日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

源へ。

2020-07-06 17:28:23 | 本の紹介
昨夜は再びの大雨で、今朝もその延長の雨でした。

でも、朝の仕事をしている間にピタリとやみました。このまま梅雨にあけて欲しいなぁ。



なおちゅん先生のブログに惹かれて、エアーズの『子どもの発達と感覚統合』を読み始めました。


私にとって、初めて知った感覚統合の本は
岩永竜一郎さんの『もっと笑顔が見たいから』でした。

たしか、灰谷さんのブレインジムの講座を受けている頃で、その中で子どもが机にだらーっともたれかかって字を書くことや不器用な動きについて得た脳の知見とこの本で扱っている「固有受容覚」や「前庭覚」という内容が私の中で結びつき、読んだのを覚えています。

また、灰谷さんがブレインジム系列のその他の講座で紹介されていたので読んだ『感覚統合Q &A』という本も読んで、支援員として関わっていたお子さんたちができないことには、それぞれのお子さんが持つ体の不器用さを埋めることが必要なのだなぁと思った気がします。

これらの2冊の本やブレインジムでやったことを参考にしながら、当時の私は子どもの体や気持ちをその場凌ぎ的に表面上整えることをしていたように思います。

さて、そして感覚統合を体系化されたエアーズさんの本に今、初めて触れています。

まだまだ途中ではありますが、私が教室の親御さんからお聞きして構築された「療育」のイメージや上記二冊の本から得た体を使っての遊びより、思っている以上に細やかな感じです。

感覚統合も人類の進化の成り立ちや重力、内臓など細部を想像しながら成立しているのだなぁと感じました。

『感覚統合Q &A』でエアーズのこの本を「障害分類など古くなっているが、アメリカでは今でも再販されて読み継がれている」と紹介されていますが、それはこの本がハウツー本ではなく、原理原則を記しているからではないかなぁと途中ながら思いました。

世の東西を問わず、ハウツー本は流行り廃りがあり、原理原則の基本を押さえ、読み手に想像力を働かせてくれる本は、読み継がれるのだなぁと思うことです。

本の内容については、言葉を補いながら読み進めないと、思考がぐるぐるしてしまうような訳なので、読み込めたら紹介したいと思います。

がんばりまーす!



児童精神科を受診しようか迷ったら読む本

2020-06-28 22:56:00 | 本の紹介
『君はずっと一緒だった〜自閉症だった息子〜』を読み、読んでの気持ちを綴っている間に、とてもタイムリーな本がKindleで発売されました。




この本の著者のなおちゅん先生はブログもあります。


お人柄も垣間見える楽しいブログでありながら、幅広い知見を惜しげもなく紹介してくださるさっているので楽しみにしています。

私も後追いで、ブログで紹介された本を買って勉強したり、まだ読みきれず積んだままになったりしています(笑)本当にお世話になっています。

そんななおちゅん先生が書かれた、このご本です。

児童精神科に行く理由は、とてもシンプルだということがこの本を読めばわかります。

それは、「受診が子どものためになるか、どうか」の一択です。

児童精神科を訪ねようとするときに、訪ねるに至る理由も、考えられる限りあげてあります。

また、薬物療法についても書いてあります。

どれも、基準になるのは「それは、お子さんのためになるか、どうか」でなおちゅん先生は考えて発言されています。

大人の事情や都合もあることは承知しながらも、「お子さん本人を支える大人たちのコーディネーターになる」という覚悟で診察にあたってくださっています。

子どもに関わる精神科の先生が、こんな先生であったならお子さんはもちろん、親御さんも子どもを支えるのに心強いだろうなぁと思いました。

この本を読んで、児童精神科でできることはとてもシンプルなことがわかります。

児童精神科に過剰に期待するのも違うことがわかりますし、お医者さんに高圧的に何事かを断言されるのも違うことがわかります。

読んでおけば、お子さんのことでどこかに相談したくなったら、相談先の選択肢、どのようにかかれば良いか、やめ時って?と行く前に頭によぎる様々なことが整理できます。

そして、ある程度、行ったらどんなことがなされるか、心構えができて頭が真っ白!ということにはならずに済むと思います。

何より、「子ども第一主義」で診察してくださるなおちゅん先生のご本を読んでおけば、お子さんを連れて行った先の児童精神科の先生が凡医かそうじゃないか、瞬時にわかると思います。

たくさんの方々が医者にできることを知り、良い先生の見極めも身につくようにぜひぜひ読まれることをお勧めします!









君はずっと一緒だった〜自閉症だった息子〜④

2020-06-25 16:53:00 | 本の紹介
続きです。


卯月さんのお子さんが週一回話をしていた学校でのカウンセリング。

このカウンセリングは、養護教諭に勧められて、お子さんが親御さんにも「どうしようか?」と相談し、「好きにしたらいいよ」という流れで始まったものでした。

私はここに、卯月さんの推察の通り担任の先生から養護教諭に言ってもらったのでは、というルートと別に、カウンセリングに行く人がおらず、暇を持て余しているカウンセラーの「仕事してます」のアリバイ工作にお子さんが使われたのでは、ということも考えました。

そんなことを思ったのは、学校勤めをしていたときに「心の相談員」だ「スクールカウンセラー」だと派遣されて来ると、上から「相談する生徒、保護者でもいいので名前をあげてください」と言われることがあったからです。

例えば、ある心の相談員の方は、学校を定年退職されたかなりの年配の方で、月に1回だか2回だか来られていました。

来られると、職員室の席で読書。相談が来たら出動だったのでしょうか。

しかし、月に数度、職員室にこもっている年配の方に、どうして子どもたちが「話を聞いて!」と思うでしょうか。

子どもたちが相談がてら話に来たとき「今度、そのこと『心の相談』の先生に話してみたら?」と聞いても「誰、それ?」で終わりでしたが、当然でしょう。

その方は、いらっしゃっては読書し、席を温め、時間になると校長か教頭に挨拶をして帰られていました。

県から派遣されて来る「スクールカウンセラー」の場合は、ほとんど「ローラー作戦」的に生徒指導や保健室に行くことが多い子の名簿が作られ、親御さんに「カウンセリング受諾書」のようなもので許可を取り、ほぼ「動員」のようなヘンテコな感じでした。

それでも、良いカウンセラーの方で、親御さんや生徒が「また話したい」となることもありました。

ところが県の規定だったのか、一年ごとに変わるカウンセラーの方とまた一から話したり、相性が合わなかったりで、うまくいった!ということはあったのかどうか、私の記憶ではありません。

こんな制度、学校や市町村、県の「子どもの心に寄り添ってます」の既成事実作りの事業なのだろうな、と私は斜な見方をしていました。そして、卯月さんのお子さんの学校もやってます」的にカウンセラーを置いていたのかな、と思ったのです。

さて、もしも、そういうアリバイ作りきっかけで始まったカウンセリングだったとしたら、一度始めると、自ら「もうこの人とは話さなくてもいい」とは言い出さないお子さんは、カウンセラーにとっては「仕事してます」という存在意義を示せる、とてもありがたい存在だったのではないか思いました。(これは私の捻くれた見方かもしれません)

ところで、このカウンセラーの「私は彼と会うのをいつも楽しみにしていました。とてもステキな子なんです。内面が豊かで非常に頭がよく、繊細で傷つき易いんです。」という言に、心理系、精神科医などにいる「自閉っ子大好き」とただ萌えているだけの残念なカウンセラーだったのではないかと思いました。

そうでなければ、なぜもっと「大学に行ったら大変かも」という思いをもっと親御さんに伝えなかったのでしょう。

週一でカウンセリングをしながら、何一つ親御さんに報告なしで、卒業のとき卯月さんが会いに行って初めて印象を語るカウンセラー。

仮にお子さんにとって、週一のほっとする居場所だったとしても、カウンセラーはその話の中から、彼の危うさをキャッチして、親御さんに繋ぎ、対処する方策を考えるのが仕事だったのではないか、と仕事放棄のカウンセラーに呆れてしまいました。

更に、病院で治療をしていると勘違いをして、余計な口出しをしなかった、というくだりは、嘘かどうかはわかりませんが、たぶん、よくあることなのではないかと思いました。

それは、大学病院などに行っているお子さんが、別にカウンセリングも受けている場合などに出くわした、私の経験からで、心理系のカウンセラーの方は、驚くほど「お医者さん」に気を遣われるのだなぁという印象があるからです。

例えば、私は自分の教室に来たお子さんについては、自分が触れ合っての印象やできなくて困っていることをできるようになるための提案を親御さんにお伝えします。大学病院行って指導されてることや療育、カウンセラーの方がどう言われているかはわかりませんが、自分が見たことを元にお伝えしています。

それで、親御さんが大学病院の先生に薬のことや先々のことも相談したいけれど、と話されることがありました。

私よりも頻繁に会い、子どもの発達、発育などの専門で、そういうことを標榜して仕事をしているカウンセラーさんに意見聞かれたら?と言うと、「その先生は、そう言うことについてはお医者さんにかかっていることだから、とあまりお話されない」というようなことを言わたことがありました。

数ヶ月に一度医者より、ずっと身近に見ているだろうに、なんだろう、変なの、と思い、あくまで私が会った日からでの印象ですよ、と意見をお伝えしたことがありました。

そんなことから、病院、医者周辺の近接する仕事では、自分の専門に誇りを持たず、かと言って勉強もせずヒエラルキーに勝手に平伏すような、卑屈な専門家も数多いるのだろうなぁと思うのです。

そして、運悪く、卯月さんのお子さんが関わったカウンセラーは、己も発達障害系だと自負し、アスペルガーの活動に力を入れる、やはり自分を癒すことが精一杯の人だったのだと思います。

その上、「私、全然悲しくないんですよ、彼は私の中に生きています」だの「彼は私と会えて良かったと思いますよ」だの言う、人でなしでした。

自分ではない人の気持ちを完璧に、間違いなく理解することはできないでしょう。

でも、お子さんを亡くした親御さんに、しかも、その子が死なない道を選ぶ手伝いができたかもしれない、そんな分岐点で道案内ができたであろう人の口から出た言葉とは、とても思えませんでした。

こうやって、学校編の先生や凡医や凡カウンセラーについて感想を書きながら、思ったのは、結局、そういう仕事をしている人たちにとって、関わるお子さんはそれぞれの日常で邂逅する登場人物の一人でしかなかったのかもしれないということです。

それは、私にしろ、誰だって自分の人生を進み、そこで出会う人の人生までも背負っていくことはできません。

だけど、少なくとも、人と出会い、関わりが多くなったり、深くなれば、どうにかならないか、何か自分で役に立てることはないかと、思うものではないでしょうか。

卯月さんが出会った人たちが、もっと人としての温度を持ち、自分の仕事を通して誰かの人生の役に立つことに誇りを持ち、せめて、学校にいる間だけでも子どもたちに赤心を持って関わる人たちだったら良かったのに、と思わずにはいられませんでした。




君はずっと一緒だった〜自閉症だった息子〜③

2020-06-24 17:24:00 | 本の紹介
続きです。



私が学校で仕事をしていた頃、知る限りは、「心療内科」や「発達外来」、カウンセラーの所に行っている子どもたちはいました。

病院のみならず、その土地で有名な霊媒師的な方のもとを訪ねる人たちもいました。

本と異なるのは、教師や養護教諭が受診を勧めるよりも「どこか知りませんか?」と親御さんに聞かれて、他校からも情報を聞き、複数箇所の心療内科や発達外来のある所をネットでプリントアウトして、資料として提供する形だったように記憶しています。

今、私が学校で仕事をしていたら、神田橋先生を書籍と共にお勧めに入れてもらったと思います。


卯月さんは、お子さんが中学校時代に養護教諭からの突然の電話で、ほぼ強制的に精神科の病院に行くように勧められます。

そして、親御さんの話を聞く間もなく、「今はいい薬もありますから」「探せないようでしたら校医の先生がいる大学病院に」「とりあえず行って、後から病院を変わる人もいる」と読む限り矢継ぎ早に病院に行くよう促されます。

お子さんも親御さんの普段が精神的にジェットコースターのような安定しない感じであれば、もしかしたら、心の安定を図るための病院のいくつかをピックアップしているかもしれません。

卯月さんのお家は、そういうことと無縁に暮してきた方々で、行きつけの精神科も行きたい精神科の病院もありませんでした。

それは、たぶん、ほとんどのお家がそうだと思います。

それでも、忙しい中、愛しい我が子のためにパソコンで検索し、児童精神科にヒットします。

しかし、予約待ちが三ヶ月で養護教諭を通し、校医の大学病院に行くことになり、最悪の医者と繋がってしまいます。

これも、特別なことではなく、焦る気持ちがあれば学校の校医は、取り得る選択肢です。

さて、最悪の医者の「明日から学校は休んでください」も本当に全国津々浦々にいる凡医、害医、毒医が、今日もどこかで発しているのでしょう。

私は、学校に勤めていたときに、これと似た言葉を親御さんからお聞きしたことがありました。

そこ子は、入学式以来、学校に中々来ることができない子でした。でも、色々な先生が関わりながら、1時間を2時間に、午前中だけ、午後だけと少しずつ学校に足が向くようになっていました。

それでも、行くとストレスにもなり、体調を崩したりしていました。それで、親御さんが発達外来のある病院を受診されたところ、「保育園、小学校とこの子はずっと疲れてきて、今、疲れ切ってるんです。学校なんかにやるのは親のエゴだ、虐待だ!」とお子さんの前で親御さんは罵倒され、そこから、プツリと学校に来なくなりました。

プリント類を持っていっても会えず、電話をしても声は聞けず、親御さんたちは働いていて、普段の様子もあまり聞けませんでした。

ただ、そのお子さんが尋常ではない、世の中の怖がり方をしたり、家族を大変な目に合わせたりすることがあったようでした。

そのままずるずる受験を迎える年まで行ってしまい、親御さんから「発達外来の先生に、こんな長く休んでるなんて異常だ。とっくにお子さんは学校に行けてたはずだ、と怒られたんです」と相談があったときには、目がテンになり、発達外来の医者の無責任さと無能さに「田舎医者はロクでもない」思っていました。

後に、花風社と出会い、こういうのが、発達系医者のスタンダードと知ることになるのですが、その時は、腹が立ち、その病院に行こうとする親御さんに出会うと、養護教諭や関わっていた先生方と「あそこはやめたほうがいい、あそこに行くくらいなら家で寝てたほうが来週につながる」とネガティブキャンペーンをしていました。

本に出てくる精神科医者も「ちがーう!」と感情的に言って親御さんの言葉を遮ったり、「私もアスペルガーなんです」と宣言したり、心に落ち着きがありません。

こういう人たちは、自分を治せもせず、自分と似た症状の人と会って己の精神の安定をはかり、癒すために精神科医になったのだろうな、迷惑だし有害な人たちだなと思うことでした。

そして、学校内で生徒に問題があったときに、学校が不利な立場にならないように、「生徒の精神面にも配慮できます」というアリバイ作りにそんな人を校医として置いている学校のセンスに読みながら、うんざりしました。

卯月さんは、その後、家の近くのクリニックに病院を変えますが、またしても凡医に巡り合います。

「アスペルガーなんていいじゃない。私の周辺では人気があるのよ」という患者をゲームのレアなカードか何かくらいにしか思っていな凡医です。

2006年の私が支援員として学校で仕事を始めた頃、学校に「特別支援教育支援員」が配置された頃、年に何度も地域や県内の発達センターや大学の発達障害について知識のある先生からの研修がありました。

そのときに、「アスペルガー」や「自閉症」と共に「アインシュタイン」や「エジソン」「トムクルーズ」や映画レインマンの紹介がありました。

私はそのとき、アスペルガーにも自閉症にも詳しくありませんでした。だから船漕ぐ人も多い中、真面目にメモを取りながら、聞いていました。

でも、日々関わっていた、「訂正をきちんとする」の「きちんと」の本人レベルが高すぎていつまで経っても提出できず困っている子やクラスでのグループ作りに戸惑い、運動が苦手なのに学年でも最上級レベルの運動レベルのグループに飛び込み、練習でうつむいている子にどうしたらいいかのヒントは研修では何一つ得られないことを研修に出るたびに学ぶことになりました。

きっと、卯月さんが出会った、凡医たちと似たり寄ったりのレベルの人たちが、私のように初めて特別支援教育に出会う人に、
先駆者気取りで内容のないことを教えていたんだなぁと今は思います。

そうやって、本に出てくる「小川クリニック」の先生同様、症状の羅列が自閉症を理解したことだと思っているような人が、自閉症や発達障害の理解のために今でも研修だ、講座だとやっている現状。卯月さんの凡医の毒牙にかかりお子さんを亡くされた無念さが浮かばれないと胸が苦しくなりました。

「薬だけ出してくれて、話は3分も聞かれない」「もう少し様子を見ましょうって言われて、一年半経つ」「嫌なら病院変えられたら?と言われた」そんな話を私の周りでも聞くことがあります。

どうしてこうも、威圧的高圧的に相手を萎縮させるだけの医者や無策で先の見通しもない医者ばかり卯月さんは出会ってしまっていますが、これは不運というより、仕方がないことかもしれません。

自分で違和感を持つのだったら、自分の感覚を信じて病院を変える、それが先々自分を守ることにもなる。でも、それをするには自分の人生には自分で責任持つ、ダメならまた動く体でいることが大事かも、そんなことを思うことでした。




君はずっと一緒だった〜自閉症だった息子〜 ②

2020-06-23 16:36:00 | 本の紹介
続きです。

読みながら、これもかつての記憶が蘇り、頷き、ため息、むかつきながら読んだ中学高校編の部分です。


お子さんを愛しく思い、成長を楽しみにしているご家族が、特に中でもお母様が出会う病院関係者や学校関係者、カウンセラーと、本当に誰一人まともな大人が居なくて驚きました。

特に私立でも公立でも、似た人種の人たちがいるのだなぁと、かつての私も勤めたことがある学校の部分では、これは私が同僚だった人のこと?と、なんだか手にとるようにその逃げる様、他人事にする様が浮かび、自分がそこで仕事していたかのような錯覚を覚えました。

まず、初っ端、お子さんが生まれた喜びで溢れているお母様に、母乳をあげたことを理由に30分以上も叱責する看護師は一体、なんなのでしょう?

私には検索での知識しかありませんが、そんなに叱責されるような事柄には思えないので、卯月さんは変な看護師にあたり不運だったのだなぁとただただ、同情するばかりです。

でも、こういう医療関係者の「思い込み」に先々卯月さんが翻弄され、巻き込まれる象徴的な出来事だったのかもしれない、と後々ページを進めながら思うことでした。

小学校に上がったお子さんは、日々充実し輝いていたのだろうなぁと思うと同時に、だんだんと知識だけでは追いつかない、戸惑いがお子さんの中に生じてきたのかもしれない、と思いました。

そして「授業中の方がいい」と、私が中学校で支援員をしていた時も同じセリフを聞いたことがありました。そのときにその子に「どうして?」と聞くと「グループも決まっているし、することが決まってるから緊張しなくていいの」と言っていたことを思い出しました。

子どもにとって楽しかろうと思う自由度の高い時間に、緊張感を募らせる子は、いじめられたり、話す子が居ない、そういう子だけではないことをそのとき私は初めて意識したように思います。

さて、中学受験を突破して、中高一貫の学校に入学した「中学高校編」は、学校関係者、医者、カウンセラーとダメ人間の巣窟です。

そして、「付録」で公開されている浅見さんのメールのお返事にあるように「特別に不運な体験をなさったわけではない」というのが、本当に悲しくなる今の現実だと思います。

私は、医療については書籍や人伝の知識しかないので、学校という職場で働いていたことがある立場で、私が感じたことを書きますね。

学校というところは、本当に、本当に事なかれ原理主義です。

守秘義務はもちろん、大切な場合もありますが、何か、問題が起こってそれが外に出なかった場合、「力のある先生」として評価されるほど歪んでいると思います。

そして、大きい問題が起こったとき、解決に向けて動ける胆力がある先生とは、多分、私は1人だけ出会ったくらいで、後の方々は、次の学年へ先延ばしだったり、卒業させて肩の荷を下ろして、それで問題解決一件落着!と胸を撫で下ろす方が多い気がしています。(私見です)

そして、養護教諭が保健室に休みに来る子を病院へ、というのはあるだろうなぁと思いました。

これは保健室利用が多い学校などで、「保健室利用は1時間」などと決めて、何日か連続利用したら病院受診させる、などと学校のトップが決めたというようなことを聞くこともあったからです。

知り合いの養護教諭は、「少し休みたいだけなのに、おかしい」と抗議したら「生徒が甘えるんです。人気者になりたいのですか?」と言われ、呆然としたと聞いたことがありました。

それにしても、保健室を利用していることを親御さんと話もせず、「精神科の病院へ」といきなり言い出すのは、突拍子もないというか、悪意すら感じます。

養護教諭が卯月さんに言ったことを担任は把握しているか、担任への保健室利用状況の報告はあったのか、こういう1人の生徒を精神科受診させるまでの流れを校長が把握してるのかと甚だ疑問に感じました。

もし、養護教諭の思いつきが発端ならば、責任は重いですし、その後の対応を見ても全員の職務放棄の状態だと思います。

私が知っている養護教諭は、保健室の利用回数が多ければ、担任に報告して体調などを親御さんに確認してもらっていました。親御さんから「体調悪くないですよ!」と言われれば、「何か他に原因があるのか?」と子どもや親御さんと話したり、お子さんが学校で過ごしやすいように、ということを念頭に動いていました。

だから、良心的な養護教諭ならば、親御さんからの相談もない状況で「精神科に行って」と指図することがありえないことだし、最終的に精神科受診に辿り着いたとしても、そこに行き着くまでには、もっと他の対処をしていただろうと思うのです。

この本の養護教諭は保健室利用者について学校から圧力を受けていたりして、己の保身のために仕事をしている最悪な教諭だったのだろうと想像したことでした。

更に、中学校時代に出てくる2人の先生が、あれ?私の同僚だった人?とデジャブを覚えるほどのダメ先生、いや、私も同僚で居たけれど、日本全国に沢山いるダメ先生の象徴のような方々ですね

普段、登校して来ないお子さんに対して連絡しないのは、

「自分は授業で忙しくて中々、電話連絡できないのだけど、そもそもあっちからが連絡がない」という言い訳の既成事実を積み上げていたり、

「連絡して、相談されても策もないし、面倒に巻き込まれたくない」という職務放棄。

この二つが理由かなぁと、一緒に仕事をしたダメ同僚を思い浮かべて思いました。

また、面談で家出のことを知り、激昂したのは、不登校の状況で変化なしと思っていたのに、急に想定外の報告を受け、自分たちが生徒の近況を把握していないことで校長に叱責されるかもしれない!という保身からくる怒りだったのでしょう。

私見ですが、学校の先生方は精神的に弱い方が多いです。そして、向き合うよりもはぐらかして先延ばしにする人が多いです。

時々、親身になってくれる人もいますが、自分の思う方向に誘導することに長けていて、気がついたら先生と親御さんが二人三脚でお子さんが置いてけぼりのことがあります。

でも、その場合、親御さんも「がんばってる人」と評価されていて、子どもがついてきていないことに気がつかなかったりします。

それで、担任の先生が変わるとうまくいかなくなり、むしろ、子どもとは拗れたりすることもあります。

だから、親御さんには、どうか卯月さんのようにお子さんを一心に見て欲しいなぁと思います。

私は私立の学校のことはわかりません。公立の中学校でも「教育委員会に報告しないといけない」が口癖で、生徒の大変さやしんどさには目もくれず、生徒の生き死にの心配よりも「学校が悪いことで新聞に載ったら、ニュースになったら大変」というバカ校長の元で働いたことがありました。

そういう人がトップだと、学年主任の先生が「先生、正気ですか?」というくらいの強気に出る人でないと、生徒もこちらも巻き込まれてしまいます。

関わった先生方が、お子さんの方を向いて仕事をしていない人たちだったことが、本当に残念だと思いながら読みました。

そして、卯月さんは、どんなに悔しかっただろう、どんなに辛い思いで家路についたことだろう、こんな学校の先生のこと罵倒し倒していいのに、読みやすいように冷静に書いてくださったのだなぁと思いながら読んだことでした。