著者 日野 秀逸(ひの しゅういつ)憲法を学ぶ~"海外で戦争する国"にさせないために~
今日学習した事をまとめておきます。
まず、ポツダム宣言を受諾したのは終戦の前日(1945.8.14)
幣原喜重郎首相(しではらきじゅうろう)
幣原首相がマッカーサーから改憲の指示を受けたのですね。
指示を受けたと言っても憲法草案を押し付けられたわけではなく、ポツダム宣言の内容にふさわしい憲法をつくる責任が与えられたのですね。
しかし、当時の政府は何(国民の生命や生活)を置いても、もっぱら天皇主権の国家体制の存続が一番だったのですね。
日本共産党も当時(1945.11.11)新憲法の骨子を発表しているのですね~
自由党、社会党も憲法の案を出している。
日本政府の憲法の案もGHQが作った憲法の案もどちらも出来が悪く、鈴木安蔵が中心になって作った憲法研究会の案はマッカーサーの度肝を抜く内容であり、立派な構想だった。
その中身は国民主権を宣言し、天皇は政治に関与せず、礼儀的存在であるという象徴天皇の論理が明確にされていたとのことです。
そして、憲法研究会の憲法草案が、国民によって衆議院選挙で選ばれた議員に寄って国会で議論されました。
第1条で主権在民を明記させる為に頑張ったのは日本共産党
第25条で生存権を盛り込むべきと頑張ったのは社会党
第26条の教育を受ける権利で義務教育を6年から9年へとすべきだと頑張ったのは教員の皆さん
まだまだ議論したそうですが、これだけ取って見ても国会議員が、議論を重ねて作った日本国憲法は単に押し付けられた物ではないことがわかります。
今日はここまで(^^)
今日学習した事をまとめておきます。
まず、ポツダム宣言を受諾したのは終戦の前日(1945.8.14)
幣原喜重郎首相(しではらきじゅうろう)
幣原首相がマッカーサーから改憲の指示を受けたのですね。
指示を受けたと言っても憲法草案を押し付けられたわけではなく、ポツダム宣言の内容にふさわしい憲法をつくる責任が与えられたのですね。
しかし、当時の政府は何(国民の生命や生活)を置いても、もっぱら天皇主権の国家体制の存続が一番だったのですね。
日本共産党も当時(1945.11.11)新憲法の骨子を発表しているのですね~
自由党、社会党も憲法の案を出している。
日本政府の憲法の案もGHQが作った憲法の案もどちらも出来が悪く、鈴木安蔵が中心になって作った憲法研究会の案はマッカーサーの度肝を抜く内容であり、立派な構想だった。
その中身は国民主権を宣言し、天皇は政治に関与せず、礼儀的存在であるという象徴天皇の論理が明確にされていたとのことです。
そして、憲法研究会の憲法草案が、国民によって衆議院選挙で選ばれた議員に寄って国会で議論されました。
第1条で主権在民を明記させる為に頑張ったのは日本共産党
第25条で生存権を盛り込むべきと頑張ったのは社会党
第26条の教育を受ける権利で義務教育を6年から9年へとすべきだと頑張ったのは教員の皆さん
まだまだ議論したそうですが、これだけ取って見ても国会議員が、議論を重ねて作った日本国憲法は単に押し付けられた物ではないことがわかります。
今日はここまで(^^)