日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

廣木さんの実技

2020-09-20 12:05:00 | どこでも治そう発達障害
10月3日、鹿児島の「発達障害を超える」では、廣木さんの実技もあります。


廣木道心さんは、武道家です。

武道家と聞くと、技を体得して、相手と相対するときに優位に立ち、闘えば勝つ、そんなイメージがあるかもしれません。

もちろん、廣木さんと何らかの勝負をして勝つ方はいらっしゃらないでしょうが、廣木さんが宗家の「護道」は「自他護身」を旨とする武道です。

「自他護身」というのは、「自分も相手も傷つけず護る」という意味です。この「自他護身」を基に廣木さんが構築されたのが
「支援介助法」になります。



廣木さんの支援介助法は、何らかの理由でパニックに陥って、自分を傷つけようとしたり、他者に挑みかかろうとするお子さんや成人の方の行動に対して、落ち着きを取り戻させるための実践です。

武道と介助というと、高齢の方の施設で古武術を用いた介助法があります。そちらは、体の機能が衰えた高齢の方の対位移動などで、いかに介護する側がラクに体を使えるようにするか、という視点で書かれています。また、高齢の方たちも基本的に介護者に協力したいという思いを持っています。

一方、お子さんや成人した方々は、自身で元気に動ける方が大半でしょう。パニックを起こしているときは、誰しも感情が爆発していて、相手の言うことに聞く耳は持たないことが大半です。

私が知る限りでは、発達障害や自閉症のお子さんが自傷や他害、パニックになった場合は「数十分でおさまるので、刺激せず静観しましょう」とか「そもそもパニックを起こさないように、その子がパニックになるものから遠ざけましょう」「落ち着ける場所に移動させましょう」など、何の対処にもなっていないことが対処法として謳われているように思います。

大自然の中で大声を出すくらいならば静観もできるかもしれませんが、家の中やお店の中、学校で大声を出したり、頭を打ち付けたり、噛み付くなどやり始めて、数十分静観できるものでしょうか?また、パニックの前兆を全て把握できれば良いですが、それも完璧には難しいことのように感じます。更にパニックを起こしている子を落ち着ける場所へ移動させるにはどうしたら良いのでしょうか。引きずって行って、パニックに追い討ちをかける気がします。

廣木さんの護道を用いた支援介助法は、そのような自傷や他害、パニック状態のお子さんや成人の方、パニックではないけれど気持ちや気分のざわつきで落ち着けない方に対して、身体を通して本来の落ち着いた状態に戻すものです。



この廣木さんの支援介助法の生まれた源は、ご自身のお子さんがストレスをうまくコントロールできず、小学3、4年生の頃、殴りかかって来るようになり、そのことをどうにかしたいという親心です。

武道家で体の捌き方が優れている廣木さん。愛する我が子の行動を武道の技を用いながら、怪我をしないように封じ込めるなかで、気がつくとお子さんが落ち着いていったそうです。

我が子だから通用したのか?
汎用性はあるのか?
体力差があっても使えるのか?

廣木さんの様々な場での実践や知見でそれらの問題もクリアーされて支援介助法は構築されています。

そして、今回、鹿児島の講座では「自分を整える身体づくり」と題して廣木さんに実践講座を開催していただきます。

お子さんや学校の生徒、施設の利用者さんが自傷や他害やパニックを起こしたときのことを教えて欲しい、と思われるかもしれません。

でも、私たちの身体が整っていないことで、お子さんや生徒さん、利用者さんたちの何かを誘発している可能性も大きいと私は思っています。

まずは、接する側が整える術を身につけましょう。そうすることで、防げることも多いと思います。

中々、遠方での機会がない廣木さんの支援介助法の実践講座。

ぜひぜひ奮ってご参加ください!

お申込みは
annon.okiraku★gmail.com(★を@に変えて)

第一部〜三部通した方がお得になっています。よろしくお願い致します。















どうして愛甲さん?

2020-09-14 23:20:00 | どこでも治そう発達障害
間が空いてしまいましたが、10月3日の鹿児島での「発達障害を超える」の講演会についてです。


今回、とてもお忙しい合間を縫って愛甲さんもお話ししてくださいます。

私が愛甲さんにお話しして頂きたいと思ったのは、南雲さんと廣木さんのお話が頭にあったからです。

南雲さんはご自身が様々な困難を乗り越えてこられたのは、家族の力、家族の存在も大きかったと話され、大阪での講演会で廣木さんが親御さんの必死ながんばりの大切さをお話しくださいました。

そんなお話しを聞きながら、私が出会った親御さんもがんばっているし必死だけれど、何かが違う、何だろうと考え続けていたら、以前ブログでご紹介した本のことが頭をよぎりました。


親御さんが親ばかを発揮できて、お子さんが親ばかと出会えると、発達障害の子をどうしたらいいか、と表面的なことに囚われないお子さんを育むことをを楽しむことができるのではないか…?

愛甲さんの『知的障害は治りますか?』と『愛着障害は治りますか?』を読み、親と子の関係性を築くということや愛着障害を乗り越え主体性と甘えを親自身も発揮できるようなヒントをいただけるのではないかと思って、愛甲さんにお話しをお願いしました。

Zoomでの住み慣れたお家での視聴も良いですが、会場に足を運んでくださって、講師の方々が会場で醸す空気感を味わって頂きたいな、と主催者としては思います。

お申込みは

annon.okiraku ★gmail.com(星を@に変えて)まで。

どうぞ奮ってご参加くださいね(*☻-☻*)




発達障害は病気じゃない。

2020-09-13 18:15:00 | 発達応援
今日は午前中、桜の通院の後、10月の講演会のポスター、チラシを会場に持っていきました。


帰って来たら、お昼の12時になろうかという時間。セーフ!

今日は午後から函館のてらっこ塾の大久保悠さんとからだ指導室あんじんの栗本啓司さんのオンラインでの「医者が教えてくれない育ちのアセスメント」がありました。

てらっこ塾の大久保さんは、支援施設でのお勤め経験があり、お子さんの育ちを後押しする知見が豊富な方。

大久保さんのブログを読むとお子さんたちの発達をどう見ていくかということを語られていて、いつも学ばせて頂いています。

大久保さんのブログ

大久保さんのHP

その大久保さんとコンディショニング講座開催に全国で呼ばれ、たくさんのお子さんを見てきた栗本さんの知見を同時にお聞きすることができるので、この日を心待ちにしていました。



お話をお聞きして思ったのは、発達障害と言われているお子さんをお二人とも「人」として「個人」として見ていることです。

お話の中にもありましたが、お子さんたちの行動は「自閉症だから」「発達障害だから」やっているわけではなく、その人が成長の、あるいは発達の過程で必要だからやっていることだということ。

もっというと、体的には成長し、かつて自分がどうだったかは忘れた私たち大人が「発達のためにやっている」と理由付けしているだけで、子どもたちはやりたいことをやっているのでしょう。

もしかしたら私たち大人は、単に同年代のお子さんとの違いや記憶にある幼い時の自分との違いに、また、大人が良いと思う行動規範やスピード感から外れてしまいがちなお子さんたちを発達障害という括りで見てしまっているのかもしれない、そんなことも聞きながら思いました。

たくさん寄せられた質問を聞きながら、親御さん方のお子さんたちへの細やかな目配りに感心しました。

同時に、栗本さんが「自分がやっていたら気にならないこともあるよね」とふと言われた言葉で、私はお子さんの行動を発達障害が根元にあるように見過ぎていないかな、と振り返ることでした。

そして、大久保さんのブログが心に響き、読む者を元気付け勇気付けるのは、発達障害の症状の羅列や起因の解説ではなく、子どものより良い未来のために日々の暮らしでやれることや発達の後押しを提案されているからだなぁと思うことでした。

また、医療は病気を発見するけれど、発達障害は病気ではないし、診断はその子の切り取られたその場でのことしか見ていない、という見解に大きくうなずくことでした。

お子さんたちの凸凹は、病いではないことをまずは知り、親御さん方がご自身の得意なやり方でお子さんの発達の抜けを育てていくことの大切さを感じた時間でした。

人が生まれて、育つ壮大な物語を切り取り過ぎず、丁寧に見ていこうと気持ちを新たにした時間でした。

お話下さった大久保さん、対談を企画して下さった花風社の浅見さん、Zoom運営のボリンゴさん、ありがとうございました。

今日の対談を聞きたい方は、今からでも間に合います。下記ブログを見てお申込みになってくださいね。絶対、オススメです!



脱支援のススメ〜ゴールはその先!

2020-09-09 17:14:00 | どこでも治そう発達障害
台風の影響があったり、大きな台風が来たり、あっという間に9月も2週目が終わろうとしますね。

8月の最後の土日、素晴らしいお話を聞きに行きました。


藤家寛子さんと廣木道心さんの「脱支援のススメ〜利用者と支援者が見た支援」という講演会です。

講演会については、主催者さんやお話しくださったお二人、花風社の浅見さんなどがブログにアップされています。

からだメンタルラボ


藤家寛子さん


廣木道心さん


花風社 浅見淳子さんブログ


もう、これらに当日の全てが詰め込まれています。

私がお二人のお話を聞いて感じたのは、「自立を目指していた特別支援教育による支援は、既にビジネスになっていることを多くの人が気がついていないのだなぁ」ということです。

私は7年前まで、学校内で「特別支援教育支援員」として働いていました。

この制度で支援員は名目上は、

「幼稚園、小・中学校、高等学校において障害のある児童生徒に対し、食事、排泄、教室の移動補助等学校における日常生活動作の介助を行ったり、発達障害の児童生徒に対し学習活動上のサポートを行ったりするため」

に配置されるものです。分けるためではなく、どちらかと言えば障害があっても地域の学校で同学年の子供たちと過ごすために配置されるのです。

私は食事や排泄のお手伝いの経験がなく、説明を聞きながら「できるかなぁ」と不安でした。

配属された中学校では専ら学習上のサポートで、ホッとしつつも、テレビなどで「地元の学校に入学させたい」と訴える親御さんたちを見ると「支援員を活用できないのかなぁ」ともどかしい気持ちで一杯になりました。

今、私の住む県内では身体のサポートがいるお子さんのために支援員が配置されている学校はどのくらいあるのでしょうか?

以前、一緒に支援員として仕事をした同僚もほとんどが「学習のサポート」として入っていることと思います。

そして、以前、支援員をしていた時の私は、普通のクラスで授業を受けているサポートが必要な子どもたちが、その実力を発揮するためには「支援学校に行った方が良いのでは?」と思っていました。

それは、普通のクラスの流れに取り残されて、全て同級生のお膳立てしてくれたところに乗っかって終わりでは、この子は自立できないのではないか?と思ったからです。

特別支援教育は、子どもの自主性を育て、自立を促し、できることを増やし、就職させて地域で暮らせる、と思っていたからです。

それが、幻想であるかもしれないことを感じたのは、支援員を辞める2年ほど前です。そして、学校での仕事を辞めて花風社の本(その時は『自閉っ子と未来への希望』『発達障害は治りますか?』)などを読み、身体面からのアプローチで素晴らしい成果を出していた森嶋さんと灰谷さんが手を組みかけた子どもをカテゴライズするセミナーに足を運び、完全に「おかしい。支援は自立させない。凸凹っ子はお金になるんだ⁉︎」ということに気が付き「支援≠自立」だ!と目が覚めました。

今でも、親切に「生涯にわたる支援を提供するには」と善人ぶって語る人たちはいます。

もちろん、一生涯支援が必要な人もいます。そういう方は、何の肩身の狭い思いなく、必要な支援を受けられ、ご家族共々生活の質を確保して欲しいと思います。

でも、自分で考えたり、自分で自由に行き来できるお子さんが、特別支援教育に関わったが最後、一生支援が必要と烙印を押されるのは違うのではないか、と思うのです。

ちょっと知り合いとランチも一人でぶらっとお出かけも、数週間前から許可をもらう。親との外泊も許可がいる。お風呂の時間が16:30〜、夕飯は18:00〜、その後消灯時間までやることが思いつかない…。

これはあるグループホームで過ごしている、かつての教え子が言っていたことです。

安全も住む場所も提供されているけれど、グループホームにほど近い作業所との往復の毎日。

これが特別支援教育のいう自立したゴールなのか、本人や家族の設定したゴールなのか知る由はありません。

自分の食事や洗濯など身辺のこと、近所の方と会えば挨拶をするくらいのコミュニケーション力、ゴミを決まった日に決まった場所に捨てるなどできれば、アパート借りて、アルバイトで生計を立てた方が自由かもしれません。

選ぶのは本人とご家族です。

放課後デイサービスもグループホームも作業所も、障害のある人たちが来ることで成り立っています。

ただ、そこに通う人がそれらを支えているわけではなく、そこに通っている人も含めみんなが払った税金でそれらの事業は成り立っているのです。

そして、福祉は実はしたたかに、「来て欲しい人」と「来て欲しくない人」を選んでいることも今回の講演会でお話を聞くことができました。

今回のお話は、優秀な利用者であればあるほど、福祉のレールに乗り、そこを外れることが難しいことや福祉の現場にとって、利用者は施設の維持管理や毎月のお給料を運んでくる金づるであることが赤裸々に語られました。

福祉を利用して助かっているのは本人なのか、家族なのか。そんな現実を考えた時間でもありました。

そして、自立や脱支援することが目標のゴールではないこと。

個々人が日々の小さな実りを喜び、己の人生を充実したものにし歩み続けて、来るべき人生のゴールを目指すのかなぁと思うことでした。