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鹿児島の講演会の振り返り その2

2020-10-26 17:18:49 | どこでも治そう発達障害
栗本さんの講座の案内をはさみましたが、講演会の振り返りの続きです。


第1部の講演会、当日はもちろん、後日配信期間なので、更に数回とお聞きになった方もいらっしゃることと思います。

この振り返りのブログを書く前に、途中まで保存している記事がありました。あまりにも間が空いたので、第1部を数回聴いたのですが、私の感想は変化していました。

それは廣木さんがお子さんの将来の預け先、託せる先として、お子さんが利用する可能性のある支援先を仕事場として経験されながら、そこで感じたリアルな現場の話をされている部分についてです。

はじめは、発達障害界隈のギョーカイが「支援」だ「自立」だと言葉遊びをしながら、産業としての形だけを為そうとしているだけということや通ってくる子どもたちを本気でどうにかするぞ、という気がないダメさ加減についての話という認識でした。

それが今は、それプラス、「発達障害への支援」というだけで、なぜ、そこにそれほど信頼を置き、子どもを丸ごと預けようとするのか、という問いかけの部分が際立ってきました。

これは、廣木さんの言葉がただの発達障害支援ギョーカイの批判ではないからです。

なぜなら、廣木さんが職場とされて来た場所は、自身のお子さんが将来利用するのか?と親自身がその現場を見極めるためにに行った場所でした。

今、廣木さんの傍には日々、ご自身のイラストで稼ぎながら幸せに笑うお子さんがいらっしゃいます。

そうなるまでには、廣木家はお子さんの教育にふさわしい学校を探し、小学校の校庭が見える場所に引っ越し、自傷他害をするお子さんをなだめと様々な困難に立ち向かっていらっしゃいます。その結果、いつも笑顔が絶えないお子さんに成長されたのです。

そんなお子さんを持つ廣木さんです。接していた施設にいらっしゃった方々が家庭の中で朗らかに過ごせていたかもしれないと、誰よりも感じられたのではないでしょうか。

かつて子どもだった、大人になった方々の悲哀や切なさを廣木さんが代弁されているような気がして、それは親御さん同士だからこその「我が子のことだから親は踏ん張ろう」というエールにも感じることでした。

私は鹿児島の方々にも支援の情報をアップデートしていない様や単なる産業という一面すらあるという現実を知って欲しいと思っていました。

更にそこに暮らす人たちの姿が立ち上がってくるそのお話は、今まだ暮らしているのがお子さんである視聴した方々には、親御さんのあり方を見せていただいたなぁと思うことでした。



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