続きです。
慈しみ、愛されて育った明生さん。本文を読む限り、賢く、少し引っ込み思案で、自分の世界を持っていたお子さんだったのだろうなぁ、と想像します。
それは、きっと特別ではない、どこかにもいたであろうお子さんの姿。
でも、弟さんよりも何倍も、なんとなく心を配らずにはいられない、賢さの中にも不安定さを卯月さんは読み取っていたのでしょう。
親というのは、そういう勘が働くのでしょう。だからこそ、より大事に大事に育んでいらっしゃったことでしょう。
それが養護教諭の一言から崩れていきます。
校医の診断、薬は必要不可欠なものだったでしょうか?
それらが役にたった形跡は見えません。
また、小川クリニックの先生や学校のカウンセラーと語り合うことは、必要不可欠なことだったでしょうか?
それも、役に立った形跡はありません。
でも、今でも発達障害のお子さんたちは、適切な支援を受けるべきだ、と言われて、「生涯に渡る支援を」と支援に携わる側の人たちが、声高に言うのは珍しいことではありません。
この本で書かれた、明生さん、卯月さんに関わった人たちは、「適切な支援」を行うことができなかった、特別な人たちでしょうか?
残念なことだけれど、たぶん、こういう風に学校がきっかけで支援と繋がる子どもたちが今もいて、良くもならず、現状維持にもならず、という子どもたちもたくさんいることでしょう。
「早期で分かっていれば」という意見もあるかもしれません。でも、今も早期に療育に繋がり、治ってないお子さんも多いし、まさかの「誤診では?」ということさえも起きています。
子どもと関わる大人が診断をゴールとすると、そこで流れが止まってしまいます。
特に医療や支援などの立場にあたる人が、診断名をその子の人生の伴奏者にしてしまうと、本人の苦しさはそのままにされ、親御さんには子どもの中で何が起きているか、世の中とのどの部分に、どんな風に齟齬が生じているか見えないまま、ただ、不安定で苦しそうな我が子になす術なく、寄り添うだけになってしまうかもしれません。
診断や薬の選択をゴールにせず、その子の身体の状態に目を凝らし、思考を想像して、生きていくためや人生が豊かになるための色々な方法や手段を一緒に考えたり、ときには提案して、先々には独り立ちして、必要なときに自分で助けを求められる、そんな風になるお手伝いをしていけたら良いのかなぁと思うのですが、どうなのでしょう。
私自身、そんな支援ができている訳ではありません。
関わっていた子が「私は、20歳までの美しい私を残したい」ということを頻繁に言っていました。
そうするための保存方法にどんなやり方があるかも詳しく調べていました。
そして、一風変わり者と認識されていたその子の言を聞いた担任の先生や学年の先生は「また、馬鹿なことを言っている」と面白おかしく吹聴したり、頭ごなしに叱ったりしていました。
その度に、その子は悲しそうな表情やびくついて肩を丸めていました。
あるとき、私にもそのことを言うので、「どうしてそうしたいの?」と聞くと「シワやシミがあると嫌だからです」と言います。そんな理由なのか?と内心驚きましたが、「でも、それを実行するには、あなたは死ななくてはならないよね?そうすると、お母さんお父さんは悲しむし、かわいがってくれているおじいさんおばあさんも、ショックだと思うよね。」というと、とても驚いた表情をしていました。
私の予想ですが、その子は「美しい自分を保存する」行為と「死」が結びついていなかったのでは、と思うし、自分が亡くなったあと残された家族が嘆き悲しむ、ということも想像していなかったのでしょう。
何かの診断があった子ではありませんが、短略的な思考と行為実行の裏に伴うことへの想像力が弱い子だという認識があったので、そういう話をしました。
その数年後、進学のため上京するというその子が会いに来てくれました。そのとき、その話を思い出して「方法を変えて、一番きれいだったときの銅像を建てることにします」と言っていたので、ああ、若くして亡くなることは回避されたかなぁ、と少しホッとしたのでした。
今だったら、頭で考えることだけで忙しいのだろうから、もう少し、体を意識できるようにしたのになぁ、と思います。
その子が話したのが、診断がゴールのお医者さんだったら、何か診断して終わりだったかもしれません。
診断では、役に立たなかっただろうなと思います。ラベリングするだけのお医者さんには、もう退場してもらいたいですね。
さて、卯月さんが描かれた息子の明生さんは、本を読み終えて、明生さんがもういらっしゃらないとわかっていながらも、今もこの世界で暮らしているのでは?と思わせるほど、活き活きしていました。
こんなにその体温、息遣いを感じられるほどにお子さんのことを書くことは、卯月さんにとって明生さんを感じる作業であると同時に、喪失感も増す、どんなに大変な作業だっただろうと思うと胸が苦しくなりました。
本にしてくださったことに、読ませていただけたことに心から感謝致します。
どうか卯月さん、ご家族もお元気でお過ごしください。
これからも、何度も読み直します。
本当にありがとうございました。
おわり
お子さんのことできいさんも、もがいた時があったのですね。
この本を読み、親御さんの愛情を感じ、また親の言葉に表れない子どもへの慈しみの深さを感じることでした。
近くならばお貸ししますのに…。読む機会が訪れますように!
うちの息子も娘もで、闇の中にいるようで周りに答えを見出したいけど見つからない。
そんな状態でした。この本に
いつか巡り合いたい!そう思います