狂気のハマスを絶滅できるか/2
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」233/通算664 2023(令和5)年10/16/月】いずこの国も「建国の父」と「発展の父」がありそうだ。日本の現代史を幕末&明治以降とすれば、維新をなした薩長土肥の志士などが頭に浮かぶが、小生の好きな順で言えば――
吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、大村益次郎、江藤新平、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、坂本龍馬、さらには幕臣の勝海舟、最後の将軍・徳川慶喜などなどいっぱいいるから絞ることができない。それぞれが日本のために一所懸命に働いた。
その中で一番の象徴的な英雄、立役者は誰か? 勝海舟は「明治維新は俺と西郷がやったようなものだ」と豪語していたが、松陰の進取の行動と松下村塾による教育が果たした役割は絶大だったから、小生は松陰先生を挙げたい。維新に至る長ーい導火線に火をつけた一人である。
明治新政府の初期は、郷土の先輩が役職に就くと後輩らが群がったようだ。強者になびくという「事大主義」は支那の専売特許ではなく、それを放置すればいずれの国でも腐敗が蔓延するばかりになってしまう。生まれたての明治政府も感染したようで、やがて危機感をもった世論やマスコミに押される形で「維新は『王政復古』であり、明治天皇がいてこそ維新が成ったのだ、宸襟を悩ます汚職は許すまじ」ということになった。
効果のほどはさておき、一応は誰もが納得するから、1000年以上の歴史を持つ「天皇制」は実に安定剤として具合が良い。1890/明治23年年頃には「君臨すれど統治せず」の立憲君主制や富国強兵の国民教育が浸透して先進国の仲間入りを果たした。
いずこの民族、国にも「建国譚」があるだろうが、国歌と同様に元気で勇ましく楽しい方が良い。塩野七生先生の「ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず」を再読しているが、とてもドラマチックで面白い。1000年以上続いた古代ローマ(紀元前753年 - 476年)の「建国の父」は初代ローマ王のロムロス、「発展の父」は二代目のローマ王ヌマということになっている。日本の「古事記」と同様で、一種の建国神話だが、まあ「当たらずとも遠からず」と人々が納得し、誇りに思い、元気になれば良いのだ。
で、ローマはギリシア人が「我が国は狭すぎる、もっと広い所へ行こう」と西に移住を始めたことで歴史に名を刻むことになる。当時は海こそが主要交通路だったが、彼らは山だらけで海に出るのも大変なイタリア半島の丘陵地帯のてっぺん、ローマに住み着いたのが「ローマ人の初め」である。不便なところだから先住民はいないし、侵略される恐れもないのが魅力的で、そこに山城というか要塞のような街をいくつか造っていった。余程、戦争に懲りていたのだろう。七生先生曰く――
<第二代のローマ王ヌマの行跡のうちでもっとも特筆されるべきことは、宗教に関しての改革であったろう。ヌマが統治する以前にもローマ人は既に多くの神々を持っていた。ヌマはそれらの神々を整理する。後にはギリシアの神々と混同していくにしても、神々の王であるユピテル神(ゼウス)、その妻のユノー女神(ヘラ)、美と愛を司る女神ヴェヌス(アフロディテ、ヴィーナス)、狩りの女神ディアナ(ダイアナ)、学芸の神アポロ、知の女神アテネ、戦いの神マルス・・・先の王ロムロスも死後に神格化されて神になっていた。
ヌマの行った整理は、神々にヒエラルキー(序列)を与えたが、これこそがローマの神だと一つ決めはしなかった。それでいて神々を敬う大切さを教えた。
ギリシア・ローマに代表される多神教(修:日本もそうだ)と、ユダヤ教・キリスト教(修:今なら+イスラム教)を典型とする一神教の違いは、次の一事に尽きると思う。多神教では、人間の行いや倫理道徳を正す役割を神に求めない。一方、一神教ではそれこそが「神の専売特許」なのである。多神教の神々はギリシア神話に見られるように、人間並みの欠点を持つ。倫理道徳の「正し手」ではないのだから、欠点を持っていても一向に差し支えない。
だが「一神教の神」となると「完全無欠」でなければならなかった。放っておけば手に負えなくなる人間を正すのが神の役割であったからである。
モーゼの「十戒」(修:モーゼは紀元前16世紀または紀元前13世紀ころに活躍したと推測されている古代イスラエルの民族指導者。旧約聖書の『出エジプト記』などに現れる)は次の十項から成り立っている。
一、あなたは私の他に、何ものをも神としてはならない。二、あなたは自分の為に、刻んだ像を作ってはならない。三、あなたは、あなたの神と主の名を、みだりに唱えてはならない。四、安息日を覚えて、それを聖とせよ(修:以下は普通の良識なので略)
何にでもどこでも神は宿ると考え、自分たちの王であった人まで神にしてしまうローマ人には(上記の)4つの戒律はあてはまらない。では、ローマ人は神々に何を求めたのか。「守り神」である。守護を求めたのだ。
ただし、古(いにしえ)のローマでは守り神とはいっても、何もしない者まで守ってやるほど面倒見の良い神ではなかった。努力を惜しまない人間を側面から援助するのが守護神のあるべき姿と思われていたからである。
ローマの宗教を考える上で最も注目すべき特色は、他の民族とは違って「専任の神官」がなかったことだろう。俗事には一切関係しない、神と人間の間の仲介だけをする人々を、ローマ人は置かなかったのである。
ローマの神祇官や祭司たちは、神の教えの代弁者ではない。神の存在を、神に代わって地上で示す人でもない。神官や祭司になるのに、特別な能力も訓練も必要とされない。巫女を除けば、普通人と同じ生活を営む人々で、その上に最高神祇官から祭司に至るまでが市民集会の選挙で決まるのだった。執政官を始めとする政府の役職と何ら変わりはない。言ってみれば国家公務員である。有難味は薄れるかも知れないが、利点も少なくなかった。
固定した階級でないから、他の階級や役職に対する嫉妬が生まれない。自らの属する階級保全のための過度の宗教尊重に執着する必要もない。このローマでは、宗教と政治の確執とか癒着とかは起こり様がなかった。実に自然な形での政教分離の定着が、ヌマのなした最も重要な業績ではなかったかと思う。
西暦紀元前後に生きたギリシア人の歴史家ディオニッソスは著作「古ローマ史」の中で、「ローマを強大にした要因は、宗教についての彼らの考え方にあった」と言っている。ローマ人にとっての宗教は、指導原理ではなく、支えに過ぎなかったから、宗教を信ずることで人間性までが金縛りになることともなかったのである。
強力な指導原理を持つことには利点もあるが、自分たちと宗教を共有しない他者は認めないとするマイナス面も見逃せない。ディオニッソスによれば、狂信的でないゆえに排他的でもなかったローマ人の宗教は、異教徒とか異端の概念にも無縁だった。戦争はしたが、宗教戦争はしなかったのである。
一神教と多神教の違いは、ただ単に信ずる神の数にあるのではない。他者の神を認めるか認めないか、にある。そして他者の神を認めるということは、他者の存在を認めるということである。ヌマの時代から数えれば二千七百年は過ぎているのに、未だ我々は一神教的な金縛りから自由になっていない>(以上)
日本人は縄文時代前から基本的に多神教だから、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など一神教の人々のマインドはよく分からないのではないか。インドネシア(ジャカルタ)を取材した際、朝っぱらからイスラム教の聖典コーランを大音量の拡声器で流しているので嫌な顔をしていたら、案内してくれた政府観光局の人が「ごめんなさいね、でも、こればっかりはどうしようもないんです」と言っていた。
1000年ほども朝から晩までコーラン漬け・・・同じインドネシアでもバリ島は主にバリ・ヒンドゥー教や仏教などが定着しており、早朝には主婦が庭のあちこちに花を飾って静かに祈っていた。イスラム過激派から見ればバリ島民は許し難い邪教だから頻繁に爆弾テロに見舞われていた(2002年頃)。
サイト「神と人を再び結びつける」2019/12/12によると「イスラム教は近い将来、世界最大の宗教となる可能性が最も高いと言われている。イスラム教を国教とする国も多く、アジアやアフリカを中心に今後、比較的人口の増加しやすい地域のムスリムがますます増えていく」。
我々日本人の圧倒的多数は「信教の自由」を尊重するし、イスラム教を国教としている国とも仲良くしているが、その信教の自由を否定し殺しまくるイスラム過激派は絶対に許し難い。まるでカルト宗教団体&テロ組織「オウム真理教」そっくりだ。洗脳され腐敗し、ただれた蛮族であるイスラム過激派を根絶、絶滅すべし。安易な妥協には絶対反対だ。
・・・・・・・
*読者諸兄の皆さま、御意見を! ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」233/通算664 2023(令和5)年10/16/月】いずこの国も「建国の父」と「発展の父」がありそうだ。日本の現代史を幕末&明治以降とすれば、維新をなした薩長土肥の志士などが頭に浮かぶが、小生の好きな順で言えば――
吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、大村益次郎、江藤新平、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、坂本龍馬、さらには幕臣の勝海舟、最後の将軍・徳川慶喜などなどいっぱいいるから絞ることができない。それぞれが日本のために一所懸命に働いた。
その中で一番の象徴的な英雄、立役者は誰か? 勝海舟は「明治維新は俺と西郷がやったようなものだ」と豪語していたが、松陰の進取の行動と松下村塾による教育が果たした役割は絶大だったから、小生は松陰先生を挙げたい。維新に至る長ーい導火線に火をつけた一人である。
明治新政府の初期は、郷土の先輩が役職に就くと後輩らが群がったようだ。強者になびくという「事大主義」は支那の専売特許ではなく、それを放置すればいずれの国でも腐敗が蔓延するばかりになってしまう。生まれたての明治政府も感染したようで、やがて危機感をもった世論やマスコミに押される形で「維新は『王政復古』であり、明治天皇がいてこそ維新が成ったのだ、宸襟を悩ます汚職は許すまじ」ということになった。
効果のほどはさておき、一応は誰もが納得するから、1000年以上の歴史を持つ「天皇制」は実に安定剤として具合が良い。1890/明治23年年頃には「君臨すれど統治せず」の立憲君主制や富国強兵の国民教育が浸透して先進国の仲間入りを果たした。
いずこの民族、国にも「建国譚」があるだろうが、国歌と同様に元気で勇ましく楽しい方が良い。塩野七生先生の「ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず」を再読しているが、とてもドラマチックで面白い。1000年以上続いた古代ローマ(紀元前753年 - 476年)の「建国の父」は初代ローマ王のロムロス、「発展の父」は二代目のローマ王ヌマということになっている。日本の「古事記」と同様で、一種の建国神話だが、まあ「当たらずとも遠からず」と人々が納得し、誇りに思い、元気になれば良いのだ。
で、ローマはギリシア人が「我が国は狭すぎる、もっと広い所へ行こう」と西に移住を始めたことで歴史に名を刻むことになる。当時は海こそが主要交通路だったが、彼らは山だらけで海に出るのも大変なイタリア半島の丘陵地帯のてっぺん、ローマに住み着いたのが「ローマ人の初め」である。不便なところだから先住民はいないし、侵略される恐れもないのが魅力的で、そこに山城というか要塞のような街をいくつか造っていった。余程、戦争に懲りていたのだろう。七生先生曰く――
<第二代のローマ王ヌマの行跡のうちでもっとも特筆されるべきことは、宗教に関しての改革であったろう。ヌマが統治する以前にもローマ人は既に多くの神々を持っていた。ヌマはそれらの神々を整理する。後にはギリシアの神々と混同していくにしても、神々の王であるユピテル神(ゼウス)、その妻のユノー女神(ヘラ)、美と愛を司る女神ヴェヌス(アフロディテ、ヴィーナス)、狩りの女神ディアナ(ダイアナ)、学芸の神アポロ、知の女神アテネ、戦いの神マルス・・・先の王ロムロスも死後に神格化されて神になっていた。
ヌマの行った整理は、神々にヒエラルキー(序列)を与えたが、これこそがローマの神だと一つ決めはしなかった。それでいて神々を敬う大切さを教えた。
ギリシア・ローマに代表される多神教(修:日本もそうだ)と、ユダヤ教・キリスト教(修:今なら+イスラム教)を典型とする一神教の違いは、次の一事に尽きると思う。多神教では、人間の行いや倫理道徳を正す役割を神に求めない。一方、一神教ではそれこそが「神の専売特許」なのである。多神教の神々はギリシア神話に見られるように、人間並みの欠点を持つ。倫理道徳の「正し手」ではないのだから、欠点を持っていても一向に差し支えない。
だが「一神教の神」となると「完全無欠」でなければならなかった。放っておけば手に負えなくなる人間を正すのが神の役割であったからである。
モーゼの「十戒」(修:モーゼは紀元前16世紀または紀元前13世紀ころに活躍したと推測されている古代イスラエルの民族指導者。旧約聖書の『出エジプト記』などに現れる)は次の十項から成り立っている。
一、あなたは私の他に、何ものをも神としてはならない。二、あなたは自分の為に、刻んだ像を作ってはならない。三、あなたは、あなたの神と主の名を、みだりに唱えてはならない。四、安息日を覚えて、それを聖とせよ(修:以下は普通の良識なので略)
何にでもどこでも神は宿ると考え、自分たちの王であった人まで神にしてしまうローマ人には(上記の)4つの戒律はあてはまらない。では、ローマ人は神々に何を求めたのか。「守り神」である。守護を求めたのだ。
ただし、古(いにしえ)のローマでは守り神とはいっても、何もしない者まで守ってやるほど面倒見の良い神ではなかった。努力を惜しまない人間を側面から援助するのが守護神のあるべき姿と思われていたからである。
ローマの宗教を考える上で最も注目すべき特色は、他の民族とは違って「専任の神官」がなかったことだろう。俗事には一切関係しない、神と人間の間の仲介だけをする人々を、ローマ人は置かなかったのである。
ローマの神祇官や祭司たちは、神の教えの代弁者ではない。神の存在を、神に代わって地上で示す人でもない。神官や祭司になるのに、特別な能力も訓練も必要とされない。巫女を除けば、普通人と同じ生活を営む人々で、その上に最高神祇官から祭司に至るまでが市民集会の選挙で決まるのだった。執政官を始めとする政府の役職と何ら変わりはない。言ってみれば国家公務員である。有難味は薄れるかも知れないが、利点も少なくなかった。
固定した階級でないから、他の階級や役職に対する嫉妬が生まれない。自らの属する階級保全のための過度の宗教尊重に執着する必要もない。このローマでは、宗教と政治の確執とか癒着とかは起こり様がなかった。実に自然な形での政教分離の定着が、ヌマのなした最も重要な業績ではなかったかと思う。
西暦紀元前後に生きたギリシア人の歴史家ディオニッソスは著作「古ローマ史」の中で、「ローマを強大にした要因は、宗教についての彼らの考え方にあった」と言っている。ローマ人にとっての宗教は、指導原理ではなく、支えに過ぎなかったから、宗教を信ずることで人間性までが金縛りになることともなかったのである。
強力な指導原理を持つことには利点もあるが、自分たちと宗教を共有しない他者は認めないとするマイナス面も見逃せない。ディオニッソスによれば、狂信的でないゆえに排他的でもなかったローマ人の宗教は、異教徒とか異端の概念にも無縁だった。戦争はしたが、宗教戦争はしなかったのである。
一神教と多神教の違いは、ただ単に信ずる神の数にあるのではない。他者の神を認めるか認めないか、にある。そして他者の神を認めるということは、他者の存在を認めるということである。ヌマの時代から数えれば二千七百年は過ぎているのに、未だ我々は一神教的な金縛りから自由になっていない>(以上)
日本人は縄文時代前から基本的に多神教だから、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など一神教の人々のマインドはよく分からないのではないか。インドネシア(ジャカルタ)を取材した際、朝っぱらからイスラム教の聖典コーランを大音量の拡声器で流しているので嫌な顔をしていたら、案内してくれた政府観光局の人が「ごめんなさいね、でも、こればっかりはどうしようもないんです」と言っていた。
1000年ほども朝から晩までコーラン漬け・・・同じインドネシアでもバリ島は主にバリ・ヒンドゥー教や仏教などが定着しており、早朝には主婦が庭のあちこちに花を飾って静かに祈っていた。イスラム過激派から見ればバリ島民は許し難い邪教だから頻繁に爆弾テロに見舞われていた(2002年頃)。
サイト「神と人を再び結びつける」2019/12/12によると「イスラム教は近い将来、世界最大の宗教となる可能性が最も高いと言われている。イスラム教を国教とする国も多く、アジアやアフリカを中心に今後、比較的人口の増加しやすい地域のムスリムがますます増えていく」。
我々日本人の圧倒的多数は「信教の自由」を尊重するし、イスラム教を国教としている国とも仲良くしているが、その信教の自由を否定し殺しまくるイスラム過激派は絶対に許し難い。まるでカルト宗教団体&テロ組織「オウム真理教」そっくりだ。洗脳され腐敗し、ただれた蛮族であるイスラム過激派を根絶、絶滅すべし。安易な妥協には絶対反対だ。
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