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雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(15」

2021-04-22 09:13:34 | 日記
雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(15」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/286(2021/4/21/水】今春は鶯(うぐいす)の当たり年なのか、緑いっぱいの散歩コースでは鶯の声をよく聞く。「声はすれども姿は見えぬ・・・」、1回だけ1分ほど目撃したが、安全保障上「身を隠す」「目立たない」習性があるようだ。


小生は「目立つ服装」が好きで、これは伊丹十三のエッセイの影響が大きい。曰く「ジャガーじゃない、英国風に“ジャギュア”と言わないとダメだね。マイカーブームで日本でも車が増えたけど、狭い道で雨の日に黒い服を着て傘も黒、これではドライバーは歩行者をよく見えないから事故を招きやすい、云々」。当時は郊外に街灯なんて便利なものはなかった。月がなければ“漆黒の闇”、手探り足探り。


なるほど「服装は目立った方がいいのだ!」と以来、特に起業してからは赤、ピンク、白のスーツを好んで着るようになった。リタイアした今では赤とオレンジの服、ちょんまげ、ヒゲ・・・ヒゲはマスクで見えないけれど、車も歩行者も避けてくれるのは有難い。触らぬバカに祟りなし? お巡りさんは寄ってくるが、今度誰何されたら「道端に倒れこむ」のはどうかなあ、なんて思うこともある。


「どうしました!?」、人だかりがしてきたら「て、て、低血糖で・・・バッグにキャラメルがあるんで・・・と、と、取ってください」なんてやると皆が面白がるかも・・・公務執行妨害になるから良い子、良いヂヂイは真似してはいけません。婦警さんを相手にしたら猥褻罪にもなるか?


ウグイス嬢は結構いるがウグイス男はあまりいない。ウグイスは鳴くのは雄で、多摩丘陵の殿森谷戸(とんもりやど)には「思い出の歌の小道」があり、実に上手にさえずる鶯がいた。♪ホーホーホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、キョ、キョ、キョ、ホーホケキョ・・・これを“これでもか”というくらいに長々と歌い続けており、まず五輪金メダルクラス。よほど素敵な雌を見つけたのだろうか・・・


ウグイスの雄が鳴くのは「ここはボクの縄張り、ボクが見張っているから安心して子育てできるよ」の意。新潟県ではなんと「一夫六妻」が観察されたそうだから、「容姿は問わず、来る者拒まず」みたいだ。雄は「餌を運ぶ」といった子育てには直接関与せず、ひたすら「縄張りの安全確保」に努めるのだという。


雄は「雌と子供のため」に外敵と戦う、雌は雄に守られながら子供を育てる、命を紡ぐ・・・雄は雌の仕事はできない、雌は雄の仕事はできない、人間も一緒。分かる人は分かる、分かりたくない人に分からそうとしても無理、無駄。相手にしなければそのうち消える。ホーホーホットケ。


3月頃から庭の手入れを始めたが、アレもコレもと手を広げるから、まるでサグラダ・ファミリアみたいに「完成」がない。園芸というより「庭園造り」、大工とペンキ屋になった気分だ。今日も午前中は庭いじりで、午後は菩提寺の護摩法要に出席。次期住職の修行を支援する会にいつの間にか入った感じで、何だかよく分からないが枯れ木も山の賑わいだから「ま、いいか」、願い事を書いてくれというから「中共殲滅支那解放」・・・これはちょっと場違いだから「天下平定」にした。


護摩を焚いて舞い上がる炎、佳境になったら火災報知器がピーピーピー、拍子木はカチカチカチ、お経はしきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき ピーピーピー、じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ、カチカチカチ・・・人生は爆発だあ! ああ忙しかった。


さてさて我が家に戻り「天に代わってお仕置き」の護摩法要、御託放送、悪口雑言の扇動的かつ挑発的サエズリへ。真珠湾攻撃を偶然目撃した英植民地下のビルマ植民地政府首相ウ・ソーについて、高山正之先生著「アジアの解放、本当は日本軍のお陰だった」からの要約、抜粋。


<ワシントンでFDRルーズベルトに面会できなかった失意のウ・ソーは西海岸に向かい、サンフランシスコから飛行艇に乗り、翌日ハワイの真珠湾に降りた。ホテルで1泊し、翌朝8時にマニラへの4泊5日の長旅が始まる。


しかし彼の飛行艇は真珠湾から西に飛ぶことはなかった。1941年12月7日午前7時49分、オアフ島北方から侵入した日本海軍の第一陣183機が真珠湾に襲いかかり、係留されていた戦艦アリゾナ以下、米太平洋艦隊を正確な雷撃で沈めていった。第二陣の163機も真珠湾周辺のヒッカム飛行場などに殺到して迎撃する米軍機を次々叩き落していった。


この時ウ・ソーは、自分たちがかしずきタキン(ご主人様)とあがめてきた白人たちが、自分たちと同じ肌の色をした日本人に攻撃され、青ざめて逃げ惑うのを確かに見た。英史家ルイス・アレンは「植民地に独立の機会があるとするならば、一滴の石油も、一粒のコメも取れなくなった時と、まずあり得ないが、白人が裸足で逃げ出すような大異変が起きた時」と豪語していたが、ウ・ソーは「白人が裸足で逃げ出す大異変」を目撃したと思った。


ハワイ以西は戦争状態に入った。彼は来た道を逆にたどってニューヨークからロンドン経由でポルトガルのリスボンに飛んだ。リスボンで飛行機を待つ間、彼は一人でこっそり日本公使館を訪ねた。外務省飯倉公館にその翌日の日付、昭和17(1942)年1月1日付の東郷外務大臣宛ての文書が残っている。


発信人は在リスボン千葉公使で、「12月31日ビルマ首相ウ・ソーがハワイから引き返し、帰国の途次に公使館を訪問」と伝えた上で、ビルマ首相から日本政府への申し出が以下に綴られている。


「今やシンガポールの命運旦夕に迫りビルマ独立のための挙兵には絶好の機会と認められる。日本がビルマの独立尊重を確約すればビルマは満洲国の如く日本の指導下に立つ国として日本人とともに英国勢力の駆逐に当たる。日本の必要とする資源は悉(ことごと)く提供する用意あり」


満洲の新京、奉天は日本の進出で秩序が確立され、都市暖房が普及し、工業生産は隣の支那を凌いでいた。英国が持ち込み、漢族が拡散させた麻薬禍も、満洲では政府主導で消されつつあることを数年前に日本を訪問したウ・ソーは聞いていた。ウ・ソーは日本を通してビルマに明るい将来を見ていた。


彼はリスボンから1月2日にアフリカ経由で中東ハイファに向かった。しかしハイファに付いた1月12日、ウ・ソーは機内の乗り込んできた英軍兵士に引きずり降ろされた。逮捕容疑は宗主国英国に対する反逆罪だった>(つづく)
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永遠の友も永遠の敵もいない、と言うけれど、今回の菅首相とバイデンの会談に拍手しているのは保守系新聞では産経の黒瀬悦也記者(トランプ大嫌い、民主党大好きみたい)くらいではないか。血を流すこと、熱戦を恐れていたら、国内統制&世界制覇のために熱戦を求めている中共への抑止力になるわけがない。ヒトラー・ドイツは欧米の警戒心がフランスに向いていた隙間を狙って開戦した。ヒトラー・ナチスへの警戒心が欧州では薄かったのだ。


習近平・中共は世界制覇が目標で、それを成し遂げれば毛沢東と並ぶどころか毛沢東を超える覇者として世界史に永遠に刻まれる。習近平は父親のために故郷の陝西省富平県に「習仲勲陵園」を造った。なんと2660万平米、東京ドーム569個分! 皇居の総面積は東京ドーム25個分だから23倍、JR山手線の内側は東京ドーム1347個分だからその半分が親父の墓! 史上空前、多分世界最大だろう。習仲勲の巨大な座像が周囲を睥睨している。


もちろん習近平も隣に坐像を創って眠ることにしているだろうが・・・「地元住民を立ち退かせて巨大な公園として整備した趙楽際は2017年に発足した第2期習近平政権で政治局常務委員、党内序列6位に出世している。紀元前3世紀の秦の始皇帝と21世紀の習仲勲・・・同じ巨大墓所でも、始皇帝の墓と兵馬俑は壮大な歴史のロマンだが、習仲勲の墓は現在の中国政治のアダ花だ」(安田峰俊「さいはての中国」)。


聖地だから今は外国人=蛮族は立入禁止、爆発されないためだろう。来月の護摩法要では「怨敵退散」でいくか。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646


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