日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

英語での混乱。

2015-06-04 16:53:26 | 発達応援
 朝の仕事は、まだ風もさわやかな午前6時には始まっています。
まだ、夜も開けきらぬ冬の頃は、冷凍庫の荷物を運ぶと指先が痛くなり、
いかに指先を痛くしないか!との戦いでした。(個人的にはです)

 約半年経った今、
大量の汗と熱中症との戦いの時期へと変化しています。
私は梅醤番茶を休憩中に飲みながら、塩分補給を心がけていますが、
他の方々は、汗対策に余念がないようで、
「も~、ビオレの拭くだけコットン持ってこなくちゃ!」と女子中高生のような会話をしています。

 ちなみに、還暦前~一番若手が35歳という女子7人でがんばっております

 私の算数でのすっとこどっこいぶりは何度かここで書きました。
でも、ふと、考えると、私は算数に限らず、
自分がわからないからなのか、想像ができないからか、
学習に対して、とても要領を得ない対応をする子どもだったんだなぁ、ということを
近頃、しみじみ自覚しました。

 要領を得ない学習方法が行われたのは、中学1年生から始まった英語です。
初めて接する、英語という外国語。

 しかし、ローマ字と似ている英語。

 その辺りの認識の仕方が、先ず以て、混乱ぶりを表していますね

 私が最初に英語を習った先生も中々、個性的で
「ジーシザーペン、これはペンです。ジーシーザージュデ、これはジュデーです。」と
文法説明は一切なく、淡々と読み、訳し、授業が進んでいく…という先生でした。

 さて、中学で始まった英語の勉強。
先生が「毎日テープを毎日聞きましょう!」と言われたので、
毎日毎日、教科書の内容を録音してあるテープを聞いていました。

 それを傍らで見ていた父は、娘の熱心な英語の勉強ぶりに関心していたようで、
あるとき、「今、発音した英文を書いてごらん」と何気なく言い、
広告の白紙を私に渡しました。

 私は、「どういうこと?」という顔をしていたようで、
そのとき、父はどうやらこの子は英語を書けないらしい、もう、5月なのに…と、
びっくり仰天したようでした。

 そこから、毎夕、毎夜、父から英語を習うことになり、
私は小学校のときの算数の悪夢を思い出すこととなりました。

 まずは、アルファベットの大文字、小文字。
さらに、単語。

 中学生のときのことなので、よく覚えていますが、
私は、例えば、「pen」という単語をテープで聞いているときは「ペン」と発音しているのに、
単語を覚えるときには、「p-e-n」要するに「ピーイーエヌ」と覚えていました。
そんなことしているものだから、長い単語、例えば「Japanese」などは、
「ジェーエーピーエーエヌイーエスイー」だったか、「ジェーエービーエーエヌイーエス」だったか、
わからなくなると言うか、混乱していました。

 そんなことしている、と気がついたのも父で、
「単語は、発音通りに書いて覚えなさい!」と言われ、
「ペンペンペン…」と言いながら「penpenpen…」と書き、
「テーボーテーボーテーボー…」と言いながら「tabletabletable…」と書いて覚えたのですが、
発音とアルファベットが日本語の単語のように合わないものがほとんどなので、ちっとも覚えられず、
「テーボーはタブレ、テーボーはタブレ…」というようにオリジナル読みも交えて、やっと覚えた記憶があります。

 父が「どうやらうちの子は英語の勉強の仕方がわかっていないようだ。」ということを発見してくれたおかげで、
初めての私の英語のテストは80点ばかりでした。
しかし、初めての英語のテストは内容もやさしい訳でクラスのほとんどが100点か90点台でした。

 そこではじめて、「あ、私英語わかっていなかったんだ」と気がつき、
毎夕、毎夜、むかつきながらも父との英語の勉強をしていて良かった、
じゃなきゃ、0点だったよ、と思ったものでした。

 その後、英語の勉強は夏休み終わりまで続き、
やっと、1学期の範囲ができた…かも、くらいになったのでした。

 中学で始まった英語に、周りの友人たちは苦労している様子もありませんでしたから、
やはり、私の頭はかなり、わからんちんの部分があった訳ですね。

 そして、父はおそらく、子どものときからの私を見ている訳で、
親の直感で新しい教科に対して、この子は対応できるか否か、ということを危惧していたのだと思います。

 広告の裏に英語の文の問題や単語の問題、アルファベットの抜けている所を書くなど、
手書きで3~5枚の問題を毎日作ってくれていた父。

 当時は、「覚えた!」と言っても、その問題製作の手を緩めず、
休日や夏休みはその枚数がもっと増え、
その上、抜き打ち確認までされ、うんざりしていましたが、
今は、細やかに育ててもらったものだなぁと、本当に感謝しています。

 自分では気がつきませんが、きっと私は、
わからんちんの部分をきっと今も保持しつつ、生活しているのでしょうね。

 でも、困り感はないですのよ

 


 

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2 コメント

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まゆたんさま ()
2015-06-05 09:14:13
こんにちは。
英語…。私も理解出来ず、be動詞ですでにつまずき、一つ一つの単語の日本語訳を並べ替えて日本語に「訳して」いました。
塾も無い田舎なので、個人のお宅に英語を習いに行かされていました。
中学時代の先生からは「全ての単語を日本語にしなさい。」と言われていたので、「a」は「一つの」と訳して入れていました。ところが高校では「意訳しなさい。」と言われて目の前が真っ暗になった記憶があります。
今でも英語は大嫌いですが、主人は「英語のどこか難しいのか解らない。」と言います。普通の人はそうなのかなあ?
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Tさん (まゆたん)
2015-06-05 18:02:32
こんにちは。

中学校での英語が楽しかった!という友人もいるので、私は、なんか、初物の入力がうまくいかない質だったのでしょうね。今は英語の必要性を感じつつも受け入れというより、怠け心でちっとも勉強すすんでいません
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