核武装など戦力を強化すべし
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」64/通算496 2022/7/7/木】いよいよお迎えが近いのか、あれも書きたい、これも書きたい、書いて納得したいと焦るのだが、モノを書くというのは心技体がそれなりに高揚しないと難しい。
山登りみたいに最初の一歩を踏み出せばヒーヒーしながらも何とか上を目指し、体もそれに慣れていくのだが、その「最初の一歩」を踏み出す気にならないというか、気力が起きない、勃起しない、面倒臭い、「別に仕事じゃないし、締め切りがあるわけじゃないんだし・・・」などとグズグズしてしまう。
加齢とはそういうことだろうが、傘寿を越えても加瀬英明先生(1936年生、86歳)、髙山正之先生(1942年生、80歳)は現役バリバリで活躍しているから、71歳の小生も好奇心と緊張感をそれなりに維持して、後2、3年は言論界の端っこでウーウー唸っていたいものだと思う。ま、天が決めることだろうが、なかなか悩ましい。精神のインポテンツだな。
先だって菩提寺に頼まれて講演し、その際に紀元前500年頃から仏教、儒教が広まった背景には「文字の発明がある」ということに触れたのだが、それ以来、「お釈迦さまはインドで何を語ったか」ということを自分なりに勉強してスッキリしたいと思うようになった。
また支那経由で日本に広まった仏教、特に日蓮宗が法華経(南無妙法蓮華経)、サンスクリット語で「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ(白蓮華のごとき正しい教え)」を「釈迦の本懐にして最高無上」としているのはなぜか、という疑問もある。
サッダルマも鳩摩羅什(くまらじゅう)が中国語訳を支那にもたらしたのは西暦400年前後だが、サッダルマ自体は初期の「原始仏典」にはないから、釈迦没後の数百年後にまとめられたもので、言わば「仏教界の新興宗派」の教えだろう。日本でもそれは長らく注目されなかったようだが、日蓮(1222~1282年)はそれを発掘して「最高無上の教え」として広めたわけだ。
日蓮池上本門寺(東京都大田区)は日蓮宗の大本山だが、開祖・日蓮はここで没した。毎年10月12日晩の日蓮命日法要には「30万人の参拝者が訪れ、約2キロにわたって百数十講中、総勢約三千人もの万灯練り行列が池上の町を練り歩き、深夜にいたるまで賑やかな一日となります」(本門寺)。
小生一家は25年ほど前にこの祭りを見物したが、まるでかつての過激派に似た戦意高揚の大デモンストレーションのようでびっくりした。穏やかな仏教というイメージとは全然違っていて、「日蓮宗はあの世ではなく、圧倒的な革命パワーでこの世を天国にしたいのか!」と度肝を抜かれたものだ。同志諸君、歩けるうちに「万灯練り行列」は見ておくべし。
日蓮宗の在家信仰団体としては霊友会、立正佼成会、創価学会などがあるが、寺より団体重視で「古人の霊を慰める葬式仏教ではなく、この世の信者のこの世の幸福を願い行動する」傾向があるようだ。お釈迦さまの思想の原点は「物欲を離れ清貧を良しとし、心静かに平穏を求める」だろうが、なにやら日蓮宗は現世利益(げんぜりやく)を強く求めているよう。
日蓮宗本光寺(千葉県)のサイトには「現世利益とは、神仏の教えを信じ受持し、供養・布施など宗教的善の行いをした果報として、現世において無病息災・招福等の利益を受けること。現益、現報ともいい、『功徳を受ける』などともいう」とある。功徳、利益、物欲重視なのか?
小生のような「欲少なく足るを知る、足るを知りて分に安んずる」(知足安分、最初期の仏経典「スッタニパータ」にあると後に知った)を良しとする者から見ると日蓮宗の教えはナンカナー、仏教の原点、原書と離れ過ぎているよう。
日本の仏教は「十三宗五十六派」と言われ、素人の小生には違いは分からないが、日蓮宗は「異端」という印象を受ける。特に在家信仰団体は宗教というより「この世の天国」を看板にした詐欺師独裁のマルクス・レーニン主義に似ている気がするが・・・「スッタニパータ」に曰く、
<世の学者たちはそれぞれの見解に固執して、互いに異なった執見(執着)を抱いて争い、「我は真理への熟達者である、非難する者は未熟、愚者である」と称する。それぞれの学者がそれぞれの執見をいただいて、これが真理だと論争する。
本来、真理は一つであって、それを知った人は争うことはない。世の中に多くの異なった“真理”があるけれども、永久に存在することはない。それぞれが「我が説は永久の真理、我は賢者である、他者の説は愚者の虚妄に過ぎない」と想像しているだけである。それであるならこの世は愚者ばかりになってしまう。
一方的な立場から世の中であれこれ論争をなす。「我こそ正義」といった偏狭な断定を捨てれば、世のなかに確執を起こすことはない>(中村元著「原始仏典」から)
我が母は「人は好き好きケナスは野暮よ、好きなお方の好きにさせ、イワシの頭も信心から」とよく言っていたが、幸いにも日本人の多くは宗教、宗派に拘泥しない。仏教界での争いは日蓮宗系の「日蓮正宗 vs 創価学会」でドタバタがあったが、今は絶交して決着したようだ。
それにしても日本では大昔から神道、仏教、儒教が併存しており、明治初期の廃仏毀釈騒動以外は大きな確執は聞かないから、居心地が良い結構な国である。世界中が多神教になれば戦争や対立は激減するのではないか。神道は勇武、仏教は寛容(癒し、優しさ)、儒教は知恵を教えてくれる。
日本は地震・津波が多く、これという自然資源がない小さな島国だが、海に守られ、政治経済社会が安定した良い国である。しかし好事魔多し、この日本は今、中露朝による侵略という大難を迎えている。次代に良き日本を手渡すために我々は中露朝の侵略を何としても撃退しなければならない。
古人曰く、天は自ら助くる者を助く、撃ちてし止まん、中露朝の牙を抜くまで戦い抜かなければならない。核兵器を含めた軍事力の強化、核シェルター建設や燃料、食糧の備蓄、電力、通信などのライフラインの強靭化、徴兵制度の導入など課題は山積みだ。
「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し。皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」。しかし、戦意はあっても兵器と準備と訓練がなければ亡国は免れない。
中露北から見れば、欧州戦線で手一杯の米軍はアジア太平洋では及び腰になるだろうし、また、今の日本は危機感が乏しく準備と訓練がなっていないから、侵略開戦の絶好機である。中露北にとって天祐の好機到来、今がチャンス! 1か月間の電撃作戦で一気に日本を制圧するだろう。
まず中共は米国アラスカ州(例えば人口3万の州都ジュノー)と日本の東北の小さな都市(例えば人口3万の山形県長井市)に核ミサイルを撃つ。「事故で、原因を精査中」と言っておけば日米は反撃できないし、そもそも米国は核兵器で報復すればエスカレートしていくから、それを恐れて何もできない。日本はただオロオロして「強く抗議する」だけだ。遺憾砲 撃ちまくっても 効果ゼロ、ただの暗愚。
中共は、続いて東京に近い川崎か市川あたりに核ミサイルを撃つ。これまた「事故で、原因を精査中」と中共はしらばっくれる。米国は本土への核攻撃を恐れ、在日米軍を日本から撤収させるのに精一杯。これで日本は完全に降伏し、「東海倭人自治区」になる。
自前の核兵器=抑止力を持たないということは、鉄砲の攻撃に対して刀と槍と弓で戦うようなものだ。それを承知で核武装に反対する者は中露北を「この世の天国」と信じている反日教のアカである。我らの内なる敵を排除し、全力を挙げて核武装など戦力を強化すべし。
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“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」64/通算496 2022/7/7/木】いよいよお迎えが近いのか、あれも書きたい、これも書きたい、書いて納得したいと焦るのだが、モノを書くというのは心技体がそれなりに高揚しないと難しい。
山登りみたいに最初の一歩を踏み出せばヒーヒーしながらも何とか上を目指し、体もそれに慣れていくのだが、その「最初の一歩」を踏み出す気にならないというか、気力が起きない、勃起しない、面倒臭い、「別に仕事じゃないし、締め切りがあるわけじゃないんだし・・・」などとグズグズしてしまう。
加齢とはそういうことだろうが、傘寿を越えても加瀬英明先生(1936年生、86歳)、髙山正之先生(1942年生、80歳)は現役バリバリで活躍しているから、71歳の小生も好奇心と緊張感をそれなりに維持して、後2、3年は言論界の端っこでウーウー唸っていたいものだと思う。ま、天が決めることだろうが、なかなか悩ましい。精神のインポテンツだな。
先だって菩提寺に頼まれて講演し、その際に紀元前500年頃から仏教、儒教が広まった背景には「文字の発明がある」ということに触れたのだが、それ以来、「お釈迦さまはインドで何を語ったか」ということを自分なりに勉強してスッキリしたいと思うようになった。
また支那経由で日本に広まった仏教、特に日蓮宗が法華経(南無妙法蓮華経)、サンスクリット語で「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ(白蓮華のごとき正しい教え)」を「釈迦の本懐にして最高無上」としているのはなぜか、という疑問もある。
サッダルマも鳩摩羅什(くまらじゅう)が中国語訳を支那にもたらしたのは西暦400年前後だが、サッダルマ自体は初期の「原始仏典」にはないから、釈迦没後の数百年後にまとめられたもので、言わば「仏教界の新興宗派」の教えだろう。日本でもそれは長らく注目されなかったようだが、日蓮(1222~1282年)はそれを発掘して「最高無上の教え」として広めたわけだ。
日蓮池上本門寺(東京都大田区)は日蓮宗の大本山だが、開祖・日蓮はここで没した。毎年10月12日晩の日蓮命日法要には「30万人の参拝者が訪れ、約2キロにわたって百数十講中、総勢約三千人もの万灯練り行列が池上の町を練り歩き、深夜にいたるまで賑やかな一日となります」(本門寺)。
小生一家は25年ほど前にこの祭りを見物したが、まるでかつての過激派に似た戦意高揚の大デモンストレーションのようでびっくりした。穏やかな仏教というイメージとは全然違っていて、「日蓮宗はあの世ではなく、圧倒的な革命パワーでこの世を天国にしたいのか!」と度肝を抜かれたものだ。同志諸君、歩けるうちに「万灯練り行列」は見ておくべし。
日蓮宗の在家信仰団体としては霊友会、立正佼成会、創価学会などがあるが、寺より団体重視で「古人の霊を慰める葬式仏教ではなく、この世の信者のこの世の幸福を願い行動する」傾向があるようだ。お釈迦さまの思想の原点は「物欲を離れ清貧を良しとし、心静かに平穏を求める」だろうが、なにやら日蓮宗は現世利益(げんぜりやく)を強く求めているよう。
日蓮宗本光寺(千葉県)のサイトには「現世利益とは、神仏の教えを信じ受持し、供養・布施など宗教的善の行いをした果報として、現世において無病息災・招福等の利益を受けること。現益、現報ともいい、『功徳を受ける』などともいう」とある。功徳、利益、物欲重視なのか?
小生のような「欲少なく足るを知る、足るを知りて分に安んずる」(知足安分、最初期の仏経典「スッタニパータ」にあると後に知った)を良しとする者から見ると日蓮宗の教えはナンカナー、仏教の原点、原書と離れ過ぎているよう。
日本の仏教は「十三宗五十六派」と言われ、素人の小生には違いは分からないが、日蓮宗は「異端」という印象を受ける。特に在家信仰団体は宗教というより「この世の天国」を看板にした詐欺師独裁のマルクス・レーニン主義に似ている気がするが・・・「スッタニパータ」に曰く、
<世の学者たちはそれぞれの見解に固執して、互いに異なった執見(執着)を抱いて争い、「我は真理への熟達者である、非難する者は未熟、愚者である」と称する。それぞれの学者がそれぞれの執見をいただいて、これが真理だと論争する。
本来、真理は一つであって、それを知った人は争うことはない。世の中に多くの異なった“真理”があるけれども、永久に存在することはない。それぞれが「我が説は永久の真理、我は賢者である、他者の説は愚者の虚妄に過ぎない」と想像しているだけである。それであるならこの世は愚者ばかりになってしまう。
一方的な立場から世の中であれこれ論争をなす。「我こそ正義」といった偏狭な断定を捨てれば、世のなかに確執を起こすことはない>(中村元著「原始仏典」から)
我が母は「人は好き好きケナスは野暮よ、好きなお方の好きにさせ、イワシの頭も信心から」とよく言っていたが、幸いにも日本人の多くは宗教、宗派に拘泥しない。仏教界での争いは日蓮宗系の「日蓮正宗 vs 創価学会」でドタバタがあったが、今は絶交して決着したようだ。
それにしても日本では大昔から神道、仏教、儒教が併存しており、明治初期の廃仏毀釈騒動以外は大きな確執は聞かないから、居心地が良い結構な国である。世界中が多神教になれば戦争や対立は激減するのではないか。神道は勇武、仏教は寛容(癒し、優しさ)、儒教は知恵を教えてくれる。
日本は地震・津波が多く、これという自然資源がない小さな島国だが、海に守られ、政治経済社会が安定した良い国である。しかし好事魔多し、この日本は今、中露朝による侵略という大難を迎えている。次代に良き日本を手渡すために我々は中露朝の侵略を何としても撃退しなければならない。
古人曰く、天は自ら助くる者を助く、撃ちてし止まん、中露朝の牙を抜くまで戦い抜かなければならない。核兵器を含めた軍事力の強化、核シェルター建設や燃料、食糧の備蓄、電力、通信などのライフラインの強靭化、徴兵制度の導入など課題は山積みだ。
「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し。皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」。しかし、戦意はあっても兵器と準備と訓練がなければ亡国は免れない。
中露北から見れば、欧州戦線で手一杯の米軍はアジア太平洋では及び腰になるだろうし、また、今の日本は危機感が乏しく準備と訓練がなっていないから、侵略開戦の絶好機である。中露北にとって天祐の好機到来、今がチャンス! 1か月間の電撃作戦で一気に日本を制圧するだろう。
まず中共は米国アラスカ州(例えば人口3万の州都ジュノー)と日本の東北の小さな都市(例えば人口3万の山形県長井市)に核ミサイルを撃つ。「事故で、原因を精査中」と言っておけば日米は反撃できないし、そもそも米国は核兵器で報復すればエスカレートしていくから、それを恐れて何もできない。日本はただオロオロして「強く抗議する」だけだ。遺憾砲 撃ちまくっても 効果ゼロ、ただの暗愚。
中共は、続いて東京に近い川崎か市川あたりに核ミサイルを撃つ。これまた「事故で、原因を精査中」と中共はしらばっくれる。米国は本土への核攻撃を恐れ、在日米軍を日本から撤収させるのに精一杯。これで日本は完全に降伏し、「東海倭人自治区」になる。
自前の核兵器=抑止力を持たないということは、鉄砲の攻撃に対して刀と槍と弓で戦うようなものだ。それを承知で核武装に反対する者は中露北を「この世の天国」と信じている反日教のアカである。我らの内なる敵を排除し、全力を挙げて核武装など戦力を強化すべし。
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