かつての湿地帯、浮島ヶ原の大通寺
羅漢さんに心が和みます。
富士山
原宿 白隠正宗
酒蔵公園通り
汽車を待つ君は…
酒を飲んでいる♪
原駅から熱海駅へ
混んでいた
かつての湿地帯、浮島ヶ原の大通寺
羅漢さんに心が和みます。
富士山
原宿 白隠正宗
酒蔵公園通り
汽車を待つ君は…
酒を飲んでいる♪
原駅から熱海駅へ
混んでいた
ホテルオーレで朝ごはんを食べて、藤枝駅から吉原駅に移動しました。
吉原駅から
富士山登山ルート これから富士山に登るぞ。
富士山へ、0からの挑戦(うそです)
タケホープは、駿河湾から5合目まで登りたいと思っています。
山頂は、富士登山競走で登りました
ふじし
毘沙門天
日本三大だるま市で知られる妙法寺、通称毘沙門天ではアジア各国の仏教建築が見られる
増田平四郎とスイホシ
昭和放水路
立圓寺
東田子の浦駅
トイレにすごく行きたかったので行けて良かった。
相模湾
千本松原
沼津から田子の浦辺りまで
かぐや姫
朝飯前に東海道を走りました。
東海道藤枝宿
藤枝駅の東の方です。
田中城跡に行きたいと思っています。
春の青春18きっぷで行きますか。
藤枝宿絵図
約8km走りました。
ホテルオーレの朝ごはん
原駅から藤枝駅まで移動しました。
今夜は、ホテル オーレに泊まります。
部屋はリボンルームです。うそです。
駅前のイルミネーションを見に行こう。
2年前にも来たのですが、豪華になっていました
縄文人さんのブログ「比企の丘」で、今日は甘酒の日だと知りました。
東海道 原宿 蔵元 高嶋酒造
昨年の12月ですが、甘酒を飲みました。
タケホープだって甘酒を飲むんですよ
原宿 参勤交代の大名も訪れた名僧白隠の生まれた小さな宿場
山と渓谷社:歩いて旅する東海道より
「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠(はくいん)」と謳われるように、原宿は臨済宗妙心寺派松蔭寺(しょういんじ)の白隠禅師によって、その名が諸国に広まった。白隠は貞享2年(1685)原宿に生まれ、松蔭寺で得度。諸国の行脚修行を重ね京都妙心寺の第一座となった。
後に松蔭寺住職となり全国の修行僧を指導するとともに東海道を往来する大名を始め各層の人々に教えを説いた。備前岡山藩の池田氏とも親交が深く、池田氏から贈られた備前焼のすり鉢を傷んだ松の雨よけにのせ、そのまま松が生長したというすり鉢松がかつてはあった。
白隠の里案内図
松蔭寺
白隠禅師産湯の井戸
富士山が見えてきた
酒屋 明日はここで買おう
JR東海 原駅
売店は無いが、珍しい自販機があった
明日は白隠正宗を買おう
原駅ホームからの富士山
この日は、三島駅から原駅まで歩きました
11三島宿・・・5.8km・・・12沼津宿・・・5.9km・・・13原宿
沼津藩領境榜示
東京だと公園がたくさん有ってトイレが併設されているが、東海道を歩いていてトイレが少ないのが困る。
タケホープも細君も限界が迫った時に、有ったのがドラッグストアのクリエイトSD沼津大諏訪店。
トイレを借りたお礼と言ったら何だけど、少し買い物をしよう。
緑茶1本46円 安! ホイップシュー各30円引き2個で96円 小計142円 消費税11円
合計153円 二人分でたったそれだけかよ!
いやー晩ごはん もうすぐだし
歩きを再開しよう。
松長一里塚跡碑
あーたまを 雲のスキマに 出し♪
JR東海 普通 島田行き
沼津
狩野川(かのがわ)
三枚橋城外堀石垣
三枚橋城は、天正年間に武田勝頼が築いたと伝えられる城郭です。
沼津市ホームページより
永禄3年(1560)、今川義元の桶狭間での敗北による今川氏の衰退は、諸国の諸大名による今川領への侵入を招いた。
西からは徳川氏、北からは武田氏が遠江、駿河に攻めてきた。また、東の北条氏も武田氏に対抗して駿河に侵攻した。
北条氏と武田氏は駿河中部から東部にかけて数度の戦いを繰り広げた。
この頃の武田氏の駿河における拠点の一つが三枚橋城であった。三枚橋城は現在の沼津の駅南部にあり、本丸を二の丸、三の丸、外郭が狩野川に面した東南部を除いて同心円状に囲む構造になっていた。
築城時期については、「北条氏政書状」によると、天正7年(1579)、武田勝頼が築城したとされている。
三枚橋城外堀跡
対面石八幡神社
頼朝義経兄弟の対面石
治承4年(1180)八月、平家追討の軍を起こした源頼朝公は関東・伊豆を平定し、十月、富士川の合戦のため、この黄瀬川八幡の地に本営を造営しました。
兄頼朝の挙兵支援のため、はるばる奥州よりかけつけた義経と、境内にて涙ながらに対面し、平家打倒を誓ひあひました。
今も御殿西側には兄弟が対面した記念のため、みづから植へたと伝へられる「ねじり柿」二本とともに、対面石(たいめんせき)が置かれてゐます。
社殿
清水町
旧東海道
もうすぐ黄瀬川橋 25本ほどの松並木が残っている
黄瀬川橋より黄瀬川の上流側
常夜灯
建立は弘化3年(1846)で、両側に秋葉大権現と冨士浅間宮と刻まれています。いずれも火を鎮める神様です。名主をはじめ村人が防災の願いを込めて作ったものです。
最初はここの筋向かいの旧東海道の十字路の隅に立っていました。一時、耕地整理(昭和3年~26年完了)に伴い氏神の地方神社に移されていましたが、東海道400年祭を記念して平成13年7月に現在地に移築されました。均整のとれた美しいプロポーション姿の石灯籠です。
防災、村内安全とともに、東海道を行きかう旅人の安全も見守っていたことでしょう。
清水町教育委員会
宝池寺一里塚
1604年(慶長9)江戸時代、一里を36町(3927m)と定め、江戸日本橋を起点とし、一里ごとに道の両側に塚を築かせ道標(みちしるべ)としました。
向い側にある玉井寺一里塚と対を成し、一般的に「伏見一里塚」といわれ、江戸日本橋から29番目にあたります。長い年月、風雨にさらされ原型が損なわれたので、昭和60年多くの篤志により原寸どおり復元されました。
また、宝池寺側には立場があり、人夫が駕籠(かご)などを停めて休憩できる場であったと伝えられています。
平成17年8月 清水町教育委員会
玉井寺(ぎょくせいじ)一里塚
東海道と南北を結ぶ下田街道・甲州道との交差する位置にあり、天下の険を越してきた休息地だったこともあり三島宿は賑わった。(山と渓谷社:歩いて旅する東海道より)
スタートは、三島駅
旧東海道を目指します。
三島駅前
楽寿園 休園日でした。
昭和25年復元の時の鐘。傍らの源兵衛川は楽寿園から流れ、夏は蛍が舞う
三島市 源兵衛川(げんべえがわ) 平成の名水百選
周辺の自然環境
国の名勝に指定された楽寿園小浜池を水源とし、「水の都・三島」の市街地を清らかに流れる全長1.5kmの灌漑用水路。懸命な保全努力が市民・企業・行政の協働によって行われ、ミシマバイカモやゲンジボタルが姿を見せる。
源兵衛川
昨年末に青春18きっぷを使って、東海道を歩きました。
三島駅 桃中軒
メニュー
細君は、みしまコロッケそば 440円
タケホープは、海老と野菜のかき揚げそば 480円
当店人気№1
ご注文をいただいてからかき揚げを揚げます。
納得の人気№1