アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

ブルトレの元祖~20系客車を想う

2019-01-11 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

昔の写真を整理しながら、頭の中は国鉄時代へと遡っているが、そんな中、20系客車が懐かしく思い出され、唐突だが駄作を掲載してみる。

アントンKが鉄小僧の時代、誰しもそうしたように、カメラを持って上野や東京のホームを行ったり来たり・・・そんな時、強烈な印象なのは、やはりブルートレイン、それも20系客車だった。早朝の東京駅で入線してくる20系、「出雲」「瀬戸」「あさかぜ」。独特の走行音と優美なサイドビューは、駆け出しのアントンKでも一目惚れ状態だった。憧れの眼差しで、車体をなめるように見渡し、いつか乗りたいと思った遠い日。晩年になって、何度か乗車の機会を持てたが、見ると乗るとは大違いで、随分狭苦しかった印象が今でも残り、当時は、583系寝台の方が好ましく思えたものだった。

それはともかく、現代までの鉄道車両で、ここまで優雅で美しい客車は、ほかに存在しないのではないか。今でもその感想は変わらない。写真は、旧型客車から20系に変わって間もない急行「銀河」。この時は、いよいよ20系も急行用に格下げか、とやり切れない思いがあったが、後継の24系等との格差は、乗車してみて理解できていたはず。この時も時の流れを感じていたことだろう。ゴハチにも20系客車はベストマッチだと思うが如何であろう。

1976-04-23   104ㇾ EF5891 急行「銀河」  東海道本線:大森付近


古き良き国鉄時代を綴る・・

2019-01-09 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

季節を合わせて画像を掲載しているが、年末年始の多客臨が終わり、初詣臨も落ち着く頃、目指していたのはやはり雪中での上越線の電機たちだった。何度行っても魅力は衰えるどころか、さらに深まるばかりで、次々にアイディアが浮かんできたもの。まあ今思えば、若気の浅知恵だが、それでもカメラを持ってフィールドへ立つ喜びを噛みしめ、撮影を終えても、すぐにまた撮りたいと思ったものだった。こんな気持ち、今では少し懐かしく思う。またあの時のように燃えてみたいものだ。

この日は、強い冬型のせいか、軒並み夜行列車に遅れが出てしまっていた。何の情報もなく、都内から始めたようだが、写真の急行「越前」は、次位にEF58の付いた重連でやってきた。通常はEF62のみのけん引であり、時たまEF62の重連運転は見かけたが、ゴハチとの重連はこの時が最初だった。少しでも撮影条件を良くするために、推進回送まで撮影し、その後大宮で遅れの急行「鳥海」、そして蓮田まで行って、津軽や八甲田を撮影している。古き良き国鉄時代の思い出がたくさん詰まった1日。今後もこんな日常を綴っていきたい。

1980-02-08  回606ㇾ  EF6238+EF58175  東北本線:西日暮里付近


EF15牽引の衝撃!高尾初詣臨

2019-01-08 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

国鉄が民営化されて30年以上、もはや機関車に関しては、旅客用だろうが貨物用だろうが、今までに見境のない光景を目にして慣れてしまったから、何も感じなくなってしまったが、国鉄時代には、機関車の使用についても、現代では考えられないくらいキッチリと選別されていたと思う。時間とともに、その規則は世の中の流れに沿って緩和され現代に至っている。過去には、阪和線でEF58が貨物を平気でけん引していてがく然としたり、今まで華やかな九州ブルトレをけん引していたEF65P型が、今度は黙々と石油列車を牽引する時代がやってきた。そんな数々の経験があるから、今ではよほどマニアックが出来事でもないと心が動かなくなったのかもしれない。

掲載写真の時代、国鉄時代には、普段貨物列車を黙々と牽いているEF15が客車をけん引するといっただけで結構衝撃だったのだ。当時は、高尾山へ向かう初詣客のための団臨が毎年この時期に走り、我々ファンを楽しませてくれた。写真の東北筋からの列車は、新宿までが宇都宮区のEF57やEF58が使用され、ここでしっかりと機関車を交換、中央線高架区間は、八王子区のEF13又はEF15がその任に当たっていたのだ。晩年、EF15が引退し後継のEF60も高尾臨けん引の実績があったと思われるが、高尾臨の消滅の方が先か、ちょっと曖昧になっている。

今となっては、貨物機が客車けん引したって、何の話題にも上がらないだろうが、アントンKにとっては、この高尾初詣臨でのEF15や、吾妻線におけるEF12やEF15の団臨は、当時の想いがはっきりと蘇って、今でも心を熱くする列車たちなのだ。

1980-01-16   9535ㇾ  EF1589  14系高尾初詣臨  中央線:西荻窪にて


追憶のお座敷「やすらぎ」編成

2019-01-07 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

全国にお座敷列車が走っていた時代、アントンKの知りうる当初は、81系列の旧型客車が当たり前だった。基本は6両編成にまとまり、全国で各地の機関車にけん引されたお座敷列車を見ることができた。がしかし、その81系も老朽化が進み、代替車両として12系客車を改造したお座敷編成が各地で登場することになる。12系客車のお座敷は、鳥栖の「山編成」と「海編成」が最初だと記憶しているが、定かではない。門トス編成のお座敷など、関東ではなかなか出会えず、少ないチャンスを物にしなければならず、結果大した撮影はできていない。12系の原色に太めのグリーン帯を巻き、それだけで当時は物珍しく感じたもの。今思えば、それから始まるジョイフルトレインの原石なのだろう。

関東でも80年代以降、お座敷の需要が高まったのか、それまでの81系に続いて12系改造車のお座敷編成が各地でデビューしている。アントンKにとって12系のお座敷編成では、高崎に配置された「くつろぎ」と「やすらぎ」が思い出深い。乗車こそ叶わなかったが、それぞれ個性的でカラフルな外観をまとった編成は、多種多様の機関車との組み合わせが実現し、バラエティに富んでいた。JR化後もしばらく活躍していたが、重要の減速とともにフェードアウトしていった。EF5861との組み合わせも何度となく実現しているし、地方線入線時にもよく出かけて行ったことを思い出している。

掲載写真は、後から増備された「やすらぎ」編成の12系お座敷列車。その当時、EF6019が専用機に抜擢されて、同一の塗装で走っていた時期があるが、やはりこの塗装のロクマルは頂けなかったと思う。耐寒型のゴハチけん引の姿は時間的に見られなかったが、後継機のロクヨンけん引による凛々しい姿は、幾度となく見ることに恵まれた。

1986-08-07   9731ㇾ  EF641034  12系お座敷「やすらぎ」 上越線:八木原付近


上越国境の主~EF16

2019-01-06 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

日付の語呂合わせでEF16電気機関車を掲載。

偶然にも上越線が続いてしまったが、やはり上越線を語るときEF16のことは外せない。何キロにも及ぶ連続勾配を越えるため、水上-石打間ではEF16の補機を伴う列車が多く走っていた。昨日掲載したような夜行列車には全てに補機が連結され、またほとんどの貨物列車にも同様にEF16又はEF15が重連となって峠越えをしていた。一見EF15と見間違うほど、地味で目立たない機関車だったが、重連で山越する姿、そしてモーター音を山々にコダマさせて走るひた向きな光景は、大変魅力的に映り、アントンKもよく国境に出向いたもの。前にも書いたと思うが、ゴハチとの重連運転はこの区間の白眉だった。

掲載写真は、臨時のゴハチ急行列車が発車していった横で、次の補機仕業に中線にて待機しているEF1612。EF16の中でもこの12号機、そして11号機は、正面貫通扉上にもヒサシが備わっていて、より厳めしく大好きだった。雪化粧のEF16も良いが、真夏の夜に見たEF16も水銀灯に浮かび上がり惚れ惚れする。「いぶし銀」という言葉がぴったりだ。

1980-07-26        EF1612      上越線:水上にて