長年クラシック音楽を聴いてきたアントンKだが、その大部分はオーケストラの奏でる管弦楽曲を中心に鑑賞してきた。近年こそ、いつもここでご登場願っているヴァイオリニスト崔文洙氏のおかげで、クラシック音楽でもソロリサイタルや、あるいは室内楽曲にまで鑑賞の幅は広がりつつあり、新しい音楽の魅力の再発見にワクワクする日々を送れている訳なのだ。
いつもは、大編成のオーケストラ楽曲こそコンサートホールへと足を運び、生演奏を聴くべきだと思ってきたが、最近ではその考えも変わりつつある。もちろんベートーヴェンの第九を筆頭にその考え自体は変わらないが、編成が小さくなればなるほど、演奏者自身を演奏から感じることが可能で、まさに一期一会の時間空間を共有することができることがわかった。
昨年から世の中が不安定となり、現状の何ともやり切れない気持ち、そして先を見据えるとさらに鬱々と成りがちな心の葛藤との付き合い。アントンKの場合、一時でも趣味に没頭することで、何とか今まで乗り越えてきたように思える。線路端で友人達と交わす他愛もない会話で救われ、そしてまたコンサートホールでの一時の心の集中と解放で、次の一歩を踏み出せる気がしてならないのだ。目に見えない空間芸術だからこそ、音楽には無限のエネルギーが存在するし、アントンKには今後も無くてはならないカテゴリーであり続けることだろう。アントンKは生涯音楽の偉大なる力を信じたいのだ。
そんな気持ちにさせてくれた、今回の新日本フィル定期公演。入場制限も大幅にされながらも大変素晴らしい演奏だった。前半に演奏されたモーツァルトは、二人のピアニストの個性が演奏から垣間見えて、それに付けるオーケストラの柔軟さが伝わってきた。これには、指揮者の秋山和慶氏の演奏経験が生かされていたのか。明快な解釈で優美な演奏に思えたのだ。そして後半の「アルプス交響曲」は、しばらく大オーケストラ音楽の醍醐味を忘れかけていたアントンKが一撃を食らわされたような衝撃的な演奏だったと書いておきたい。10年以上前、大植氏が大阪フィルを東京まで引き連れて演奏したアルペンも強烈な印象が残っていたが、今回はそれ以上か?近年稀に見る内容ではなかったか。この音響のスペクタクルとでも言うべき、多彩な音色をきっかり明確に描き出した指揮者秋山氏の技量も大したものだったが、それにとことん付いていったオーケストラの”ここぞ”の場面の力量は凄いものがあった。それは、単に爆音だとか轟音といった疲れる音ではなく、あくまでも音楽的な筋の通った音色として聴衆を魅了していたのだ。バンダを含めたホルンの主張は痛快であり、それにも負けじと弦楽器群の大健闘が嬉しかった。語れば切りが無いくらいだが、最も印象的だった部分は、嵐が去った後の部分。安堵感と静寂な空気感、日没で夜を迎える空の色合いが目に見えるようで、こんな光景、去年からしばらく見ていないと思うと、一気に目頭が熱くなってしまったのだ。遠くの方からオルガンの響きが聴こえ、ホルンが雄弁に語った後の崔氏率いる弦楽器群の気持ちの籠もった回想シーンは絶品であり、全体の白眉に感じたのである。
新日本フィルハーモニー交響楽団的演奏会 ジェイド
モーツァルト 2台のピアノのための協奏曲 変ホ長調 K365
R.シュトラウス アルプス交響曲 OP64
指揮者 秋山 和慶
ピアノ 伊藤 恵
小菅 優
コンマス 崔 文洙
2021年5月20日 赤坂サントリーホール