日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

正月終了!

2016-01-03 19:48:18 | 日記
 正月も終わった感じの3日目。
居過ぎると根が張ると、母も帰り、
明日からは夫婦共々仕事始め。

 12月の続きがやってくるなぁ~という感じですね。

 昨日は母と餃子作りをしました。
「皮から作るが!」ということになり、早めに母子で台所に立ちました。

 母の母、私の祖母はその昔、満州に住んでいたそうです。
母はその頃、まだ2歳でちーっとも覚えていないそうですが、
祖母が餃子を作るときに、よく「満州で習った」と言っていたそうです。

 水餃子作りやら昨日紹介した『たった独りの引き揚げ隊』を
母にも勧めたら読みはじめたことなどで、色々な昔話を思い出して、
餃子を作りながら聞きました。

 母は20代の若いときに、やはり満州から引き揚げてきた近所の方が、
ロシア人のお嫁さんを連れ帰ってきていて、その人にロシア料理を習っていたそうです。

 ワーリヤさんというその人は白系ロシア人だったそうで、いつもいつも、
「今のロシアはコワいよー」と言っていたそうです。

 母の生まれたところは鹿児島の中でも、これまたすこぶる田舎です。
そんなところにロシア人の人がいたことにも驚くし、
ロシア料理教室をしていたことにもびっくりぽんです。

 「お母さんの他に生徒さん居たの?」というと、
「知ら~ん。いつもワーリヤさんとふたりだったよ。」と言っていました。
習ったきっかけは、ロシア人の人がいて言えば料理やら教えてくれるらしいと聞き、
祖母に「行って来る!」といって行きはじめたらしく、
料理の他、ロシア刺繍なども教えてもらったそうです。

 私が4歳くらいのとき、鹿児島市内のバス停で偶然ワーリヤさんに会ったそうですが、
青い目と黒くない髪の毛の色に私が怯えて、大泣きに泣き、
それはそれはワーリヤさんに気の毒だったと母は話していました。

 また、どこぞの親戚が満州で軍の物資を闇に流し、警察沙汰になり、
そのせいでその親戚は恩給がなかったとか、
はたまた、終戦後しばらくして、またも、どこぞの親戚が家や田畑を抵当に借金していたとか、
その借金を返すのにどうしたの、祖母が佐世保から嫁に来た話まで、
餃子を作りながら、大正~終戦後までの母の家のことを、
薄い文庫本くらいには話を聞きながらの餃子作りでした。

 子どもの頃に、正月やお盆になると訪ねてきて、
祖母と親しく話しながら、酔っぱらうと祖母に謝ったり、泣いたりしていたおじさんが居たのは、
ああ、そんなことだったのかなぁ~と、子どもの頃の記憶が線となったり、
面白い水餃子作りでした。

 そんな夢か現かの話を聞くのも、
正月らしくて良いものだし、そんな突拍子もない話は、
もう、母の代までで語ることができる人も居なくなるなぁ、と思うと、
色々、細々、聞いておこうかな、と思うことでした。


コメント
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