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安倍の有事は日台の有事

2022-08-02 07:42:29 | 戦争
安倍の有事は日台の有事
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」76/通算508 2022/8/2/火】今回も「福祉の行き過ぎ」について書くつもりだったが、喫緊の課題である「日本の生命線」台湾について思うところを書く。

小生は1971年、二十歳前後の頃、横浜市大で「現代史研究会」を立ち上げた。メンバーは「バイトでスト破りしていた」右翼(小生と下宿をシェアした親友、極右と極左は相性がいいと言っていた。父親は広島大学教授)、結果的にベトナム赤化を支援してしまったベ平連シンパ(好青年が多い)、サナダムシ戦略で労組や組織を乗っ取ろうという革マル派シンパ(狡猾、上から目線、父親は早稲田大学教授)までいた。

当時、小生は何かの縁があったのか、台湾人の林景明氏の「知られざる台湾」を読み、大ショックを受けた。当時の台湾は蒋介石独裁政権の時代で、蒋介石・国民党一派は毛沢東・中共との内戦に敗れて台湾に逃げ込み、抵抗する台湾人を殺しまくっていた。

林景明氏は蒋介石政権の弾圧から日本に逃れてきたが、自民党政権は蒋介石の言いなりに強制送還を進めており、それに抵抗する氏を支援するために氏の2冊目の著書「台湾処分と日本人」の普及に協力した。

宮崎茂樹(1925~2016年)明治大学教授(法学者、1992~1996年は明治大学総長)著「出入国管理 現代の鎖国」所載「送還を拒否する林景明の叫び」(1970年11月刊)から要点を咀嚼する。

<林景明は1929/昭和4年、両親と同様、日本国民として生まれた。彼の祖父の時に台湾は日本領土となり、日本政府は同化策として日本式の行政、日本人としての教育を進め、姓も日本風に改めることを推奨した。林景明は「林田」姓を名乗っていた。

戦時情勢が緊迫すると、中学3年以上は学徒出陣したが、林景明も台湾第13863部隊に入隊し、日本軍の一員となった。

彼が15歳の時に敗戦となり、陸軍一等兵として復員すると間もなく、台湾は蒋介石軍の占領下におかれた。中国軍は「台湾人は敗戦した日本国民ではなく、戦勝国の中国国民だと宣伝し、台湾人も次第に玉音放送で流した涙を払って“祖国”の軍隊の到着を待った。

ところが、やって来たのは、自分たちとは言葉も通じない新たな征服者で、その人たちが行政機関、民間企業の主要なポストを独占し、台湾人は依然として下働きを強いられた。

1947年2月28日の反占領軍闘争(2.28事件)に一斉に蜂起した台湾人は、大陸から差し向けられた大軍によって数万人も虐殺され、1948年には戒厳法が施行され、1949年には刑法の内乱罪に該当するものは一切死刑とする旨の懲治叛乱条例が施行された・・・

林景明は言う。「牢獄には思想犯が充満し、逮捕の自由、拷問の自由、脅迫の自由、殺人の自由」はあっても、抗議の自由はおろか、言論の自由すらなく、特務警察網が徹底的に張り巡らされた警察政治、特務政治、専制政治、独裁政治、暗黒政治の“島獄”だ」

林景明は、島全体が監獄で、島民全体が自由を奪われた囚人のような台湾から脱出し、1962年、酪農を日本で研究するという名目で渡日し、台湾独立運動に参画するようになった・・・

1969年の暮れが迫った頃、林景明の訪問を受けた。まだ仮綴じにもなっていない、印刷所から刷り上がったばかりの見本刷り「知られざる台湾」を手にしてページを繰りながら、私は様々な感懐をいだいた。

戦前、満州、中国、台湾を訪れ、戦後、台湾から日本を訪ねる留学生の青年たちから台湾の状況を聞き、1967年の暮れには再び台湾を訪ねた狭い体験からも、日本人が「人間らしく生き」他の人々を「人間として扱う」という点で、本質的に誠実だったろうか、という疑いを持った。

戦前の満州、中国大陸、台湾、朝鮮などでの出稼ぎ根性をあらわにした行動、終戦時やサンフランシスコ平和条約締結時の沖縄、千島、台湾、朝鮮の人々に対する冷淡な態度、最近エコノミックアニマルとして東南アジアで現地の人達から非難されつつある行動などに共通するものとして、日本人には人間の尊厳、人間の平等、人間の尊重という国際人権の意識において欠けるところがあるのではなかろうか、そしてそれは、国内政治や社会生活の中にも共通の弱点となっているのではないか、と恐れずにはいられない。

この弱点は、強者にへつらい、弱者に高圧的となる心情である。日本人がこのような心理、心情を克服して、いかなる場合にも「人間らしく生き」、他人を「人間として扱う」人権意識を体得し、具体的行動でそれを表すことのない限り、世界で真の信頼を獲得し、名誉ある地位を占めることは永久に不可能ではないかと私は考えた。

林景明の著作を読んで感銘を受けたのは、その著者がこのような問題にまで、自己の体験を通じて日本政府(入国管理局)に対して回答を迫ったいることを感知したからである。それは日本国民全体に対する問いかけなのだ>(以上)

小生もその「問いかけ」に敏感に反応した一人だ。義を見てせざるは勇無きなり、三つ子の魂百までも、猪突猛進、吶喊小僧の単純脳・・・「林景明氏を救うべし!」。

しかし、学友の反応は冷たかった。革マル派シンパの奴は「台湾? あれは中国の領土だから日本とは関係ない」、けんもほろろ。人間としての「情」がない。1971年当時の小生は無知蒙昧で反論できなかったが、当時の日本人の多くは高度成長で日本全体が浮かれ、かつての同胞である台湾人への関心も非常に薄かったようだ。

1945年の敗戦で、日本は50年間、心血を注いだ台湾近代化統治を放棄させられたが、当時の台湾人(先住民と主に中国福建省あたりからの移住民の末裔)もまた50年間、日本という異民族の支配の是非に揺れていた頃で、敗戦直後は「中国への復帰」への期待感もあった。結局「良い予感は外れ、悪い予感は当たる」、蒋介石一派に台湾を強奪されてしまった。

なお、WIKIによると、宮崎茂樹氏は1945年陸軍士官学校卒業、1945年近衛歩兵第9連隊入隊(小生の父も近衛兵だった)、陸軍少尉。1947年公職追放(1951年に解除)。

父親の宮崎繁三郎は陸軍中将で、台湾軍高級参謀兼参謀本部附香港駐在武官、台湾軍高級参謀(台北駐在)、ノモンハン事件従軍、インパール作戦従軍、終戦(21日終戦詔勅受領)。「その後ビルマの収容所に収容され、イギリス軍の捕虜となっていた時には、部下が不当な扱いを受けても決して泣き寝入りすることなく、その都度イギリス軍に対し厳重な抗議を行って部下を守った。戦いを終えて捕虜となっても、宮崎は指揮官としての義務を決して放棄しなかった。1947年5月に帰国――とある。

林景明氏が宮崎茂樹氏を頼ったのは、父親の繁三郎が台湾軍高級参謀であったことに寄るのかも知れない。その林景明氏はやがて消息を絶ったが、杳(よう)として行方は知れず、恐らく日本政府により台湾へ強制送還され、蒋介石によって殺されたのかも知れない。王育徳著「台湾 苦悶するその歴史」末尾の台湾史年表の1970年のところに「台湾独立連盟発足(1.3) 林景明「知られざる台湾」出版(1.15) 彭明敏、台湾を脱出(1月) 連盟員黄文雄、鄭自才、訪米中の蔣経国を狙撃(4.24)」とあるのみだ。

ロバート・D・エルドリッヂ政治学者・元米海兵隊太平洋基地政務外交部次長「安倍元首相が『台湾と日本の将来』について最後まで思い詰めていたこと――『台湾有事は日本の有事』」から。

<【第一報】7月8日金曜日、安倍晋三元首相が無残にも暗殺された日、永田町へ出張し、自宅に戻った。安倍晋三元首相が狙撃されたという知らせを受けたのは、閣僚経験者を含む彼の同僚の現・元国会議員たちと一緒の時だった。死亡が公式に発表されたのは5時間後だったが、私たちは直感的に瀕死の状態であることを察知した。

その夜、関西に戻ると、不在中に届いた安倍元首相の参議院選前最後の大演説が掲載された日本語の安全保障専門誌が机の上にあった。ウクライナ戦争、日本の防衛政策、台湾の3つをテーマにしたものである。この3つのテーマは、読者の皆さんもすぐにお分かりのように、非常に密接に関連している。

7月11日に予定されていた自分の講演を前に、名古屋までの新幹線の中でこの雑誌に掲載された彼のスピーチを読んだ。実は、安倍元首相は5月にも同じ会場で基調講演者として講演していた。

講演に先立ち、主催者側が黙祷を捧げてくれた。 多くの人が喪服で出席しており、安倍元首相がとても尊敬されていることがよくわかった。

私は台湾と日米同盟についての講演の中で、安倍元首相について何度も言及した。冒頭で、私は、安倍元首相が、今年2月に出版された渡辺利夫著『台湾を築いた明治の日本人』(産経新聞、2020年)の英訳版(“The Meiji Japanese Who Made Modern Taiwan”, Lexington Books, 2022)の推薦文を快く書いてくれたことにも言及した。

また先月には、安倍元首相を深く悩ませていた、中国に有利なってしまったパワーバランスの変化を踏まえて日米同盟を見直す必要性について書いた私の最新刊(『中国の脅威に向けた新日米同盟』、青林堂、2022年)を、実弟の岸信夫防衛相にも贈った。安倍氏は私の他のプロジェクトにも協力的で、選挙後に一緒に仕事をするのを楽しみにしていた。

【「力」を「正義」に勝たせてはいけない】安倍元首相の暗殺は、個人的な損失であるだけでなく、国や世界、特に台湾にとって大きな損失である。

台湾が直面している状況は、少なくとも1950年代以降、過去にない深刻なものであることは間違いないだろう。中華人民共和国は、戦略的に重要な第1列島線の中心に位置するこの島国を孤立させようと懸命に努力してきた。

台湾は現在、国連加盟国13カ国、国連総会のオブザーバー国であるバチカン市国としか外交関係を結んでいない。私はよく聴衆に、ウクライナがロシアに侵攻されても戦えるのは、国際社会から国家として認められているからだとよく指摘する。

国際社会が台湾との国交樹立を急がなければ、中国が台湾を支配することになる。「力」が「正義」に勝つのだ。これは誰にとっても悪いことであり、特に日本にとって悪いことだが、日本だけに限定されるものではない。

したがって、台湾を守るための第一歩は、国際社会が台湾との完全な国交を再樹立することである。中国は、台湾を自国の一部とみなし、民主的に選ばれた政府を「分離主義者」で埋め尽くしている台湾を攻撃することは、小さな国だけでなく、世界を攻撃していることを理解する必要がある。連帯が抑止につながる。

もちろん、台湾との安全保障関係は強化されるのも望ましい。防衛協力の強化が必要である。合同演習や多国間演習の実施。インテリジェンスの共有。人的交流も必要だ。しかし、その前提として、台湾は自由で民主的な国であり、地政学的に重要な地域であるため、何としても守らなければならない。米国や日本を含め、台湾を承認している国がほとんどないのに、どうして世界はこのように説得力のある言い方ができるのだろうか。

【台湾だけでなく各国にも打撃】世界が今何もしなければ遅かれ早かれそうなるが、中国が台湾を奪取した場合、その影響は台湾にとどまらない。

米国は「台湾を失った」とみなされ、すでにどん底にあるその信用を打ち砕かれることになる。インド太平洋、少なくとも東アジアから追い出される可能性すらある。

日本は孤立し、貿易ができなくなる。中国の人民解放軍海軍といわゆる海上警察隊が日本の船舶や漁船に嫌がらせをし、船の護衛に派遣された海上自衛隊や日本の海上保安庁にもますます嫌がらせをするようになるからだ。

フィリピンも直ちに脆弱となり、一帯一路構想でますます中国の餌食となっている南アジアや東南アジアの残りの国も同様である。太平洋島嶼国、特に台湾を勇気を持って承認し続けている4カ国はどうなるか想像できるだろう。

安倍首相はこのことも理解していた。だからこそ、「台湾有事は日本の有事」という名言を残したのだ。

それだけではない。台湾の有事は世界の有事でもある。台湾は活気に満ちた、自由で主権ある民主主義国家である。民主的に選出された指導者と議会を持ち、自国の領土を管理し、有能で専門的な軍隊を持ち、独自の通貨、パスポート、文化、言語を持っている。法の支配を尊重している。国民は高い教育を受け、国際的である。経済は先進的で繁栄しており、技術革新が評価されている。

挙げればきりがないが、要するに、台湾は地域経済や世界経済に高度に統合された先進国なのである。台湾を孤立させれば、あるいは関係するすべての国にとって関係拡大が意味する可能性を利用しなければ、台湾だけでなく取り残された各国にも打撃を与えることになるのだ。

【台湾には時間がない】安倍元首相はこの春に発表した論説で、「ウクライナを見舞った悲しくもいたましい人類史の惨劇は、台湾をめぐるわれわれの決意には、そして自由と民主主義、人権と法の支配を大切に思うわれわれの決意と覚悟には、一点の疑いも抱かせる余地があってはならないことを、苦い教訓として与えてくれたのだと思う」と述べた。

中国当局は安倍元首相の寄稿を強く批判したが、これは驚くには当たらない。中国には自由も民主主義もなく、人権も法の支配も尊重されていないからだ。

さらに、安倍元首相は冒頭で紹介した演説や前述の論説で、米国に対し、40年にわたる台湾に対して「戦略的曖昧政策」をやめ、「誤解の余地がない、解釈に幅のない」ステートメントを発出すべきだと呼びかけた。

そして、「同政策は、米国が十分に強く、中国が軍事力で米国に対してはるかに見劣りした間は、極めて有効に働いた。そんな時代は、終わりを告げた。いまや曖昧政策は、北京には米国の決意を見くびらせ、台北にはいたずらな不安を抱かせることで、地域に不安定を育てているといえるのではないか」。

その通りだ。これは勇敢でしかも必要な要求だった。幸い、バイデン米大統領は、その約5週間後に来日した際、安倍元首相の要求に応えたようで、5月23日の岸田文雄首相との共同記者会見で、「米国は台湾を防衛するのか」という記者の質問に答えた。Yesと彼はっきり言った。「それは我々が約束したことだ」と付け加えた。

私は彼がそれを実行することを願っている。バイデンは大統領就任以来にも同じような発言をしている。

安倍元首相は、台湾に時間がないことを知っていた。だからこそ、首相退任後、台湾政府関係者との交流を深め、日本のすぐ南の隣国のために発言することが多くなった。そして今月(7月)にも訪問する予定だったそうだ。

自由で、安全で、豊かな台湾が世界に存在し続けることができるようにするために、安倍元首相が運んだ松明を引き継ぐのは、他の与党議員や世界中の友人や同盟国次第である。松明を絶やしてはいけないと願っている>(以上)

安倍氏の死は「死に体」だった日本のアカどもを喜ばせている。中露北も大喜びだろう。保守派の多くの人が思っているように、安倍氏に代わる人材は今のところ見当たらない。優れた論客、言論人はいるけれど、政治と論壇は別の世界だ。

英国のチャーチルは彼自身が「成功とは意欲を失わずに失敗に次ぐ失敗を繰り返すことである」と言っているように、戦争や外交でパッとしない政治家だったらしいが、第2次大戦では日本のために多くの植民地を失いボロボロになりながらも、ヒトラー・ドイツの英本土侵略に屈せず戦勝国になり、「危機の時代が産んだ名宰相」と評価された。

「敵に勝ったところで以前のように領土を増やして搾取する時代ではない、敵の牙を抜き、兎にも角にも負けなければ良しとする」というのが第2次大戦後の西側陣営の戦争作法になった。戦勝しても割に合わない。

ところが中ソなど共産主義独裁国は相変わらず領土拡張に意欲を持っている。人権意識ゼロだから敗戦国を奴隷化、植民地化することにまったく抵抗がない。自国の末端の兵士や民の命さえも只の消耗品である。戦争に勝つことで領土が広がり、支配階級の安全が向上し、懐が潤うのであれば開戦に躊躇しない。

台湾は日本の生命線だが、「安倍の有事は日台の有事」になった。習近平とプーチンにとって日台侵略、アジア・太平洋制覇の絶好の機会である。日台侵略の開戦は明日かも知れない。危機の時代には危機感をもった指導者が現れる・・・とドイツ国民はヒトラーに期待し、失敗した。今の日本に中露北の侵略を撃退し、地球から共産主義独裁を一掃するリーダーが現れるか?

一緒に祈りましょう、一口1000万円・・・詐欺師ばっかり。ひとり一人がリーダーになる覚悟、最前線の将兵として戦う覚悟を固めれば道は開けるのではないか。三島は半世紀早すぎた。時代が人材を生むなら、今がいい時期だと思うのだが・・・
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