時間帯でもなく、基本的に米国の大スポンサーの意向次第だ。違うか?
何でクソ暑い夏、しかもろくでもない時間帯にやるのか、結局はカネ、カネ、カネ・・・スポーツマンシップ的清廉潔白不偏不党なんてありゃあしない。巨額の動く「マフィアによる、マフィアのための、マフィアの興行」。違うか?
国際大会は大いに結構だが、4年に一度、特定の都市で、多くの競技を、同時期に、集中的に実施する理由が分からない。昔は国際往来は大変だったし、TVの同時中継もないないから、集中実施の意味はあったろう。
しかし、今は世界の主要都市から地球の裏側に行くのでも24時間以内だ。日本から欧州に行く航空機往復運賃は1964年(海外渡航自由化)当時はサラリーマンの年収を超えていた。3週間の滞在費を含めれば今のカネなら400万!(メシと移動=アゴアシ代と業界では言う)
それが今やアゴアシ代は80万もかかるまい。外国旅行は日常茶飯事であり、無理して五輪を一か所で一斉にやる必要なんてないのだ。
たとえばサッカーは南米で3月に、マラソンは4月に豪州で、柔道は5月に日本で、というようにやればいいし、毎年とか隔年でやってもいい。
何十年に一度のために巨大な施設をいくつも造り、祭りが終われば閑古鳥・・・こういうのを無理無駄無謀というのではないか。五輪マフィア抜きで、既存の各種目の国際組織が塩梅すれば上手くいく。大体、各種の国際組織はそれを毎年のようにやっているのだから手慣れたものだろう。たとえ利権マフィアが悪事をなしても五輪と比べれば問題は小さく、防止や是正はしやすいはずだ。
五輪は高邁な理想から始まったのだろうが、人間は聖人君子ではないから時を経れば理想は遠のくばかり。国連(連合国機構)と一緒で「旨い汁を吸う」「政治利用する」輩が出てくるのは避けられない。WIKIから。
<1984年のロサンゼルス大会は画期的な大会で、大会組織委員長に就任したピーター・ユベロスの指揮のもとオリンピックをショービジネス化した。結果として2億1500万ドルの黒字を計上した。
スポンサーを「一業種一社」に絞ることにより、スポンサー料を吊り上げ聖火リレー走者からも参加費を徴収することなどにより黒字化を達成したのである。
その後「オリンピックは儲かる」との認識が広まり立候補都市が激増し、各国のオリンピック委員会とスポーツ業界の競技レベル・政治力・経済力などが問われる総力戦の様相を呈するようになり、誘致運動だけですら途方もない金銭が投入されるようになってゆく。
1989年12月のマルタ会談を以て冷戦が終結してからオリンピックへの冷戦の影響は減り、共産圏と旧共産圏のステート・アマも減ったが、その反面ドーピングの問題や過度の招致合戦によるIOC委員に対する接待や賄賂など、オリンピックに内外で関与する人物・組織の倫理面にまつわる問題が度々表面化するようになった。招致活動や関連団体への政治家の参入も増えている、云々>
五輪の裏舞台は有象無象の利権アサリの銭ゲバ劇。儲け優先、清濁併せ呑むTV屋を交えて表舞台より遥かにスリリングでインモラルな戦いが演じられている。魑魅魍魎、悪鬼夜行、銭ゲバ家の人々。「ドキュメント“裏五輪”知られざる銭闘」、表よりこっちの方が面白そうだ。
「五輪の原点に帰れ」なんて悪い冗談、過ちを繰り返すだけだ。五輪マフィアを解体、駆逐することが一丁目一番地、まずはガラガラポンと監視組織の立ち上げに着手すべし。中共殲滅戦もこの手法が有効かもしれない。