ここ数週間、今まで聴いたこともないくらい集中してバッハを聴いてきた。
新日本フィルのルビー公演で、ソロ・コンマス崔文洙氏監督指揮のもと、バッハのブランデンブルク協奏曲の全6曲が演奏されるからで、彼の伝言がバッハを通してどう表現されるのか、より知りたかったからに他ならない。今までにも崔氏のバッハは、無伴奏ソナタやパルティータなど鑑賞する機会を持てたが、フルオーケストラのコンマスとはまた一味違った、小規模と言える編成のバロック音楽の世界でどんな演奏を繰り広げるのか感じたいと思ったのだ。
集中して聴いていたのは、半世紀も前に録音されたカール・リヒター盤だが、今回2日に渡って鑑賞した新日本フィルの演奏は、今の時世を反映してかアントンKには、慰めと希望に満ちた響きに感じられ、とても勇気づけられた印象を持った。少なからずどなたでも、悶々とした時間を過ごしてしまいがちになる昨今だから、透き通った真っすぐなバッハの音色は、心の奥底にまで浸透し気分が晴れやかになる。鑑賞している時間は、別世界で心を真っ白に出来たのだ。
このブランデンブルク協奏曲は、全曲演奏されることはどのくらいあるのだろう。普段は聴かないアントンKでも、第5だけは昔から知っていて、抜き取って聴いていた経験があるが、今回こうして全曲を鑑賞することで、新たな発見が多かったことが意外に思えた。6曲全てが楽器編成からして異なり、それぞれのパートが楽曲によって光の当たり方が違い、魅力的に構成されているのだ。オケに比べれば編成も小さいから、音楽もより個に委ねられることが多く、いつものオケの顔ぶれから新たな魅力を見出すことができたと思う。清々しい清涼感溢れるフルートの音色、暖かな情感を示したオーボエ、あまり聴きなれない高音域を吹き切ったホルン、音色そのもので、音楽が代わるチェンバロの優しい響き、そして華やかな音色で魅了したピッコロトランペットなど。またオケでは裏方が多いビオラが前面に出て華麗な音色を披露したり、チェロやベースの深い安定した響きも、小編成では無くてなならないものだと痛感した。楽器を持ち演奏しながら指揮をとった崔氏はというと、ソロ部分では楽曲に想いを込め、怒りや慰めの境地が垣間見えた気がしている。特に第1や第4での和音(重音)は、それまで聴いたことが無く、その想いが音色に反映されていたものと推測できたのだ。
バッハ的な奏法、というのはあるのだろうか? このブランデンブルクでは、同じフレーズが繰り返しあちこちに散りばめてあるが、特に弦楽器の動きがブルックナーの弦の動きとダブって聴こえてしまったことを白状しておく。昔、朝比奈隆が、リハーサルで「バッハのような響き、奏法で!」と団員に向かってゲキを飛ばしていたことを思い出してしまったのだ。確か第5交響曲フィナーレのコラール主題の前あたりを指していたと思うが、バッハを聴いて逆にブルックナーとは不謹慎はなはだしいな・・
掲載画像は配信ライブから、滅多にお目にかかれないと思われるコンマス崔氏の指揮姿。第6番は、ビオラメインに書かれた楽曲で、この時だけは、愛器を持たず登壇し指揮に徹していた。その指揮振りは、プレーヤーを信頼し、まるで自分が奏でた響きのごとく自由に操り音楽に没頭していたように思える。終演後、まだ温かな余韻に浸っていたい聴衆の拍手は止まず、再び呼び戻された崔氏は、安堵の表情を浮かべ、そんなお姿にアントンKは、かつての朝比奈を思い出し感動してしまったのである。
新日本フィルハーモニー交響楽団 ルビー定期公演
J.S.バッハ ブランデンブルク協奏曲全曲
第1番 ヘ長調 BWV1046
第3番 ト長調 BWV1048
第5番 ニ長調 BWV1050
第6番 変ロ長調 BWV1051
第4番 ト長調 BWV1049
第2番 ヘ長調 BWV1047
アンコール
管弦楽組曲第3番~アリア
指揮・ヴァイオリン 崔 文洙
トランペット 高橋 敦
チェンバロ 西山まりえ
フルート 野津 雄太
野口 みお
オーボエ 神農 広樹
ホルン 日高 剛
ヴィオラ 瀧本 麻衣子
脇屋 冴子
チェロ 桑田 歩
長谷川 彰子
コンマス 崔 文洙
2021年5月14日・15日 すみだトリフォニーホール
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