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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(136」

2021-01-14 19:49:18 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(136」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/233(2021/1/14/木】雲一つない冬晴れ、チャリ散歩は快適で気分が良かった。帰路に緑化センターで園芸用の土を15kgほど貰い、久し振りに庭を手入れした。雀たちも久し振りの暖かい日射しを喜び、水飲み場で勢いよく羽をバタバタさせて水浴び、まるで噴水ショーみたい。孤老は雀の腹を満たし、雀は孤老の無聊を慰める、WinWinだが、サンダルに糞を落とすのは堪忍や。


雀は食が細く、2、3分ほど食べると一旦、餌場から離れる=餌場を譲る、すると二番手が餌場にとりつく、二番手も満足して去ると三番手が来る、その次は一番手がまた食べ始める、という具合。大人、青年、子供と序列はあるようだが、群全体がほぼ公平に餌にありつく。


満腹の時は皆が満腹、足りないときは皆が不満、皆が我慢。餌(富)の偏りがないから争い事もあまりなく、1ファミリー10~16羽あたりだが、餌場にはあちこちからファミリーが集まって来て50羽、100羽、時には150羽ほどの群をなすことがある。雀は攻撃力はほとんどないのだが、3羽とか6羽あたりで行動する強そうなムクドリやヒヨドリも、この雀の大群を見ると攻撃する(追い払う)気力が失せるようである。


雀は好きな餌(ヒエ、アワ、キビ)から食べ始め、その他の餌(ごはん、パン、麺類など)はくちばしで散らかす(排除する)。その排除され餌場から時々下に落ちた餌を格下の雀やハト、ヒヨドリが食べる。ハトやヒヨドリは雀とWinWinの関係なのだが、ハトとヒヨドリはライバル関係で、ハトはヒヨドリを威嚇することが多い。


雀の主敵はカラスだが、雀は怪しい鳥を見つけると警報を発するのか、ものすごい勢いで藪に隠れる。1秒、遅くとも2秒、一瞬である。カラスは大きすぎて藪に入れないし、藪に隠れた雀はまず目視できないから攻撃しようがない。藪は完璧なシェルターだ。


日本は敵を叩く攻撃力が弱い、防衛力も弱い、シェルターもない、攻撃されたら速攻で白旗を掲げるしかない。米国という同盟国(≒宗主国)はあっても、米国自体が襲われたり威嚇されているときに日本(≒子分)を救うことは優先順位が当然低い。隣家が火事で助けを求めても、自宅が類焼しそうなら自宅を守るのが最優先、それは当たり前だ。


小生が中共軍トップなら2週間で日本を制圧する。千葉市、さいたま市、川崎市に核ミサイルを撃つ。奇襲攻撃だ。「3日以内に降伏せよ、さもなくば次は東京、横須賀、沖縄を攻撃する」と威嚇すれば即座に日本は降伏する。米国はなす術もなく在日米軍は速攻でグアム、ハワイ、西海岸に撤退するだろう。


日本が降伏したら東京、名古屋、大阪、福岡からブルジョワやインテリなど腐敗した日本人を東北に追放し、農林水産業に従事させる。開拓民、奴隷、追放刑だ。令和版の斗南藩。日本属国化にあたっては中共本土から2000万の党員、将兵、職能人を4都市に送り込み、政経軍統治を始める。2Fの友好人士や日共、立民、連合などの使える人材は起用する。自衛隊は支那人を妻とする者を中心に中共軍幹部に登用する。


「どうです、習近平同志、私もまさかこれほどスムーズに落とせるとは想定外でした。日本鬼子は80年も米国のポチでしたから占領慣れしているので、上に政策あれば下に対策あり、早速我が国庶民の知恵を身に着けて蓄財に励んでいますよ。真正面から抵抗したのは我が国を嫌って日本国籍を取った連中ですが、間もなくすべて片付くでしょう」・・・


日本が覚醒し、核兵器を持たなければ上記のストーリーになる。中西輝政氏の論稿「日本核武装の議論を始める秋」から要約する。


<北東アジアで核兵器を持たない国は日本だけである。中露米朝(統一朝鮮)の核保有国の谷間に日本はたった一人でうずくまっている。


国家は強烈な生存本能を持った生き物である。自らが決定的な弱者で、何の対応策も持たない場合、ちょっとした国際危機においても国民は理性を失い、パニックになる可能性がある。突発的に物事を決め、「悲劇への道」に迷い込む危険性を孕んでいる。


有事の際に冷静さを保ってサバイバルを確保するには、有事以前に好ましくない事態をも直視し、核問題についても具体的な選択の可能性を考えておかなければならない。


核保有については四つのタイプの国がある。1)NPT(核兵器不拡散条約)で核保有が認められている5か国=米ロ中英仏。2)インド、パキスタンのようにNPT外の核保有宣言国。3)秘密裏に核保有していた南ア、大量の核保有が確実視されるイスラエルなど。4)「ならず者国家」の北、イランなど。


この他にブラジル、アルゼンチン、スイス、スウェーデンも核保有の方針を持っていた。スイス、スウェーデンはいつでも核兵器を完成できる段階まで開発は終わっており、有事に備えている。


冷戦終結後、米ロ協調の動きがあったものの、プーチン政権以降、米ロは対立時代に戻っている。欧州は米国に依存しなくて済むような態勢を整え始め、とくにフランスは1990年代から核兵器の再整備(最新化)を強行した。シラク仏大統領は世界中の反対世論や仏製品不買運動をものともせず、南太平洋で核実験を繰り返した。


当時の日本は「ポスト冷戦、平和の時代」と信じ、さらに重度の「平和ボケ」にかかっていたから、時の大蔵大臣の武村正義などはアロハシャツを着て南太平洋にまで行ってフランスの核実験反対デモに参加した。これをテレビ放映され、国際的な失笑を買っている。牧歌的というも愚かな「夢うつつ」の時代を日本は過ごしていたのである。


日本人の「平和ボケ」はあまりにも重症だった。当時、中国も大規模な核実験をしていたにもかかわらず、日本のマスコミはほとんど報じなかった。しかも中国の核実験はフランスのそれとは比べ物にならない重大な意味を有していた。米国の核抑止力に深刻な問題を生じさせるものだったからである。


中国の多弾頭大陸間弾道ミサイルは一本のミサイルから核弾頭が複数発射され、一発はニューヨークに、一発はワシントンDCに落とすこともできる。日本の「平和ボケ」は罪深いダブルスタンダードだったと言わざるを得ない>


ドゴールの核武装論など国際政治哲学、バランス・オブ・パワー(戦力均衡)外交はシラクに引き継がれ、今はマクロンが独メルケルを上手く操縦しながらフランスはEUの盟主としての存在感を増している。前回に続いて伊藤貫著「歴史に残る外交三賢人」から学ぼう。


<ドゴールの「国際政治の多極化戦略」の続き。B)米国が中ソに対して批判を繰り返していた冷戦当時、ドゴールは「西側諸国はロシアや中国とデタントすべきである」と主張していた。中ソの政治イデオロギーよりも「国際社会の勢力均衡維持」の方が重要なのであった。中ソは米国帝国主義をカウンター・バランスするのに役立つ国であった。


C)米ソによる二極支配体制を解体してヨーロッパの自由と独立を回復するためには、域内の経済力と軍事力を団結させて「西欧を独立した国際政治の極とする」必要があった。この「国際政治に第三極を創る」ために、ドゴールは仏独協力の深化と、米国支配下のNATOとは別組織の欧州独自の軍事体制を確立する必要性を提唱した。


しかし「欧州独立プラン」は失敗した。米国は仏独を離反させる露骨な内政干渉をしたからだ。


ちなみに米国は日本の政界、官界、マスコミに対しても内政干渉をしてきたが、米国は敵国であったドイツと日本を真の独立国にしたくないのである。日独が自主防衛能力を持つ真の独立国になると、米国は欧州と東アジアにおける覇権を失うからである>


日本がぼやぼやしているとインド太平洋は「犬去りて豚来たる」、米国は嫌な野郎だが番犬としては役立った、ところが中共は貪欲に餌をあさるだけで無為徒食、全然役立たない、ということになる。それどころか多くの国がそれなりに享受している自由民主人権法治を一党独裁に変えるのだから最悪の地獄になるだろう。6億もの中共貧困層をインド太平洋にばらまくつもりか、「お前らは好き勝手に生きろ、お前らの天下だ」と。


今日の産経に石平氏のユニークな記事があった。<今月1日、中国共産党機関紙、人民日報の1面に恒例の習近平国家主席の新年祝辞が掲載された。それを丹念に読んでいくと、異変が起きていることに気がつく。これまでの新年祝辞に必ず登場していた「一帯一路」という言葉が今年の祝辞から完全に消えたということである>


一帯一路は習近平の最大の看板政策だったが、あまりにも杜撰で不公正、かつサラ金並みのえげつなさで、評判はがた落ち。2020年7月にパキスタンのカーン首相は「発電所建設に際して中国企業がコストの水増し請求などの不正行為を行った」と中国を非難した。こうしたトラブルは随分多い、多過ぎる。


国内の貧困問題さえ解決できない中共が、インド太平洋制覇を目指すのは、ただただ習近平の「毛沢東に並びたい、名君として歴史に名を刻みたい」という名誉欲、邪心による。生きているうちにそれを達成したい、と無理を通していけば周辺諸国の反発を招き、中国は孤立するばかりだろう。


伝統的にパンダハガーの民主党バイデン米国はカネにつられて対中融和策を取り、台湾、香港、尖閣などでの中共の横暴や侵略行為を容認するかもしれない、と危惧する識者は随分多いようだ。そうなれば米国も中共と同様に国際社会からの信頼を失うことになる。


もしかしたらWW2の遺産のような国連(連合国機構)自体が消えて、EU、アジア連合、北米連合、南米連合、アフリカ連合、中東連合といった、地域に根差した連合になっていくかもしれない。神ならぬ常任理事国の拒否権付き5か国で世界の安保を管理するというようなシステムは寿命を終えたのではないか。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp



雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(135」

2021-01-13 08:48:46 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(135」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/232(2021/1/13/水】有楽町、銀座、新橋、虎ノ門、新宿・・・現役時代は月水金はその辺りでよく飲んでいた。基本的に場末とか裏通り、陋巷の居酒屋、小料理屋だった。気の置けない、安くて美味い、窮屈な、庶民の店。一人あたり3000~4000円、上司と行けば上司が払う、部下と行けば小生が払う。会社が気前よく接待交際費で処理してくれたから助かった。


酔った勢いでソープやラブホまで行って、一晩で給料がパーということもあったが、酒飲みに甘い時代だったからバカにされるどころか「豪傑」として上司から褒められたものである。上司は仲人になってくれた。


起業してからは顧客の接待もありバカに拍車がかかって毎晩飲み会。今から思えば変な時代だが、出銭入銭、カネが滞留せずによく動いていた。バブルを挟んだ1975~2001年の25年間はまずますイケイケドンドン、1995年前後からアナログからデジタルへの大革命で、昨日まで原稿やデザインは手書きだったのに一気にキーボードとマウスになった感じ。それに付いていけなければ仕事にならないのだから、銀行から金を借りてでも最新式にしていくしかない。ジャブジャブ借りてジャブジャブ使う、そういう時代だった。


アナログ時代は、原稿を書き終えてどうにか締め切りに間に合わせ、出版社に届け、そして担当者や美形のお嬢さんと陋巷の飲み屋に行く、という人間臭い接触が主流だったが、デジタル化でそれらがなくなった上に、「お先に」と退社した後もケータイ、スマホで追いかけられるから、ずいぶん無粋な世の中になってしまった。ま、舞台下手に去る老人の愚痴だが・・・


荷風の「墨東綺譚」を評論家は「作者の反時勢的な文明批評と陋巷(ろうこう)・狭斜(きょうしゃ)趣味とが渾然一体となった、昭和期の代表作」と評しているが、「狭斜」とは何か。


「もと、中国長安の道幅の狭い街の名で、そこに遊里があったところから花柳街、遊里、色里、色町。狭斜の巷(ちまた)」


陋巷狭斜、裏通り、小生は好きだなあ、ほっとする、暖簾をくぐると「お帰りなさい!」と出迎えてくれる小料理屋・・・北京などでもちょっと裏通りに行けば昔の四合院(しごういん、伝統的家屋)、陋巷狭斜の趣が残っていると聞いたことがあるが、新宿の歌舞伎町、小便横丁みたいに怪しいディープなところもあるのだろうか。人情を知らないガサツな習近平に一掃されたのかも知れない。ところがハイテク都市の深センには東京のドヤ街「山谷」みたいなところがあるという。


<山谷(さんや)は台東区北東部にあった地名。現在の清川・日本堤・東浅草付近を指した 。一時期、遊廓が置かれたことから、吉原遊廓を指す場合もあった 。安宿が多かったことから労働者が集まるようになり、台東区・荒川区にある寄せ場(日雇い労働者の滞在する場所、俗に言うドヤ街)の通称として使われる様になった>(WIKI)


「山谷ブルース」という歌も流行ったっけ。小生は2007年あたりに仕事で山谷のスーパーシマダヤ日本堤店にはよく行ったが、一帯はドヤ街の風情というかゴミだらけの汚さは健在だった。しかし元・日雇い労働者の老人ばかりが目立ち、生活保護の人は簡易宿暮らし。一方で生活保護を受けられない(戸籍がない?)人は街路でゴロゴロしていたが、ゴロゴロ派の多くは朝から酔っぱらっているようだった(カネをどうやって工面しているのか?)。山谷の全盛期はそれなりに活気があったのだろうが、2007年あたりは「腐食して朽ちつつある町」の風情だった。


この山谷の“中国版掃き溜め 青春バージョン”のような陋巷が安田峰俊著「さいはての中国」で紹介されている。いやはや絶望地獄、凄まじい。以下は要点。


<深セン市郊外の景楽新村、現地にある「三和人力市場」という職安の名をとって「三和、サンホォ」と呼ばれている。


かつての深センはさびれた小都市だったが、改革開放政策を提唱したトウ小平の肝煎りで経済特区に指定されると、先進地域の香港に隣接する地の利を生かして急速に発展した。習近平の父、習仲勲の功績も大きく、晩年に彼の隠居地ともなったことから、習近平ファミリーとの縁も深い。(修一:習近平の妻と娘は隣町の香港に友人が多いため、習の香港弾圧を許せなかったのだろう)


現在、深センは市民一人当たりGDPが国内主要として1位の金持ち都市だ。2000年以降は産業の主軸をIT・サイバー分野に転換、テンセントなど中国を代表する企業各社が本社を置く。物価もかなり高く、外食する場合は日本よりもお金がかかることも多い。だが、深センにはもう一つの顔がある。


シャープの親会社の台湾企業・鴻海(ホンハイ)の40万人規模の大工場をはじめ、エプソン、ファーウェイ、BYDなどの生産拠点が多数あり、製造ラインを担う短期雇用の単純労働者を常に求めているのだ。その求人を担う場所の一つが「三和」一帯の職業斡旋所である。


三和の付近では、食い扶持を求める若き求職者たちが中国各地から集まり、スラム街を形成している。中国が貧しかった時代はありふれた光景だったが、近年の深センがスマートな先進都市として名を知られたことで、ギャップの大きさが目立つようになった。


近年、規制されたが、野宿をする人も多かった。三和とは別の職安である海信人力市場の前に伸びる長細いコンクリートの段は、以前は雨露をしのげる野宿所として人気で、冗談交じりに「海信大酒店(海信ホテル)」と呼ばれていた。現在、野宿者の多くは三和から数百メートル離れた龍華公園の周囲に寝泊まりしている。


三和と会心の人力市場がある場所に隣り合った二つの住宅区は、ひとまず宿代を支払える人たちの仮の生活拠点である。一部屋を複数人で用いる1泊15元(240円)程度の簡易宿泊所や、市内他地域の5分の1程度の価格で食事できる安食堂、アングラじみたネットカフェ(ネカフェ)などが軒を連ねている。


踏切上のゲートを越えて区画内に入る。コンクリートの路面には腐ったカップ麺の臭いが漂い、一年中湿気が抜けないせいで青黒い水苔が繁茂していた。昼間でも薄暗い。黒ずんだ壁の建物ばかりの街で、ド派手なネットゲーム(ネトゲ)のキャラクターを全面にあしらったネカフェの看板だけが異常に鮮やかな色彩を添えていた。


この街はいわば「あしたのジョー」や「じゃりン子チエ」に登場した昭和時代の「ドヤ街」の現代中国版だ。それが経済成長を続ける21世紀の中国にもあるわけだ。


多くの20~30代の短期労働者たちは、どんなに貧しくてもスマホを持ち、パソコンも使える。働き先は土木建築の現場よりも、スマホやタブレットPCを製造するデジタル工場が選ばれる。彼らが稼いだ金を注ぎ込む先も、ネトゲやスマホのアプリ課金、オンラインカジノといったサイバーな娯楽が多い。


三和に数十件も軒を連ねる格安ネカフェは、メールの送受信やウェブ検索のためではなく、もっぱらネトゲとオンラインカジノで遊ぶための施設だ。日本のパチンコ屋やゲーセンに近い存在なのである。


「1日働けば3日遊べる――」、若き短期労働者たちは、自分たちの刹那的な生活をそんな言葉で皮肉る。月に2週間ほど、無味乾燥な工場のラインに立って労働に従事し、カネが貯まればサイバー娯楽につぎ込んで、軍資金が切れれば再び工場に戻る。


今なおマルクス・レーニン主義を標榜する共産党政権の下で社会主義国家の看板を掲げつつも、日本よりもはるかに大きな所得格差が存在する中国社会。その低層でうごめく、人生の大部分をデジタルに支配された下層労働者たち。


いわば「サイバー・ルンペンプロレタリアート」が三和には大勢いる>


脳内毛沢東疾患の習近平は建国100周年の2049年にまでに世界制覇を成し遂げ、天安門壇上から世界へ向けてこう宣言するつもりだろう。


「東風は西風を制し、世界はマルクス、レーニン、毛沢東同志の遺志をここに実現した。先人があまたの血を流して目指した世界社会主義連邦はここに成立し、共産主義ユートピア社会へ向けて偉大なる一歩を歩み始めたのだ。右派反動勢力との熾烈な戦いで我々は多くの同志を失ったが、敵は壊滅し、30億の同志は今、朝の太陽のように光り輝いている。新しい世界は我々のものだ、同志諸君のものだ、核戦争に耐えたすべての人民のものだ。世界統一万歳、世界社会主義連邦万歳。私は常に同志諸君とともにある」


まあ、夢を見るのは勝手だが、一寸先は闇。頓死、事故死、近年ではロシア風毒殺や米流ピンポイント爆殺は珍しくないし、習近平の運勢は今年は良くないとか。習同志、世界は日の入りを待っている、三角帽子を頭に載せて、お先にどうぞ。


そう言えばコロナ禍真っ盛りの昨秋、元祖パンダハガーのキッシンジャーは「いまの米中関係はきわめて危険な状態にあり、もし両国がこのまま高まる緊張をうまく管理できなければ、両国は第一次世界大戦時に似た状況へと落ち込んでいくだろう」と発言した。彼でさえ中共に騙されていたのだから世界中の指導者のなかで騙されなかったのは、絶対に人を信じないプーチンだけだったのではないか。蛇の道は蛇、さすが一流の殺し屋、ゴルゴ13並だ。


若きキッシンジャーはドゴールを高く評価していたが、彼はドゴールのどこに感銘を受けたのか。前回に続いて伊藤貫著「歴史に残る外交三賢人」から学ぼう。


<ドゴールの「国際政治の多極化戦略」は以下の5項目であった。


A)米国の覇権主義外交を牽制し拘束する。ドゴールは1960年代のケネディ、ジョンソン両政権の軍事・外交政策を「未熟で傲慢、そして一方的。大国としての責任感に欠けている」と批判していた。特に軽率、浅慮なケネディの一方的な外交政策は、ドゴールに「現在のフランスの自治と独立にとって真に危険な国はソ連ではなく米国である」と確信させた。


特に当時の国際政治にとって全く不必要だった「ベトナム戦争介入」や「キューバ・ミサイル危機」を引き起こしたのは、米国マスコミが“若くてハンサムな英雄”と持てはやしていた未熟で浅慮なケネディであった。(修一:買い物病の妻と娘のイルカ大使を見ればケネディと民主党のダメさが分かる)


米国の傲慢浅薄な覇権主義を拘束するための「国際構造多極化戦略」は「国際関係を安定させるために必要な措置」なのだった>(続く)


あれも書きたい、これも書きたいと思うのだが、体力の劣化で風邪が抜けない、情けない。散歩しなければ気分が晴れないし、散歩すれば鼻水だらだら、背中はゾクゾク・・・気力、根性が続かない、踏ん張りが効かない、そうだ!「廊下は走らない、老化は走ってやってくる」というのはいいコピーだな。


焦らずにマイペース、悠々自適で・・・悠々自適で何をするか、それが問題だ。老化は走ってやってくる、小生の背中に「地獄行き」のラベルを貼ろうとしている、多動老人は書くしか能がない、それが思うようにできない、ああ悔しい、残念無念、不完全燃焼・・・ま、皆そんなものか。


煩悩に苦しまないように天は老人に「呆け」「失神」を賜るのだろうが、正岡子規みたいに正気のまま激痛にのたうち回るというのは今はまずないのではないか。日本では事実上の安楽死が進んでいるようだ(無意味な延命治療は控える)。生き方も死に方もなかなか難しい。「解」らしいものを探し続けるのが人生か。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp



雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(134」

2021-01-11 08:48:11 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(134」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/232(2021/1/11/月】「歴史は繰り返す、最初は悲劇として、次は喜劇として」・・・これはよく耳にする先人の教えだ。初恋は甘酸っぱい悲劇で、ちょっと胸キュン、結婚は短い LoveLove の後は長くてちょっとホロ苦い喜劇か、運が良ければ。


母の姉、小生にとって伯母さんは「足尾小町」と言われるほどの美人だったが、遺品整理に当たった母によると「わたしの結婚は誤りだった」という書置きがあり、「旦那さんにはとても見せられなかったわよ」と言っていた。伯母さんが亡くなってしばらくしてから旦那(小生の伯父)さんは不注意から自宅を全焼してしまった。同居していた末子ともども、その後の消息は聞かない。


先人、先輩の智慧は「人生はあざなえる縄の如し、有為転変は世の習い、待てば海路の日和あり」と教えているが、習近平にはトウ小平・江沢民の「韜光養晦」も馬耳東風か。


<冷静観察、穏住陣脚(足下を固め)、沈着応付、韜光養晦(鋭気や才能を隠して時を待つ)、善于守拙(劣勢時に利口なまねをしない)、決不当頭(決して先頭に立たず)、有所作為(為すべきを為して業績を上げる)>


これは中共の政治家・外交官として改革開放政策に努めた銭其琛(せん きしん、1928年 - 2017年)がトウ小平・江沢民の意をまとめた(あるいは2人に提言した)外交戦略らしい。銭はソ連留学では江沢民と同期のインテリ、文革ではトウ小平同様に毛沢東によって追放されたから同期である。


文革中に中坊で農村に下放された習近平は毛沢東語録と毛沢東選集くらいしか読んでいないようだから「堅持韜光養晦、積極有所作為」なんて理解できないのだろう。同じ村に追放されていた王岐山(現国家副主席)は習近平の先生であったが、まさか「毛沢東は怪しいから気をつけなさい」とは言えない。


習近平は昨年10月、王岐山の側近だった董宏を「重大な法律と党規違反」の疑いで調査していると発表した。董宏は、党中央規律検査委員会のトップを務めた王岐山の下で、幹部の汚職行為を摘発していたという。


カミサンに逃げられ、恩師も叩き始め、自由な資本主義経済を望む経済人なども圧迫し始めた習近平は、現在の国家独占資本主義をも忌避し、ひたすら毛沢東式純粋共産主義に回帰したいのだろう。まるで200万人を虐殺したポルポトのように不純分子を一掃したいのだ。狂気。


福島香織氏「2つの条例改正に見える中国の不穏な動き 統戦条例と党員権利保障条例の改正は何を意味するのか」(JBプレス2021.1.7)から。


<新年早々、中国共産党に関して気になる条例がいくつか修正された。1つは「中国共産党統一戦線工作条例」(統戦条例)、もう1つは「中国共産党党員権利保障条例」だ。これらの条例の修正は何を意味するのだろう。よくよく読んでみると、薄ら寒いものを感じないだろうか。


「統戦条例」は2015年5月に「試行」という形で実施されていたが、今回「試行」という言葉を取って本格的な施行となった。


統一戦線部とは在外華人、在外党員が祖国統一のために力を合わせる作戦、戦略を指揮する部署であり、その目標は具体的には台湾統一や釣魚島(尖閣諸島の魚釣島の中国名)の占領などだ。在外華人工作を指揮して、中国共産党の世界覇権を実現するための世論誘導や大プロパガンダ工作を展開する任務も含まれている。


5年8カ月たった今、思い出したようにこの条例の「試行」の2文字を外し、内容を更新したのは、おそらくは対台湾および在外統一戦線工作任務上の必要性に迫られたからだろう。つまり、台湾統一に向けた動きを中国が本格的に想定して準備しているということではないだろうか。


修正のポイントは、台湾を含む在外華僑への呼びかけで、「台湾愛国統一パワー」「祖国平和統一プロセスを絶えず推進する」という文言が加わっていること。そして「両岸関係の平和発展のための政治、経済、文化、社会基礎をしっかり深める」という言葉が削られたことだ。


これは「現状維持」を前提として、両岸関係を深化させることが基本だった中台関係をドラスティックに変えていく意思が込められているのではないかと想像される。しかも、その任務は中国人と台湾人だけが負うものでなく、世界各国に散らばる華僑・華人も動員されるということだろう。


もう1つは「党員権利保障条例」だ。気になるのが「習近平の新時代中国社会主義思想」と「4つの意識」「4つの自信」「2つの擁護」を書き入れたところだと識者は見ている。


「4つの意識」とは、習近平が2016年に打ち出して党員に求めた「政治意識」「大局意識」「核心意識」「看斉意識」である。看斉というのは訳出が難しいが「見習え」「考えを一致させよ」というニュアンスだ。誰に見習い、誰と考えを一致させるのかと言えば「習近平に見習え」「習近平の考えと己の考えを一致させよ」ということである。


「4つの自信」は従来あった「3つの自信」(中国の特色ある社会主義の道、理論、制度への自信)に習近平が「文化の自信」を加えて打ち出したスローガンだ。「2つの擁護」は「習近平総書記の核心としての地位を断固として擁護すること」「党中央の権威と集中統一指導を断固として擁護すること」を指す。


つまりこの条例は習近平を絶対的で唯一の党の核心として服従を誓え、と全党員9000万人に要求する内容が強調されているのだ。


また新条例には新しい表現がいくつかあり、「悔改」の概念が強調されている。観察期間に「悔改」の態度を見せたら、一定の時間を経て党員の権利を回復させる、という。


また「スムーズな監督管理の方法」のため「党員が闘争精神を発揮することを支持、奨励する」という表現もある。「悔改」はおそらく、文革時代の自己批判のようなものではないか。


監督管理のための「闘争精神の発揮」とは文革時代の批闘(吊し上げ)のようなものではないか。つまり、言葉によるリンチだ。新条例は、文革式の自己批判、批闘による党内迫害を合法化する内容になっているのではないだろうか。


トウ小平が基礎をつくった毛沢東没後の共産党体制は集団指導体制であり、それは文革のような人民を動員した恐ろしい権力闘争を防ぐための知恵だった。習近平が、その集団指導体制を解体して毛沢東のように個人独裁体制の確立を狙っていることは周知の事実だ。


習近平独裁が成立するか否かは、人民解放軍を含めた党員の忠誠を獲得できるか、そして共産党の「秘密の力」と呼ばれている海外華人および「地下党員」をコントロールできるか、が大きな鍵となる。党員を支配し、海外華人・在外地下党員をコントロールする力は、トウ小平の作った集団指導体制による権力禅譲によって受け継がれてきており、目下、習近平政権として掌握しているとされる。


だが、もし習近平が本気で政治局による集団指導体制の解体に動くようなことがあれば、果たして9000万人党員と在外華人・地下党員たちは習近平に従順でいられるか。習近平政権は、そうした従順でいられない人間を徹底的にパージしていくであろう。大粛清時代が始まるということだ。


すでに数年前から文革の再来をささやく人もいるのだが、中国共産党の在り方が根本的に揺さぶられるような大権力闘争が、党員や在外華人を巻き込んだ政治運動や大衆運動を引き起こしながら始まる予感がしてならない。ひょっとすると香港で起きていることの背景には、そうした党内権力闘争の要素もあるやもしれない>


そう言えば香港は習近平の最大の敵であり、かつ今なお人民から「あの時代は良かった」と思慕される江沢民派の牙城だった。昨年からの政変で習は香港の縄張りを奪い取ったわけだ。その代わりに世界からの信用を一気に失った。コロナ禍と香港弾圧の2020年は中共崩壊劇の始まりと記録されるだろう。


中共を包囲戦で経済封鎖すべきだと小生は訴えているが、習近平は孤立しても何とかなると思っているのか。一帯一路であちこちにカネをばらまき布石を打ったから孤立しないと下放坊主は思っているのだろうが、嫁さんにさえ呆れられて逃げられた無知蒙昧の狂人に付き合う国が果たしてあるかどうか。カネの切れ目が縁の切れ目、カネがなければ誰も寄ってこない。


世界で最も取引されている通貨、つまり信頼されている国際通貨は、米ドル、ユーロ、日本円、英国ポンド、豪ドル、カナダドル、スイスフラン、そして中国人民元の順である。GDP世界2位と言ってもアカの独裁国家、中国の信用性は低いのだ。


中共経済・貿易が主要国に忌避されたら、人民元は信用を失うから中共は人民元では輸入できなくなる。だからドル払いになるが、輸出ができないから手持ちのドルはやがて底をつく。「連帯を求めるも孤立を恐れず」という気概は結構だが、14億の民を最低4年間は食わせなくてはならない。


食糧からエネルギー、銃弾まで4年間分を備蓄する・・・今冬、石炭が足りずに発電所がダウンして人民が寒さに震えている中国、つまり豪州産石炭に依存しながら豪州を叩くという、目先のことさえ分からない、およそバカげた習近平一党に戦争の準備ができるのか。


大体、政府が半年分でも備蓄できれば人民はこぞって倉庫から盗み出し、隠匿するだろう。大昔から上に政策あれば下に対策ありの国柄なのだから。そもそも倉庫の管理人、番人のお偉いさんや将校が「戦争が始まるらしい、家族と宗族のために」と、最初は恐る恐る、やがて堂々と略奪、横流しをするのが漢流で、兵士たちもそれを手伝って分け前にあずかるのが4000年の伝統だ。清朝末期に税関をお雇い外国人に任せたら関税収入が一気に4倍になったという(ジョンストン「紫禁城の黄昏」全訳)。そういうのが支那の常態である。


日本が早急になすべきは核兵器など戦力強化、対中連合による包囲網の構築だ。ぐずぐずしていると逆に中共に包囲される。素人でも分かる自明の理だ。国家存亡の危機に際して何をなすべきか、政治家、財界、学界、軍人で司令塔を早急に創り、非常事態宣言を発する時ではないか。それとも再び占領され、「学習能力のない間抜け、所詮は小日本鬼子」と嘲笑されたいのか。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp



雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(133」

2021-01-09 19:23:48 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(133」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/231(2021/1/9/土】正月に帰省した長男坊は「俺、タバコやめた、全然苦痛じゃなかった」と言う。1日に5本ほどだから楽に禁煙できたのだろう。小生は母の介護もあって58歳でリタイアして以来、自室でのんびりパイプタバコを楽しんでいるが、窓の外に顔を出しているのでチト寒い。室内で吸うと大事になるから・・・ま、妥協というか、仕方がない。


贔屓にしているタバコ屋のご主人によるとタバコ売上は激減、「量販店に設置した自販機1台だけで月に200万円もあったのに、今はお話になりません」という。日本たばこ協会によると販売額は1999年(以下年度)の4兆2600億円からジリ貧になり2019年は2兆8063億円に。タバコは税金の塊(62%)だが、税収もついに2兆円を切った。


<2018年度では、総額で1兆9752億円(国たばこ税8613億円、地方たばこ税9891億円、たばこ特別税1248億円)が税金として納められています>


為政者にとってはタバコは「打ち出の小槌」、プカプカやってもらえべ2兆円、国民1人当たり2万円のカネが入ってくる・・・美味しいなあ、手放せない財源だ。


しかし前途は容易ではない。喫煙者の減少を値上げでカバーして2兆円の税収を確保してきたが、これからは1兆円台が当たり前になりそうだ。今はコロナ禍と人口減もあって消費が冷え切っているから消費税も当てにはできない。


かくして国の借金(国債)は増えるばかりだが、「親からカネを借りているようなものだからどうってことない、そのカネで消費を拡大して景気をつけ、インフレにすれば借金は目減りするし税収も増える。財政健全化をごり押しすると角を矯めて牛を殺すことになるぞ」という説もあるから、門外漢の小生も楽観視しておこう。ギリシャやイタリアも生きているし、イザとなれば「預金封鎖並びに新円切替」の奥の手もあるで・・・


神奈川県秦野市の「葉タバコ農家」の次男に生まれた義兄は「葉タバコ生産は結構実入りが良かった。ただ刈入の際に手がべとべとして大変だったなあ」と言っていた。今の秦野というか神奈川県には葉タバコ農家はないようだが、葉タバコは全国的には結構生産性の高い作物らしい。「マイナビ農業」2020年9月2日「儲かる農業 葉たばこ農家の実態とは 安定収入を見込める新たな農業の選択肢に」から。


<農業の中でも、葉たばこというとマイナーなイメージがありますが、北は青森から南は沖縄まで全国至るところで生産されている作物です。注目すべきは、その年の作付け前に価格が決定し、全量買い上げ制度など独自の契約栽培方式を取っていること。その年の天候や生産量などによって、価格が大きく左右されがちな他の農作物にはない特長です。さらに、就農前から就農後に至るまで手厚いサポートが受けることができるのも、葉たばこ栽培ならではの魅力です。


葉たばこの生産では全国トップ10に入る鹿児島県。県本土全域と離島の種子島・沖永良部島で栽培されています。一説によると、日本で初めて葉たばこが栽培され始めたのも今回取材した地、鹿児島県だそうです。高齢化などの問題に伴い、県下の栽培面積は2019年で約404haと減少傾向にありますが、1戸あたりの面積は約2haとほぼ横ばいを保っています。


ここで注目したいのは販売代金(収益)です。1戸あたりの年収は、地域で差はあるものの平均1000万円超。しかも、この収益は種を播く段階から見込めることが葉たばこ生産の大きな特長と言えます。


葉たばこのシーズンが始まるのは、毎年12月。土づくりをした後、1月に種まきをして、3月には畑に定植。5月には、青々と育った葉たばこの葉っぱに栄養が行き渡るように心止(しんどめ、花芽を切り落とす)作業を行います。ここからが収穫のシーズン。下の葉っぱから収穫作業が始まり、上の葉っぱを摘み終える7月末頃まで続きます。


5月から7月までの収穫の時期は収穫後の葉の乾燥作業も同時進行のため、休む暇もないほど忙しいそうですが、8月になると作業は一段落。次の年に向けた畑の耕耘や機械の整備などの準備作業はあるものの、趣味や家族との時間もたっぷり取れるそうです。


このため多くの葉たばこ農家は農地や機械、労働力の空いた時期に他作物を栽培する複合型経営を行い、先を見通した投資をしながら安定した農業経営を行っています>


江戸時代まで国家の基本的な産業は農業中心の農林水産業だった。国民を飢餓から守ることができなければ統治できない。国家秩序は「衣食足りて礼節を知る」が一丁目一番地だ。次いで工業、商業、サービス業へと発展させる・・・そこそこゆとりができると嗜好品も必要になるが、依存性の高い酒とタバコは今でも多くの国で国家財政に必要不可欠な税収源になっているだろう。


ロシアは伝統的にタバコ天国だったが、今は健康オタクのようなプーチンによって随分規制されるようになった。しかし革命から間もない1923~1929年のソ連では喫煙は大いに奨励され、タバコを買うと抽選で馬や牛が当たるといった懸賞付きもあったそうだ。タバコ税が重要な税収源だったのだろう。


<「ファルツォフカ」とはソ連の闇取引のことで、外国製品を手に入れて横流しすること。その闇屋を「ファルツォフシク」といった。これは単なる不正なビジネスではなく、ひとつの生き方であり、サブカルチャーだった。


ジーンズ、ブーツ、その他のおしゃれなアイテムのほかに、闇屋たちは“本物の”ビニール製商品、外国製のアルコール飲料、初期のオーディオシステム、タバコ(とくにマルボロ)、さらにはカラフルなブランド物のビニール製バッグまで商った。政府がそれらのグッズへのアクセスを制限していたソ連では、人々は外国のものなら何でもかんでも貪欲に欲しがった>(ロシアビヨンド2018年5月26日)


そう言えば父が蓄財したのは戦後の米軍座間キャンプ勤務時代にセキュリティガード(警備員)の地位を利用して「ラッキーストライク」を横流ししたことによる。食糧事情が悪い→タバコで癒す、というのは多くの国で共通しているようで、現金並みに換金性が高いのも魅力だろう。


闇ドルというのも世界中で流行した。信用できな自国通貨よりドルなら何でも買えたからだ。「ソ連で米ドルを所有することは違法だったか」(ロシアビヨンド2020年12月2日)から。


<ソビエト市民は1927年に外貨から隔絶された。この年にボリシェヴィキ政権が民間の外貨市場を禁じたのだ。それまではどの国の通貨でも、自由に売ったり、保管したり、送金したりすることができた。そしてちょうど10年後に刑法25条が現れ、ここで通貨取引を政治犯罪に相当する罪とすることが定められた。


ドルを持つことを禁じる理由を、スターリンは次のように説明している。「もし社会主義国家が自国の通貨を資本主義の通貨と結び付けるなら、自立した安定的な金融経済システムを、社会主義国家は忘れなければならない」


違法に通貨を取引した者は、8年以下の懲役刑に処された。1961年にはフルシチョフ政権下で刑法88条が現れ、最低でも3年間の自由の剥奪、額が大きければ死刑(銃殺刑)に処されると定められた。


両替商の取り締まりがこれほど厳しかったのは、禁制の裏で闇両替が横行していたことによる。まさに闇市場でルーブルの米ドルに対する実際の相場が決まっていたのだ。1ドルは公式の67コペイカ(例えば67銭)ではなく、闇では8~10ルーブル(例えば30円)だった。


両替商は、外国人観光客をホテルのそばでそそのかしてドルを買い占めていた。両替の提案を聞いた外国人は喜んで合意した。闇両替商はソビエトの銀行の公式の相場の5~6倍の値でドルを買ったからだ。


外貨を違法に所有することに対するスターリンの禁制と「銃殺条項」は1994年まで残っていた。ただし、一部の人の回想によれば、それより前から当局は闇両替に目をつぶるようになっていたという。「私は量り売りのウォッカ100グラムを2杯、ハムの載ったオープンサンドを2枚注文し(これは90年頃のことだ)、黙って人生初のドル(人からもらったもの)を置いた。すると向こうも黙ってルーブルで釣り銭を出した」>


ソ連の経済は第2次大戦後も軍拡競争のために重工業優先で、民生(国民の生活・生計)はないがしろにされたままだった。特権階級の党員は潤ったが、国民の生活は先進国に比べると差が大きく開いていった。


<1946~1947年の飢饉は、凄惨な第二次世界大戦と、1946年に起きた旱魃の直接の結果だ。旱魃は当然、不作をもたらした。しかしこの飢饉は、実は回避できたはずだ、ソ連には、膨大な量の穀物が備蓄されていたのだから。もしソ連政府が海外への穀物輸出を増やす(戦前のレベルのほぼ2倍)という悲惨な決定を下していなければ・・・


さらに、かつての同盟国(連合国)との新たな戦争を懸念して、ソ連当局は農産物の備蓄を維持しようとし、地域への食料放出を拒んだうえ、強制的な食料品納入のノルマも減らさなかった。飢饉の結果、最大150万人が死亡した>(ロシアビヨンド2020年5月21日)


毛沢東・中共は建国後、ソ連を真似て無理やり重工業化を目指し、さらに文革で建国以来、1億人を餓死または不自然死させた。今、毛沢東の果たせなかった世界制覇を成し遂げようという習近平は大急ぎで戦時体制を構築しつつある、それもバレバレのやり方で。毛沢東は「農村で都市を包囲する」というゲリラ戦で内戦に勝ったが、習近平は「一国でインド・太平洋を制覇する」つもりのようだ。ほとんど狂気の沙汰。古森義久氏「崖っ淵に立つ日本の決断」(Japan-indepth2021/1/4)から。


<令和3年、2021年の冒頭に立って、わが日本を国際的にみると、まさにこの国は崖っ淵に立ったようにみえる。その日本を取り巻くいまの世界を見渡せば、古い表現だが、まさに天下大動乱である。アメリカと中国との衝突が全世界を揺さぶる。軍事や経済のパワーという点で世界第一の大国と第二の大国とが正面から対決するのだ。


その激突の巨大なうねりは全世界の既成の秩序を根幹から変える地殻変動のようである。その地殻変動は日本にいったいなにを意味するのか。気鋭のジャーナリストの門田隆将氏と多角的に意見を交わして、一冊の本にまとめた。PHP研究所刊『崖っ淵に立つ日本の決断』という書である。


日本にとってもっとも巨大な影響を及ぼすアメリカと中国という二つの国が激突する。その谷間での日本の身の処し方には国運がかかっている。激しく対立するアメリカと中国のどちらに身を寄せるのか、という日本の課題はいまや従来の「等距離」とか「橋渡し」などという定型の外交パターンでは乗り切れない。


それでなくても日本には中国の軍事脅威が迫ってきた。日本の固有の領土の尖閣諸島を中国は軍事力を使ってでも奪取しようと、連日のように攻勢をかけてくる。尖閣諸島に対する日本の主権や施政権を骨抜きにする中国の軍事攻勢が目前に迫ったのである。この事態だけでも日本の国難だといえる。


本書では門田氏とともに、こうした世界の天下大動乱、日本の国難を引き起こした張本人は中華人民共和国の共産党政権であることを多数の実例をあげて、立証したつもりである。むろんアメリカや日本がその中国のいまの国際秩序を侵し、崩そうとする動きを誘発するような原因をつくったという事例も多々あった。


だが問題の核心はやはり中国共産党政権の本質だといえよう。国内で弾圧し、国際規範を犯し、軍事力で脅し、経済力で圧する。既成の世界の秩序を覆そうとする。


中国の自由民主主義世界へのこうした敵対性を私が初めて実感したのは1997年夏だった。そのとき駐在していたアメリカのワシントンから中国への返還が決まった香港に出かけて、その歴史的な返還のドラマを取材して、報道したのだった。


その時点で私はすでに20数年の国際報道の経験を積んでいたが、中華圏での取材活動は初めてだった。香港での3ヵ月ほど、イギリスから中国への香港返還に関する新聞記事は無数に書いたが、総括としての長い雑誌論文として「日中友好という幻想」という論考をまとめた。


当時は日本側でも中国に関してはとにかく「友好」という言葉があふれていた。中国政府への批判的な言辞は日本では官民ともに皆無に近かった。だが私は香港での多数の人たちとの意思疎通で、中国のあり方に日本やアメリカへの敵対性の本質を感知せざるを得なかったのだ。


ちなみに「日中友好という幻想」という論文は当時の台湾総統だった李登輝氏の目にとまり、「このテーマについて私も語りたいので台北にきませんか」と招きを受けた。もちろん私はそれに応じ、中華圏での取材活動を深めていった。その翌年の1998年には産経新聞の北京駐在の初代中国総局長となったのだ。


それ以来の20数年、私は中国という主題と本格的に取り組むこととなった。中国の対外姿勢にとくに関心を払い、米中関係、日中関係の動きを追った。その体験での最大の要素も香港で感じた中国共産党政権が固有の本質とする自由民主主義世界への敵対性だった。                    


その敵対性を指摘する私の報道や論評は日本では「反中」というレッテルと貼られることもあった。アメリカの首都ワシントンでも関与政策の名の下での対中融和の流れにそぐわないこともあった。


だがアメリカでも日本でもその後、中国に対する態度は硬化していった。中国共産党政権自身の内外での敵対的な言動が自然な反発を生んでいったのだ。中国政権の外部世界への敵対性という現実が重みを発揮したといえよう。


日本の戦後の対中政策は日本外交でも最大級の歴史的な失態だった。巨額の政府開発援助(ODA)を中国に供与することで、日本を敵視する軍事独裁大国の中国の現出にみずから力を貸したのだった。日本国民の血税である約4兆円ものその中国への援助は中国の軍事力増強を助け、民主主義の弾圧をも支える結果となった。日本側が当初に期待した中国側の対日友好の促進にはなんの役にも立たなかった。私はこのあたりの日本の対中援助の失敗を『ODA幻想』(海竜社)という本にまとめた。


中国に対する私のこうした一貫した認識は現代日本のジャーナリズムの先頭を走る門田氏によっても本書全体を通じて認知されたことは望外の喜びだった。


こうした失態をも経てきたわが日本がいまや最大の脅威、最大の懸念の根源となる中国にどう対応すべきか、その日本のいまの立場こそ「崖っ淵に立つ日本の決断」なのである>


習近平・中共が押し出して来る前に「中共包囲網」を確かなものにし、中共をソ連の二の舞を踏むようにしなければならない。防疫や貿易は重要事項であるが、最優先すべき課題、最大の危険は中共によるインド・太平洋侵略である。最早、米国は当てにはできない。「国破れて山河在り 城春にして草木深し」と涙を流すのか、日本を取り戻すのか、決断の時である。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp



雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(132」

2021-01-08 15:19:28 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(132」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/230(2021/1/8/金】米国で起きている「今」を小生は情報不足から論理的に説明ができずに「漠然とした不安」としか表現できずにいた。


情報源としてそこそこ参考になるのは「ブルームバーグニュース」「ウォールストリートジャーナル」「ロイター」という投資家向け情報で、これは「今」をできるだけ正確に報道しないと読者から苦情が来るからだろう。フェイクニュースでは「誤情報で大損した、賠償しろ」なんてことになりかねない。


ワシントンタイムズ(反共系、日本では「世界日報」)、ニューヨークポスト(最近は左へ転向した)、欧州系ではBBC、AFPBBも参考になる。法輪功系の「看中国」(日本版は「大紀元」)とNTD(同)は宗教臭いがマスコミではまず報じない反共情報が満載、結構刺激的である。


ここ2年ほどで中国情報はずいぶん減ったが、シンガポールの華僑系「ストレイトタイムズ」はそこそこ役立つ。


米国の大手紙として有名なニューヨークタイムズやロサンゼルスタイムズは完全にアカだと思っているからチェックする気にはならない。米国マスコミの大手は投資家に買収されているから偏向報道が激しい。


日本ではまともなのは産経、読売、日経、時事通信あたり。今では十分知られているだろうが朝日、毎日、中日(東京)、西日本、共同通信はアカである。地方紙は共同のコピー、クチパクと町対抗ソフトボール大会あたりの“タウンニュース”ばかりで話にならない。


米国の大手マスコミはほぼアカだが、昨年から「報道しない自由」を露骨に謳歌するようになった。最早、報道ではなくアカのプロパガンダに堕したと言える。民主党支持一色で、共和党を叩き潰すことが最優先であり、民主党に不都合なことは何も報道しないから米国の「今」とか「真実」が分からない。大手マスコミは出資者の言いなりで、一般国民はそれさえ知らないから、ただただミスリードされているだけのようだ。


日本には左右の言論があるからマシだが、米国の国民は何も知らずにハーメルンの笛吹き男に従ってアカ地獄に落ちるのだろう。日本は米国から距離を置いて自立しないと大失敗する。


浅川公紀・筑波学院大学名誉教授の「2020年米大統領選挙―Trumpismの継続」」(日本戦略研究フォーラム2021/1/4)は小生の危惧を実に分かりやすく説いている。キモのみ紹介する。


<昨年12月になってミシガン州の票集計機、ソフトウェアの監査が実施され、68%のエラー率が確認され、そのエラーも選挙結果に影響を及ぼすよう意図的にエラーが設定されていたという結論が出された。選挙の集計システムの許容エラー率は1%以下であり、これは到底看過し得ることではない。


このほか、ジョージア州では集計施設で水道管が破裂したという口実で大部分の選挙集計スタッフを帰宅させ、残った4人の集計スタッフが誰もいなくなった部屋で隠していた複数のスーツケースに一杯詰まった大量の投票用紙を取り出してその票の同じ束を少なくとも3回集計機に通している場面を監視カメラが捉えた画像が不正の証拠として示された。不正を行ったスタッフの身元も確認されている。


選挙不正を示す証拠は増えているが、これらは主要メディアから完全に無視され、メディアは「まったく根拠のない不正の主張」「虚偽の主張」といった批判を繰り返している。米国民の多くは、選挙不正があったとされる4州をテキサス州が連邦最高裁に憲法違反として提訴し、その提訴を他の20州以上、120人以上の連邦下院議員が支持した。


しかし連邦最高裁は提訴を訴訟資格の問題を理由に棄却し、主要メディアからの批判が予想される不正そのものの主張には目を瞑った。これはワシントンや各地で不正が覆い隠されようとしていることへの大規模な抗議集会を誘発した。


12月14日には50州各州での選挙人投票が実施され、選挙人票は封印されワシントンに送られた。1月6日に連邦議会上下両院の立ち合いのもとに開票され、次期大統領が正式に確定する。ところが7州で共和党は選挙結果を無効にするに十分の不正が確認されたという理由から独自に選挙人の投票を実施し、その選挙人票も封印されたワシントンに送付された。


1月6日の選挙人票開票の際に少なくとも下院議員1人と上院議員1人が開票結果に異議を申し立てれば結果が議論され、場合によっては一部州の選挙人票が無効になる可能性がまだ残っている。既にモー・ブルックス下院議員が異議申し立てを行うことを公言しており、テッド・クルーズ上院議員も異議申し立てを検討中とされる。またトランプ弁護団の複数州での訴訟もまだ継続中であり、不確定要因になっている。米国史上前代未聞の事態である。


バイデンが1月6日に次期大統領に確定したとしても、トランプ支持者やトランプ支持でなくても空前の規模の選挙不正があったと考え米国の民主主義の崩壊を懸念する市民は米国人口の半分くらいになると見られ、彼らの不満は解消されないまま残り続ける。彼らがトランプイズムを継続させることになるだろう。


トランプは2016年の前回大統領選同様、世論調査で不利とされていた事前予測を覆す底力を発揮した。暫定集計で前回選挙を1000万票上回る7300万票を獲得。2008年大統領選でオバマ前大統領が獲得した6949万票を抜き、史上最多を更新した。トランプ支持層は多くの観測筋の見立てよりも規模が大きく、忠誠心が強かったことが浮き彫りになった。バイデン新政権が誕生しても、トランプ支持層の「岩盤」の硬さと深さを改めて認識することは、今後の米国を見る上で極めて重要な視点だ。


トランプの発想と行動は、歴代大統領とかなり相違しているということが目についた4年間だった。そのトランプが現職大統領としては最多となる7300万票を獲得した。理由のないことではない。主要メディアで論じられることの少ない「トランプ大統領の事績」について、評価する市井の人々の意識がある限り、トランプが表舞台から姿を消すことなく、寧ろトランプ劇場への郷愁に似た思いが米国民の中に醸成されていくものと思われる。7300万票は、トランプ再登板、或いはトランプ的な指導者の登場への道を開く可能性を秘めている>


米国は「東海岸と西海岸のアカの民主党派」と「内陸部の伝統保守の共和党派」の2大勢力に完全に分断しかねない。選挙が終わったからノーサイドとはならず、憎悪は募るばかりだろう。


現在の世界の最大の危機は中共による世界覇権である。直近ではインド・太平洋における中共の軍事力による制覇だ。恐らく米国はこれからは内乱状態のようなもので、最早挙国一致で中共を抑え込むパワーも意欲もないだろう。


鎖国の日本を蒸気船で脅して開国させた米国は、南北戦争により日本強奪のチャンスを逃し、英国の後塵を拝した。今はまた内乱で中共にインド・太平洋の縄張りを取られるのか。地球市民のアカは基本的に国境を否定するから中南米諸国から移民がどっと押し寄せてきても歓迎するのだろう。1945年からの「米国一強時代」は間もなく終わり、「中共一強時代」に代わるかもしれない。


日本は「東海省倭人自治区」になりたくなければ座視して日和見を決め込むわけにはいかない。他力本願ではなく自らが率先して中共包囲網を創っていくしか道はない。


外交=血を流さない戦争、戦争=血を流す外交だと古人は喝破した。「国家は力の体系であり、利益の体系であり、価値の体系である。国家間の関係はこの三つのレベルの関係が絡み合った複雑な関係である」(高坂正堯「国際政治)。欣求浄土、厭離穢土を求めるなら複雑な関係を自己の有利になるよう外交・戦争で争うわけだ。


国力とは経済力、軍事力、政治力、文化力だろうが、敵を抑え込むという戦争では軍事力がモノを言う。人類の歴史は戦争の歴史であり、今は列強間の熱戦はないが、これは核戦争を恐れるための一時的なもので、永続するわけではない。「永遠の」友、敵、戦争、平和はないが、「勝てないまでも負けない」ことが最低限必要だろう。そのためには汚い取引や裏切り、嘘八百もOKで、とにかく不都合な真実の隠蔽を含めて「勝てばすべてが許される」のが戦争だ。(米国の伝統か?)


「勝てないまでも負けない」国にするには・・・ナイナイヅクシの戦後フランスを一流国家にしたドゴールから学ぶべきことは多い。前回に続いて伊藤貫著「歴史に残る外交三賢人」から咀嚼、引用する。


<6)国際政治を多極化する必要性:ドゴールは第二大戦中から「国際政治を多極化する必要性」を明確に認識していた。フランスを救うためにナチス・ドイツと必死に戦いながら「どうしたら米ソという新興勢力を欧州から排除し、フランスの真の独立を回復できるか、どうしたら国際政治構造を12~19世紀のような多極構造に戻せるだろうか?」と考えていた。


当時のフランスのインテリ層も「米ソという非文化的なマテリアリスト帝国(軍事・経済力信奉者)を欧州から排除すべき。質の低い二つの新興帝国から欧州文明を守らねばならぬ」と考えていた。彼らにとって国際政治の多極化は、文化的・精神的な観点からも重要だった。


ドゴールの外交思想で驚くべきは、構想力の明晰さと論理性、知的な大胆さである。彼が国際政治に参加したのは1940~69年までであったが、当時から彼は「米ソ両大国による二極構造は長続きしない」「他国の文化を理解できないアメリカの覇権主義はいずれ失敗するだろう」「国際構造の多極化は不可避であり必然である」としばしば予告していた。


ドゴールは1960年代初期から「西側諸国がソ連とデタント(緊張緩和)する必要性
」「中国と国交回復する必要性」「ベトナム戦争から米軍が撤退する必要性」を唱えていた。


米国のケネディ、ジョンソン政権の閣僚と国務省、CIAの官僚たちは猛反発した。無学・無教養で騒々しい米マスコミ人たちも「高慢な反米主義者ドゴール」に非難と嘲笑を浴びせた。しかし1970年代になるとニクソン大統領とキッシンジャー国務長官は、ドゴールの外交政策提案をすべて実行に移したのである。


ドゴールの国際政治分析の最大の特徴は「過去2500年の国際政治史から見ると、国際構造が一極化したり二極化するのは不自然な現象である。しかもそのような寡占的な構造は不道徳である。国際構造は必ず多様化していく」という歴史観であった。


1950年代と60年代、米ソ二極体制が崩れる兆候など全く見られなかった時期に、ドゴールは達観した態度で「たとえ私の生きている間に二極構造が終焉しないとしても、現在のような不自然な構造はいずれ必ず崩壊する。世界は多極化していくのだ」と述べていた。知的自信(傲慢?)に満ちていたドゴールは“米国人の国際政治判断よりも自分の判断の方が優れている”と確信していたのである。


キッシンジャーの回想によると、彼が会談した世界の数百人の著名な政治指導者の中で、「国際政治は必ず多極化する、二極構造は長続きしない」と本気で確信していたのはドゴールと毛沢東だけであったという。キッシンジャーは「私が対談していて、この人は歴史的な巨人だ!という威圧感と畏怖を感じたのはドゴールと毛沢東の二人だけだった」と述べている>(続く)


日本人やめますか? それとも占領下で主権のないときに押し付けられたGHQ 憲法をやめますか? 日本人の品格が問われている。先人は「後に続く者あるを信ず」と命懸けで吶喊していった。日本人を信じたい。目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp