ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

裏と表

2011-11-25 13:44:44 | 新聞を読んで
今朝の新聞の川柳欄に、

「裏と言う漢字に表かくれてる」というのがあった。

ホントにそうだ。面白い。

この世の物事は相対的なものだからね~。


「艱難汝を玉にす」という言葉がこの世にあるけど、

最近はこういう言葉はあまり聞かないなぁ。

「苦労は買ってでもせよ」こんなのもそうだな。

誰でも苦労なんかしたくない。

苦しいことより、楽しいことの方が楽しいに決まってる。


このブログに、「ムカデのように考えないで歩きたい」がある。

それなのに、「考えるのは面白い」がある。

自分が考えないで歩けるよう(意識が自然状態)になるために、

(考える)が要るのかなと思ってる。


赤ちゃんが歩けるようになるために、

歩けない、転ぶ、よろける、失敗する、・・・が要る。

失敗という「裏」に、成功という「表」が隠れてる。

失敗は成功の元、という言葉があるけど、

失敗という経験をしないで成功することって、あるんだろうか。

大王製紙の元会長さんという賢い人はやっと失敗できたのかな。

「成功」が何を表わすのかは人それぞれなんだろうけど。


遍路

2011-11-25 11:42:54 | ひとの幸福
四国という土地に何かパワーがあるのかな~。

最近パワースポットとかいう言葉もよく聞くけど。

「同行二人」と背中に書かれた白い法被(ハッピ)を着て歩く人もいる。

前の菅首相もそれをしたと話題になったこともあった。

それをしたことが彼の人生に何か変化を齎したのかな。

空海(弘法大師)と二人連れという意味で同行二人というらしい。

空海が出てくるのもすごい。

空海は日本に密教を持ってきた人で、

本で知ると、世界歴史上のトップクラスの人と思う。

そういう人が日本では弘法さん、大師さんと、

所謂、普通の人に親しまれている。


遍路をすることで心に何が起こるんだろう?

という疑問をずっと持ってた。

私の心の「わからないもの入れ」に入ったままだった。

ウォーキングをやり始めてみて、これは!もしかして??!


歩くのは歩こうと決めただけで、

足は勝手に動いてくれるので、

意識は何かを“する”こと に向かわない。

日常は常に 何かすること に気が行っている。

けど、歩いていると、気は自分の心に映る(思い)に行ってしまう。

内観的、内省的にならざるを得ない・・・

そういうことなのか、と勝手に思った。

(思うというのは誰でも勝手に思えるもんだけど)

瞑想とか座禅というのも同じようなものなんだろか。

いや、瞑想も座禅ももっと深まると、

自他一体という境地にまで行くらしいとは聞いたことがある。

釈迦もずーっと沙羅双樹の木の下で座り込んでいたらしい。

座り込んで、他になにもしない。

自分の心を観る以外に、することがなくなる、

という場に自分を追い込んだんじゃないかな。

そこで悟りをひらいたというのは有名な話だ。

荒修行という自分に禁止を与える事では悟ることが出来ない、と

思い知ったという話も聞いたことがある。


その場所、空間もなにかしらの作用をしている、

というのも、もしかしてあるのかもしれないけど。

そのへんのことはよくわからない。



写真家

2011-11-25 10:37:25 | ひとの幸福
綺麗な女の人の写真を撮る写真家は、

モデルに向かってカメラを向けている時に、

「いいね、いいね!」「うーん、いい表情だ!」

とかそういう言葉を連発するらしい。

撮っている最中に、

これはあまりいい表情じゃないなと、

思うこともあるかもしれないけど、

そういう類の言葉は発さないんじゃないかな。

「いいね、いいね、うん、そうそう、いいなぁ、その感じ・・」

というような言葉だけ発する。

そういう写真家の女性は美しく映っている。

モデルの美しさが引き出されたんだろう。

美しくないものを引き出すのも簡単なことだろうと思う。

「なに、その顔つきっ!!もうちょっとましな顔出来ないのっ!?」

「ダメダメ、そんな顔じゃ」・・・・

こんな言葉を発していたら、

モデルから美しい表情は引き出されないだろうと思う。

“美しい女性”の写真を撮りたいという願いを、

実現するための方法を写真家は知っている。

これでもわかるけど、なんせ否定はろくなことにならない。