割狐塚稲荷神社
右の鳥居を行きます
王子稲荷神社
手水
社殿
割狐岩(わりこいわ)
この岩には、むかし老狐が住みつき夜になると出没したという伝説や、溶岩の亀裂からきつねが飛び出したという伝説があります。
狐は稲荷大神の眷属(神のお使い)とされ、篤く崇敬されています。
反対側に降りました。
割れ目から狐が飛び出したという塚
富士山がつくった割狐塚
割狐塚のでき方
となりの長霊神社 平和への道標
割狐塚稲荷神社
右の鳥居を行きます
王子稲荷神社
手水
社殿
割狐岩(わりこいわ)
この岩には、むかし老狐が住みつき夜になると出没したという伝説や、溶岩の亀裂からきつねが飛び出したという伝説があります。
狐は稲荷大神の眷属(神のお使い)とされ、篤く崇敬されています。
反対側に降りました。
割れ目から狐が飛び出したという塚
富士山がつくった割狐塚
割狐塚のでき方
となりの長霊神社 平和への道標
つり橋からの鮎壺の滝
長い距離を流れてきた三島溶岩は、粘り気が強く、薄く平たく広がりながら流れてきました。この溶岩の南西端にかかるここ鮎壺の滝では、薄い溶岩が何枚も重なっている様子や、流れる溶岩に巻き込まれた樹木が焼け落ちた痕跡「溶岩樹形」などを観察することができます。
設置・管理者:沼津市
鮎壺の滝
ポットホール 溶岩樹形 滝の断面 愛鷹ローム層
川に降りられないので、観察できない
滝壺近くに行きたい
ポットホールはどこ?
伊豆半島ユネスコ世界ジオパーク
およそ10万年前、本州と伊豆との境界付近に富士山が誕生しました。約1万年前の噴火では大量の溶岩が黄瀬川に沿って流れ下り、柿田川(清水町)付近まで到達しました。
三島溶岩と呼ばれるこの溶岩の亀裂やすき間は、地下水の通り道になり、各地に豊富な湧水をもたらしています。
鮎壺の滝は、三島溶岩の南西端にかかる滝です。黄瀬川の流れによって、溶岩流の下にあった柔らかい土壌(愛鷹ローム層)が先に浸食され、残された固い溶岩流が滝をつくったのです。
滝の正面にかかるつり橋からは、三島溶岩の断面と、そこを落ちる何本もの滝がつくり出す迫力ある景色を楽しむことができます。
設置・管理者:長泉町
滝の上流側
ド根性の松
鮎壺の滝 横から
鮎壺の滝 下流側から
JR東海 御殿場線 下土狩(しもとがり)駅
(静岡県駿東郡長泉町)
本宿用水 トンネルの入口
慶長8年(1603)、当時の領主、興国寺城主 天野三郎兵衛康景が黄瀬川から取水して本宿耕地へ流下させるようにした灌漑用水路で、トンネルだけでも長さが280間(509m)あった。ここはそのトンネルの入口である。
その後、安政の大地震(1854)が起こり、これは陥没大破した。そこで領主に懇願して金230両を下げ渡してもらい、また、借金をしたうえ、下土狩村にも再びトンネルを掘る了解を求めた。こうした技術面・財政面での困難を克服し、新規掘り返した結果、383間(696m)のトンネルになっている。
長泉町教育委員会
世界かんがい遺産 本宿用水
令和五年十一月四日登録
本宿用水の取水口
鮎壺の滝のすぐ上流側です。
トンネル入口までの用水路に、小魚が泳いでいました。
トンネル内に、目が退化した魚はいないかな
鮎壺の滝は溶岩流が固まった岩盤の間を流れ落ちる(静岡県長泉町、沼津市)
(日本経済新聞 2024年5月の夕刊より)
気になるスポット 富士山噴火の痕跡伝える
静岡県長泉町と同沼津市の境界にある鮎壺(あゆつぼ)の滝が近年、「隠れた名所」として観光客の人気を集めているらしいす。つうわけでタケホープも行ってきました。
JRの駅にほど近い住宅街の中にあり、晴れた日には滝の雄大な景色の上に富士山を眺めることもできる。(この日は晴れていたが、あいにく富士山はお隠れあそばされていました)
駿河湾に注ぐ狩野川の支流、黄瀬川の中流にあり滝の高さは約9m、幅は約65m。
両市町の境界に架かる吊り橋から全景を望める。(この写真はその吊り橋からたぶん撮りました)
滝は厚さ10mほどの岩盤の間を流れ落ちるが、これは約1万年前の富士山噴火時に流れてきた溶岩流が固まったもの。岩盤の底には、かつて生育していた樹木が立ったまま焼失したのを示す丸い穴も見られる。(残念なが滝の周辺は、フェンスに囲まれ滝に近づけない)
黒澤明監督の代表作「七人の侍」(1954年公開)の撮影場所にもなった。(ほー、七人の侍がまた観たくなった)現在、滝周辺では伊豆半島ジオパークの一部として2024年度中のオープンを目指した公園の整備事業も進む。(進んでいた)
市民や町民の憩いの場として展望デッキや交流施設(箱物の立派なのがあった)などが設置される予定だ。
ながいずみ観光交流協会の事務局長は「大地の活動ポイント『ジオサイト』の貴重な姿を身近で見て、富士山の噴火の歴史を学んでほしい」と話す。(静岡支局長)
▶アクセス JR下土狩(しもとがり)駅から徒歩約10分
▶関連情報 徒歩約10分の割狐塚(わりこづか)稲荷神社はパワースポットとして有名で滝と一緒に訪れる人が多い。(タケホープもこの後、行きました)
姫の沢公園 峠の広場
アスレチックハイキングBコースで下山します
アスレチックは、誰も利用していなかった
次回は、こっちへ行こうかな
伊豆の山並み
姫の沢公園の入口まで降りました
バスもありますが本数も少ないようだし、熱函道路を歩いて熱海駅に行きます
急勾配が続く熱函道路
ブレーキが故障した時の為に、緊急避難所が何カ所かあります
歩いている人は、いなかった
来年は石仏の道を通って、来宮駅へ出よう
静岡麦酒を飲もう
青春18きっぷ4回目 3月30日(土曜日)
本宮まで行きます
本宮までの参拝路 約55分
伊豆山子恋(こごい)の森ハイキングコース案内図
なんだっけ? 忘れた
後日、たかさんのブログに登場していました。
キブシでした。
なぜか行けない
子恋の森の由来
永井路子さんの小説「北条政子」に、この地での頼朝と政ロマンロマンスが描かれています。
岩戸山ハイキングコース案内図
なんだっけ?
本宮社です
本宮社のすぐ先にニュースで見た現場が広がっていました
ネットより
熱海市伊豆山土石流災害
令和3年7月3日(土)大規模な土石流が発生
逢初川(あいぞめがわ)の源頭部にあたる標高390m地点
大量の土砂が斜度11度の斜面を流れ下り、国道135号線及びビーチラインを突っ切り熱海港に達した
伊豆山神社参道の国道135号線の上の方
きれいに整備されています。
3月30日ですが、桜の開花はまだ
人家もありますが、住むのも大変でしょう
むかしの伊豆山神社のお話
神社参道 今・むかし
伊豆山神社前 鳥居前657段でしょうか
伊豆山神社 境内ご案内
ラストスパート
赤白二龍
伊豆山神社
伊豆山神社 境内ご案内
光り石
頼朝・政子腰掛け石
こころむすび
今から845年前 この地で頼朝・政子が結ばれ鎌倉の世がはじまりました
治承2年(1178)頃 2024ー1178=846
こい
境内からの景色
伊豆山神社
御朱印
のっぺらぼうだっ
「頼朝も箱根権現から伊豆権現への道を歩いたであろう」という一文に惹かれ、伊豆山神社から十国峠までを歩いてみたくなりました。
熱海駅から国道135号線を歩いて、伊豆山神社参道に来ました。
現在地国道220段
ランナー(走る人)は、悲しい性(さが)で下から歩きたくなるんです ですよね~
国道から伊豆山神社参道の上の方
国道から伊豆山神社参道の下の方
下まで降りました
走り湯起源
走り湯と宇佐美 - 多賀火山群
走湯温泉湧出口
中には入りませんでした
史跡 走湯温泉跡
この温泉は、奈良時代の養老年間(717~724)に発見された全国唯一の横穴式源泉である。
走り湯と役行者(えんのぎょうじゃ)
伊豆山神社参道階段
本殿前まで837段
山腹から湧き出た湯が海岸へと飛ぶように流れ落ちるようにさまから「走り湯」と名づけられました。
また、「伊豆」の国名が走り湯の「湯出」に由来するとも伝えられています。
走り湯(はしりゆ)
自動車専用道(熱海ビーチライン)なので、海岸まで行けません
伊豆山神社参道 基点
走り湯神社 ここまで16段
熱海ビーチライン
初島が見えます
真鶴半島と湯河原の街
城山方面
十国碑
十国五島を俯瞰できることから、この峠の名ができました。天明3年、当時の熱海里長が建てた古い「いしぶみ」です。
伊豆方面
ケーブルカー 外国人が多く来ていました。
駿河湾
伊豆半島
十国峠展望台
富士山
動く大地を眺めるー「十の国」と「4つのプレート」ー
ほんしゅうで唯一、フィリピン海プレート上に位置する伊豆半島は、かつて南洋にあった火山島や海底火山のあつまりでした。
ここ十国峠からは、伊豆・相模・駿河・遠江・甲斐・安房・上総・下総・武蔵・信濃の十国を見渡すことができます。
岩戸山に行きます。
こんな場所にグランピング施設なんか作って
霊園
南無日金地蔵尊
末代上人宝筐印塔
富士山
富士山
富士山
岩戸山から熱海市街
ウグイス⁉
豆相人車
飲みながら帰ろう
伊豆開山の三仙人 末代上人と走湯山
石仏の道案内図 日金山東光寺の由来
石仏の道(全長約2700m)熱海駅と来宮駅の間からの石仏の道があるのですね
日金地蔵
日金の伝三仙人塚
岩戸山ハイキングコース案内図
泉・湯河原方向から来ました
姫の沢公園
岩戸山方面
初島と湯河原
伊豆半島
伊豆半島
伊豆半島
駿河湾
十国峠方面
箱根
箱根方面
幕山方面
姫の沢公園案内図
源実朝の歌碑
鎌倉右大臣歌
箱根路を わがこえくれば
伊豆の海や おきの小島に 波のよるみゆ
今、司馬遼太郎著の「坂の上の雲」を読んでいます。その2巻の24ページに、“二十歳以上といういわば夭折の天才たちとなると、子規のあげるところは実朝ぐらいのものになる。“とありました。
フッジッサーン‼
塩見岳も見えます。
箱根方面には、ここから歩けない⁉
石仏
かわいい
五竜の滝上流側 黄瀬川にかかる県道24号線の橋から上流側
同 下流側
裾野市のマンホールの蓋
富士山 五竜の滝 アシタカツツジ
五竜の滝下流側の橋から下流側
同 上流側 五竜の滝が見えます。
裾野駅近くのコンビニで調達
ふじのくに限定 静岡麦酒にしました。
この日は29km走って、いい練習になりました。
走力が落ちているのを実感しました。
須山浅間神社
道興准后 歌碑
すはま口というより ふじのふもとにいたりて 雪をかきわけて
よそにみし
ふしのしら雪
けふ分ぬ
心のみちを
神にまかせて
すはま口:富士山須山口
世界遺産 富士山
信仰の対象と芸術の源泉
世界遺産として登録された範囲は、山そのものだけではなく、信仰や芸術と関係する山麓の神社や湖・湧水地・滝・松原などの25カ所です。
5/25 須山浅間神社
須山口登山道の起点となる神社で、富士山の東南麓において、登拝に重要な位置を占めていたことが知られています。古代から近代(現代)に至る山岳信仰のあり方を考える上で重要であることから、八合目以上の山頂部、登山道等とともに史跡に指定されています。
1一3 須山口登山道(現在の御殿場口登山道)
参道
竹が竜になっています。
狛犬
浅間神社 由緒
浅間神社
御神木
富士山須山口登山歩道案内
富士山は富士吉田市役所からの富士登山競走で一度登ったことがあるが、宝永火口にいつか行きたい。
帰ります。
景ヶ島渓谷の上流側です。
かなり高い枝にゴミが絡まっています。ここまで水位が上がったんですね。
渓谷
道祖神
高橋で佐野川を渡ります。
高橋から佐野川の下流側
高橋から佐野川の上流側
道祖神 安永の文字が見えます。
安永:1772年~1781年 将軍は10代家治
裾野市役所でパンフレットをもらって、愛鷹連峰まで行こうと思ったのですよ。
雲がかかっていますが、右側が登ろうとする黒岳かな。
帝人アカデミー富士
黒岳登山は時間的に無理なので諦め、須山浅間神社に行って引き返します。
左富士山道
宝暦の文字が見えます。
宝永:1751年~1764年 将軍は9代家重、家治
須山浅間神社
屏風岩のすぐ上流側の橋の上からです。
屏風岩の滝の上です。
細くて清らかな水の景観です。
若山牧水歌碑(解説)
この溪(たに)の岩のかたちぞ面白き
根をゆく水は痩せて澄みつつ
若山牧水が初めて裾野駅を訪れたのは大正10年(1921)8月13日でした。「岩を穿って流るる溪はことに私の心を惹いた」と感動を紀行文「野なかの瀧」に書きとどめました。
6年後の昭和2年、4月7日からも五龍館に二泊し、「溪間の春」31首を詠みました。再度景ヶ島を訪れて、この一首を成したと思われます。
岩の形にこの前に知らぬ面白味を覚えたり。」と日記に記しています。
様々な形をした大きな岩の根元を流れる細くても清らかな水の景観こそが人生の境地と称えた名歌です。
橋から上流側です。
1万年で穿たれた痕跡でしょうか。
草が生えている所は、段になっています。
もっと上流に行こう。
増水時は、右側の谷も水が流れるのでしょう。
ここが景ヶ島のようです。
右上の橋が、屏風岩のすぐ上流側の橋です。
右上の橋は、景ヶ島に渡る橋です。
景ヶ島渓谷
景ヶ島
景ヶ島は、集塊岩や溶岩流が侵食されたもので、奇景をもって知られている。
清流は、神楽岩 牛潜岩などの間を曲折し急瀬や深淵になって、景ヶ島の奇勝を作っている。
この景ヶ島の中に、観世音を本尊にして、依京寺が建てられている。境内いたる所に、苔むした石仏や石塔が立ちならんでいて、往時の盛況を偲ぶことができる。
景ヶ島の下流に屏風岩がある。高さ20数mの屏風状の岩は、明瞭な柱状節理を見せている。
石仏
景ヶ島に渡る橋から下流側
景ヶ島に渡る橋から上流側
アップー
集塊岩?
淵
侵食される所、残る所
面白い
土砂が堆積
この石仏で景ヶ島渓谷は、終わりのようです。
享保の文字が読みとれます。
享保:1716年から1736年 将軍は8代吉宗