ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

鉄という金属が

2011-11-28 13:42:16 | ひとの幸福
鉄という金属には、その本質、というか、そのものの性質がある。

熱くすると柔らかくなるとか、水分で錆びるとか。

そういう知識ほとんど無いんだけど、

まぁ、そんな感じだとして・・・

鉄という自然物が人の手によって鉄製品になった。

それが錆びたことで、使い物にならなくなった・・・


錆びたという(現状)と、酸化すると錆びるという(本質)

・・こう表現してみると、


「本質」が「現状」という形に現れる。

本質に無いものは現状に現れない。


錆びずに製品として使われている時、

その物は自然と人為が調和していた状態、と言えるかも。

錆びて使い物にならなくなった状態は、

自然と人為が調和していない状態、と言えるかも。


鉄は酸化して錆びるという元々の性質を持っているので、

錆びないように何かの手を打つのが人為。

~すると錆びる、~すると錆びない、ということを人が知って、

錆びないように何かすると、

その鉄製品は人の為の製品として長く使うことが出来る。


これを人間というものについて当てはめて考えてみると・・・


人間の本質がある。

その一つとして、例えば、自主性があること。

(仮定として考える)

それがどんな形になって現れるか。

自主性があることを認めると・・・

自主性があることを認めないと・・・


例えばだけど、子供に何かを作る機会を与え、

大人はただ、温かく見守る。待つ。

材料になるものを用意して、

子供がそれを見て、何を思い、

どうしようかと考え、どうするかは子供に任せると・・

何が出来るかは別として、

子供は生き生きとその作業をするようになるんじゃないかな。

そうなるのも、自主性がある、という本質があるから。

「本質」に無いものは「現状」に現れない。


反対に、大人が決めたやり方を教え、

そうしないとケチをつけ、

違うやり方をした子供には間違っていると教え、

ずっと見張っていると・・

子供はおっかなびっくりとそれをし、

つまらなさそうな顔になり、やる気を失い、

途中で放棄したり、なんでこんなことしなくちゃなんないの!?

・・って、なるんじゃないかな。

出来上がった物が立派なものであっても。


その後に同じような機会を与えられても、

参加する気は失せるようになる・・かな。

そうなるのも、自主性がある、という本質があるから。

「本質」に無いものは「現状」に現れない。


自主性というものがある、という人間の「本質」が、

どういう「現状」になるかは、

その自主性という自然と人間がどう調和していこうとするかに、

かかっているのかなと思う。


鉄の本質、性質を知ることが、

鉄製品を創るために欠かせないことのように、

人間の本質を知ることが、

人間が生き生きと生きることに欠かせないのかな。

「なるほど」

2011-11-28 09:33:36 | ひとの幸福
「なるほど」という言葉はスゴイ。

何かを深々と納得した時に使うことが多い。

コレコレがこう“なって”、それから、あー“なって”、

そして、こう“なった”というような説明を聞くと、

「なるほど!」と頷く。

へーぇ!こう“なってた”のか!と驚く。

“なる”ほど・・という言葉の通り、

そうなっているのか、という納得は、

それがそう“なった”プロセスを納得しているということ。

それがそこに 在るということに至ったプロセス、 

を納得している、とも言える。


なる には、それまでの全ての時空が畳み込まれている。

全ての現象、全ての物事は、みんな「なるほど!」。

事実ではそうなんだけど、

ひとの頭では「なるほど」になってないことが多い。

なので、「そんな馬鹿な」、「信じられない」、

「おかしい」、・・・と自信たっぷりに言うことになる。