ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「エーッ!?何それ、わかんない」

2011-11-23 14:15:40 | ひとの幸福
ちょっと上から目線で、

人のやることに、ちょっと偉そうに、

「えーっ!」とか「何なの、それ」

「わからないなぁ」と呟くのは、

自分の中に、絶対こうだと(わかる)ものがあるから。

本当に自分が「わからないこと」は 自分に知りえない。

言葉にならない。

地球の反対側のどこかの国の誰かさんのことは(わからない)から、

その人のことが自分の意識にのぼることはない。

自分の口からそれについて言葉が出ることは無い。


2011-11-23 11:39:59 | ひとの幸福
敵と味方 という言葉がある。

小学校の運動会の赤と白。

赤組から見たら白組は敵。

事実は赤組と白組であって、敵組という名前じゃないんだけどね。

「敵意」って言葉があるけど、

それは相手を敵として憎む気持ち、と辞書にある。

「敵として」と表現されている。

「~として」っていうのは、

ダンボールを家“として”使うのがホームレス、みたいに、

~と観る見方のこと。

思考の世界、意識の世界、心の世界に敵がある、ということで、

現象・事実の世界にあるのは、単に赤組と白組。

自民党と民社党。共和党と民主党。

イラクとアメリカ。

敵というものがこの世に事実としてあるわけじゃない。

そのものを「敵」と観る見方があるだけ。

敵となると、やっつけなくちゃならないってわけだ。

それで戦争や紛争やトラブルや裁判沙汰がある。

カントが「世界中に『敵意』が一つも無くなった時に平和が訪れる」

と言ったそうだ。

カントが言わなくてもそう。

誰が言っても言わなくてもそう。

敵意って聞くと激しい感じがするけど、

結構日常生活でもある。

オウム真理教に敵意を抱いている人は多いだろうし。

私も合成洗剤を敵視してた。


討論で「賛成」と「反対」という言葉があるけど、

事実実際は賛成意見と反対意見があるんじゃなくて、

「私はこう思う」というそれぞれの意見があるだけ。

それを反対意見として観るのも、

見方。

一つの意見と観るんじゃなくて、

反対意見と観るから、反論ばかりしたくなる。

だいたい、討論っていう言葉も「討つ」だね~。

話し合いじゃないんだね。








ちょうどよく・・

2011-11-23 09:48:35 | 日々の暮らし・思い出
夕方の5時頃にこう思った、7時から出かけようと。

夕飯を食べ終え、

何気なく義父の顔の向こうを見たよう。

視野にデジタル時計が映った。

18:28という数字が見えた。

まだ6時半か、この後、用も無いし、何しようかな、早く寝ちゃおうかな、

・・という思いが浮かんだ。

次の瞬間意識が動き回る感じ・・があって、

あ、確か7時から出かける用があったんだった というのが浮かんだ。

面白いなぁ と思った。

7時から出かけよう と5時に思った。

思った後すぐにそれを忘れた感じだったよう。

時計の数字を見、寝ちゃおうかなと思ったそのすぐ後に、

意識が自分の意識を動き回る感じ、

・・えーっとと何かを探している感じがあった。

出かけたい、その30分前に、

「7時から出かけよう」という(過去に思ったこと)を、

潜在意識から取り出したような感じ。

潜在意識にはそれまでの人生で思ったこと、

感じたことが全部畳み込まれている、

というのを何かの本で読んだ記憶があるし、

養老先生の脳のビデオでも見た記憶がある。

そうなんだなぁと思った。

こうしたいと思ったことを、

忘れないようにしようと意識していなくても、

本当にやりたいことは自然に思い出すのかもしれないと思ったよ。

忘れるようなことは元々どうでもいいことなのかも。

排尿したり、寝るのを忘れることはないもの。