乃木大将詩碑の先です。
この頂部西端には礫岩の大露頭がみられた。史実として記録はないが、岩殿城の西の物見台とも、あるいは円通寺で研修する修験者の修行場ともいわれた岩であった。
しかし、長い年月の間に風化・侵食が進み、崩落の危険性が増大したため、頂部から高さ約8m下方まで(約300㎥)破砕撤去工事を施工し、平成11年完了した。
破砕撤去跡
手前の岩場の方に行きます。
アップー
礫岩なんです。
番所跡
雨露をさけるための建物があり、揚城戸の番兵の詰所であった。
破砕撤去跡を横から
進行方向
遠望
揚城戸跡
第ニの関門とよばれ、巨大な自然石を利用して城門を築いていた。
落ちたら死ぬじょう
下の方は、隙間を埋めています。
築坂(峠)
大手口に備えられた空堀跡で、岩殿城の入口にあたる
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