吉野ヶ里の歴史
弥生時代は約700年間も続く長い時代です。吉野ヶ里遺跡は、この長い弥生時代の全ての時期の遺構・遺物が発見された学術的価値の高い遺跡です。
集落が最盛期を迎える「弥生時代後期後半(紀元3世紀頃)」を復元整備対象時期として、これまでの発掘調査結果をもとに復元整備を行っています。
コロナウィルス対策のため園内の施設を閉鎖させていただきます。
・弥生くらし館
(体験プログラムは中止します、トイレは利用できます)
・古代の森体験館
(体験プログラムは中止します、トイレは利用できます)
・北墳丘墓
・北内郭 主祭殿
・吉野ヶ里遺跡展示室
(トイレは利用できます)
・ふれあい館
・レストラン
(売店は利用できます)

吉野ヶ里の銅鐸
ならしてみました。

園内見学ルート 「ひみかのみち」を行きます。

環濠


逆茂木(乱杭)
米作りが盛んになるにつれて、水や土地を奪い合う争いが起こるようになりました。人々は自分たちの集落を守るため、集落の入口など特に重要な区域には、とがった木の枝や幹でバリケードを築き、より厳重に守っていました。

人々はサルノコシカケを栽培していました。うそです。

おっ、イノシシだ

展示室は閉鎖されていますが、写真撮影はOKでした。
1989年(平成元年) 弥生期国内最大の墳丘墓確認。
吉野ヶ里フィーバー起きる。
フィーバーだって!あの頃はよく使ってたよね
