あらさき美枝(新崎美枝)いのちかがやく大阪を日本共産党大東市議会議員

日本共産党大東市議会議員で看護師のあらさき美枝(新崎美枝)が思い、感じる政治のこと

亡き母のたたかい 手紙 Part2

2015年06月03日 | 日記
亡き母のたたかい 手紙 Part1のつづきです。 part1はこちら⇒part1

又、私の休みの日は私の仕事はほとんど手をつけてなく、集計さえなされてはおりません。

しかし、実態からみて無理なのか…と考え出勤してきた日に、何とか2日分3日分とまとめてやってきたのが現状でした。

元々、5時退出は私自身の願いでもあり、他の皆の願いでもあると思っています。

しかし、仕事がまだ残っているのに5時に帰れと言われることは、私自身きちんと仕事をやりたいという立場から、納得のいかないことです。

また、私だけに帰れ帰れとつきっきりで言われることは逆の差別であり嫌がらせであると考えます。

支店長が、この私の訴えを誠実に受け止めて頂き、私自身、仕事の状態に応じて5時に帰れる日は帰る、これだけは今日頑張ってやってしまおうという日はするといった、計画的な勤務が出来ますよう、ご配慮頂きますよう、お願い致します。

なお、これ以上、現在の状態が続くようでしたら、夫や友人ともよく相談した上、しかるべき所へ相談もせねばならないとも考えている次第です。 
以上



嫌がらせに対し、毅然と対応し、仕事もきっちりとこなし、沢山の信頼できる仲間が居たことがこの手紙からもよく分かりました。
この手紙は私の励みになる宝物です。

今現在も、レッドパージや不当労働行為でたたかっている皆様に敬意を表します。

ぜひ、負けないでください!

おわり

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亡き母のたたかい 手紙 Part1

2015年06月03日 | 日記
私の母は銀行員でした。
39歳で末期癌が見つかり3ヶ月で亡くなりました。

その母が生前、銀行員として働きやすい職場を作るために頑張っていました。
その中で支店長とのやり取りが手紙として残っていたものを当時の仲間が私に見せてくれました。

母の想いを継いで頑張ろうと思った、私の背中を支えた手紙です。

A支店長へ
 去る1月18日の夕方、私にとっては、かなり大きな声で支店長から叱咤されたことは私の21年間の銀行生活の中では初めてのことであり、決して忘れ得ぬものとなりました。

 その時、支店長より「5時退出」の命令を受け勤務する中で私が考えたことをここにまとめてみました。
 
 昨年4月新入生が入ってきて、やっと慣れたと一息つく暇もなく退職や転勤により人出は着実に減ってきました。

 その中で、私自身 主計の仕事はもちろんですが、Hさんが当座へ行かれた後の総務の仕事、そして普当の後方応援と一日走り回って頑張ってきました。

今や普当の後方は、パートさんの昼食時交替は毎日やっており、パートさんが2人とも休みの日はほとんど1日2時までのパートさんだけの日は昼食交替が3時までと普当後方に費やす時間は大変多くなっております。

そういう日は時間中できなかった仕事を集計終了後にやり、なんとかやってきたわけです。




Part2に続きます。

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