アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

脚並揃えて・・・

2024-10-19 09:00:00 | 鉄道写真(モノクロ)
 真冬の峠道
長く続く下り坂をゆっくりと進んで行く赤ベコED77重連

磐越西線専用に生まれたロコで
B-2-Bの車軸配置
兄弟車のED78より車長は短くバランスが良く感じた
最期はナナゴに道を譲ったが
独特のスタイルと走行音は今も忘れてはいない 
 
1991-02     更科信号所付近




蒸機には旧客がお似合い~秩父鉄道C58

2024-10-16 20:00:00 | 鉄道写真(SL)
  今回大井川鐡道で何年か振りに客車列車に乗った。それも今では旧型客車と呼ばれている一般客車で、乗車したオハ35は国鉄時代そのものだったような気がする。座席も窓も当時を思い起こすのには十分であり、瓶のフタを開ける栓抜きは現役に見えた。孫はもちろん、息子まで使い方が解らず説明するとは・・・時間がかなり過ぎたことをここでも実感。流石に座席ボックスごとにある灰皿は取り外してあったが、ぐるぐる回る扇風機は当時のまま現役で車内に心地よい風を送り、窓全開で楽しんでいるとセピア色の思い出が蘇ってきた。
 架線下を走る旧客の蒸機列車ということで、昔の秩父鉄道パレオエクスプレスを掲載しておく。そういえば運行当時は、しばらく一般客車で運転されていた。
       1988-05-02      5001ㇾ C58 363   パレオEXP      樋口付近


大井川鐡道 秋日和

2024-10-15 20:00:00 | 日記
 鉄道の日を含むこの三連休に、兼ねてから予定していた大井川鐡道へ乗り鉄旅に行ってきた。
 今回は大変天気にも恵まれ、大いに秋を満喫でき充実した時間を送ることが出来たように思う。同行した孫とその父親も大満足の様子で、それだけでも行ってよかったと、今にしてこの男3人鉄旅を振り返っている。ことの発端は、愛孫が未だ現役の元東急7200系に乗りたい!の一言からこの旅は始まっていた。そしてどうせ行くのなら、友人の強い推しもあり大井川鐡道が運営する温泉宿に泊まろうということになり、半年前から計画された旅だったのである。
 しかし、実際大井川まで出向いて、一番会いたい7200系が動いているのか、一昨年に災害で、途中折り返し運転が続いている中、電車たちは元気なのか最後まで不安だった。今回は3人で動いたため静岡までの往復は自動車で移動し、宿に自動車を置いて、後は列車旅に集中する計画。普通一般的には、この時期大井川鐡道のメイン列車になっている「機関車トーマス」号に乗車し列車旅を楽しむのだろうが、この手の作られた列車には愛孫はとんと興味がないようで、何とかSLとELが旧客を牽く列車の方ににアントンKの立つ手の希望で乗車できた。
 何せ大井川鐡道の現行の列車ダイヤは、客車列車の特別列車がメインであり、目的の普通電車は隅に追いやられているダイヤで、注視してないと気付かない存在だったが、自動車を下りて川根温泉笹間渡駅まで向かう途中に来た区間急行が目的の7200系でやってきた時には大喜び。少なくとも1回は乗車が叶うから、まずはアントンKも心をなで下ろすことができた訳だ。結果として、災害で分断された大井川鐡道を客車列車で1往復、7200系で1往復でき、忘れかけていた旧型客車の匂いや振動、音だけは東急時代そのままのダイヤモンドカット顔の7200系を間近で見て、懐かしく東横線を走る姿を思い出すことができた。
 それにしても、地方ローカル私鉄とはいえ車両の痛み、沿線は荒れ果てた状況で川根温泉笹間渡駅の不通側のレールには、草木が生え放題、本当に復活できるのか素人目でもいささか心配になってしまう。新金谷駅に長年留置してある元JR西日本のやまぐち号の客車たちは目を覆う有様。とても見るに堪えない姿をさらしている。すれ違う「トーマス」号は随分盛況に見えたから、あともうひと踏ん張りなのだろうか。アントンKには、フリー切符を買い、温泉宿に泊まり土産を買うことくらいしか出来ないが、将来の鉄チャンのためにも何としても再起して欲しい。
 掲載写真は、朝の一番列車を部屋から撮影する愛孫。7時前の始発にまたまた7200系が入り、朝からテンション爆上がりの姿。好天を期待できる青空のもと、銀の車体を揺らしながら単行で走る元東急車は、本来の姿ではないはずだが、昔を知らない孫にとって、これが7200系であり、その可愛い姿に惚れ惚れしていた様子。そんなシーンを時空を越えてカメラに収めることができ幸せに感じたのである。
  2024-10-14      2列車       大井川鐡道:川根温泉笹間渡付近
 

ミステリー列車はどこへ?~489系

2024-10-10 15:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
 ようやく秋らしい気候に変わり、過ごしやすい日が続いている。これからは、周期的に天気が変わり、一雨ごとに秋が深まって紅葉の便りも頻繁に届くようになるのだろう。楽しみだ。
 晴れれば清々しく、まさに行楽のシーズンで、昔はこの時期臨時列車も多数運転され、撮影にも忙しく動いていたことが懐かしい。連休を中心とした多客臨のほか、団体客を乗せたいわゆる団臨も多く、撮影には事欠かなかった。あの頃のお座敷列車や、欧風列車は今はもう望めない。機関車で牽引した客車が皆無となり、もっと運用効率の良い気動車、それも環境に配慮したハイブリッド車の短編成が今の流行だそうだ。長く同じことをやってると、時代の変化がこんなところでも感じてしまうのだ。
 写真は、特急電車をそのまま使用した団体列車。ミステリー号だが愛称名のところが「くちびる」の形になり、ファインダーから見た時には度肝を抜かれた思い出が。同時に横を九州からのブルトレが通過していくシーンだが、今となっては夢のまた夢となってしまった。
1986-01          東海道本線:藤沢付近にて
 

我が国鉄時代~国電全盛の頃

2024-10-04 07:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
 今思えば、どれも電車は武骨で趣がある。真夏は窓全開!真冬は妙に暖房が利く車内。走行音が大きく、振れも激しく会話は大声で怒鳴っていた!?特に京浜東北線や常磐快速線の103系、上野-大宮間の115系電車は、そんな印象だった。ま、それが当たり前の世の中で、通勤電車はこういうものだと思わされていた。だから鉄道は楽しい好きになったとも言える。
 そう考えると、今の通勤電車は静かでスマート!デザインも洗練されていてカッコよい。でもどれも同じに感じてしまい、温かみはなく、むしろ冷たく感じてしまうのはなぜか?銀色の車体が増えたせい?
 東海道を走る荷物列車の牽引機が、EF58からEF62へと代わるタイミングの直前に関西へと出かけ、昼夜撮影を楽しんだ時の思い出の1コマを掲載しておこう。西の巨大ターミナル大阪でバルブ撮影した581系寝台特急「彗星」。その横へすかさず入線してきた東海道緩行の103系スカイブルー編成。この時も忙しく発着が繰り返され、撮影などおぼつか無かった記憶が蘇る。
アントンKの国鉄型電車と言えば、まずはこの2形式が真っ先に思いつく。
 1984-01-14    3001M     特急「彗星」  581系   大阪にて