ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

写真家

2011-11-25 10:37:25 | ひとの幸福
綺麗な女の人の写真を撮る写真家は、

モデルに向かってカメラを向けている時に、

「いいね、いいね!」「うーん、いい表情だ!」

とかそういう言葉を連発するらしい。

撮っている最中に、

これはあまりいい表情じゃないなと、

思うこともあるかもしれないけど、

そういう類の言葉は発さないんじゃないかな。

「いいね、いいね、うん、そうそう、いいなぁ、その感じ・・」

というような言葉だけ発する。

そういう写真家の女性は美しく映っている。

モデルの美しさが引き出されたんだろう。

美しくないものを引き出すのも簡単なことだろうと思う。

「なに、その顔つきっ!!もうちょっとましな顔出来ないのっ!?」

「ダメダメ、そんな顔じゃ」・・・・

こんな言葉を発していたら、

モデルから美しい表情は引き出されないだろうと思う。

“美しい女性”の写真を撮りたいという願いを、

実現するための方法を写真家は知っている。

これでもわかるけど、なんせ否定はろくなことにならない。

怒られるぅ!

2011-11-24 15:29:58 | 実例体験観察
久しぶりに家中の雑巾がけをした。

やっていると、こちらもあちらもやりたくなり、

雑巾を5,6枚出して、2艘式の洗濯機でゆすぎ、絞り、やっていた。

そのうち玄関の外に出て、あちこち拭きだし、

そうだ、車も拭こうとなった。
 
1台は割りと新しい奴で、夫が大事にしていて、

傷が付くから、拭き掃除はやらないでいいと言っていた車なんだけど、

ついつい雑巾が汚れるのが面白く、その車も拭いた。

何か付いていて、その汚れが落ちないので、

きゅっきゅっと力を入れて拭いた。

なんと!傷がついてしまった!黒だから目立つ。

あー、怒られる!と思った。

やらないでくれと言われていたのに、やってしまった。

あーぁぁ!こうするとこうなることが彼にはわかっていて、

だからやらないでくれと私に言ったのだと、

やっとわかったのだが、遅い!

傷跡がやけに目に入る。

今、まだ夫に自白していない。

怒られるのが嫌だし、彼のえーっぇ!という顔を見たくない。

でもいつかばれる・・・・・ムムムムム・・・

隣の部屋に彼はいる。

謝ろうか 謝りに行こうか あー、足が重い 腰が上がらない。

所謂罪と言われるものを犯してしまった人の気持ちがよくわかる。

傷を付けようとわざとしたことではないんだけど、

彼がしないでくれと言ったのにした。

業務上過失致傷 という奴だな 違うか。

この程度でこんなにビビルのだから、

業務上過失致死というのをやってしまった人は、

どんなにどんなに辛いだろう。


彼が怒るに決まっていると私の中でなっているのだな これは。

だけど、怒るよ、きっと。

うん、私の今の心の状態は(怒るよ、きっと)が放せない 状態だな。

怒られることを受け入れられない状態だな。

・・・よし!!!怒られよう!怒られることを堂々と受けよう!!

いざ!隣の部屋に!!!


言った。 自白して来た。

彼は怒らなかった。そうするとそうなるんだよ と淡々と言った。

やっちゃったものはしょうがないよ と淡々と言った。

今までだってこういう時に彼から、

感情的に責められたことは一度もないのに、

そう思ってしまったんだなぁと思う。

けど、怒られる!と瞬時に思うのは、

今までの人生でこういう過失致傷をしてしまった時に、

咎められたことがあったし、

人が咎められているのを、周りや、ドラマでたくさん、

見て来ているからだろうと思う。

いわゆる何か過失で法に触れるようなことをしてしまった人も、

同じような意識の展開になると思うよ。

この世では、故意にやったことでなくても、

失敗すると非難する、非難される、のが当たり前になってる。


生まれた時から、誰からも、

こういうことで感情的に怒られることもなく、

周りでもそういうものを見た事もなく、

このようなことを人にも非難されずに、

また、新聞沙汰にもならずにいたら、

こういう間違いをしたとき瞬時に、

「怒られる!」という反応は出ないだろうと思う。

淡々とミスを認めて、誰からもミスを咎められなくとも、

それ以降そういうことにかなり注意を払うだろう。

ひとが大事にしているものを、

自分のその時の気分でいじることをしたいとは思わなくなるだろう。

そんなふうに自分で自発的に反省して、

そういうことをしなくなる。


周りにいる人たち全員が、

責める人じゃなくなることが、

そういうことが再び起こらないようになるポイントだと思うよ。

実際、非難されて嬉しくてたまらない人はいない。

責められると人はイジケルようになる。

反って緊張するようになる。

いいことない。

非難されなくったって、

人は自分のした行為の結果を見ればわかる。

でもこういうこと反論多いだろうな。

でも、又言っちゃう。

量子力学の量子ゼノン効果というものが言うには、

咎め続けると、

咎められた相手はそういう行為をし続ける、

ということになるみたいよ。


音がして

2011-11-24 09:34:52 | 日々の暮らし・思い出
友だちの家に行った時、朝、台所からなにやら音がする。

彼女が何かしているんだ と思ってた。

リビングに行き、姿は見えないけど、

彼女だと思って、台所に向っておはようと声を掛けた。

あー、おはよう と男の声がした。

朝一番に起きて台所で音を立てているのは女だ、 

という自分の大前提(潜在意識)があったことに気が付いた。


実際には私自身ここ何年も、

夫より早く起きることなどめったに無い。

いつも夫は私より早く起き、

玄関を開けたり、窓を開けたり、

湯を沸かしたり、洗浄機の食器を片付けたり、

・・・・・こういうふうなのに、

自分の頭の(朝一番早くに起きて、台所で何かしているのは女)という、

見解、そういうもんだ観、が

こんなに根強いものだとはびっくりもの。

この場合、(そういうもんだ観)であって、

(そうするべき観)ではなかったので、

自分の中から出たのは びっくり で済んだけど、

(そうするべき観)を持って、それを“正しい”としてたら、

やるべきことをしていない と観て、

何故しないのかっ!という、

批判感情が出ることになるのかもしれない。


その音がどう聞こえているか。

その言葉がどう聞こえているか。

そのひとがどう観えているか。

そこから始まる自分のドラマ。

そこから始まる世界。

「エーッ!?何それ、わかんない」

2011-11-23 14:15:40 | ひとの幸福
ちょっと上から目線で、

人のやることに、ちょっと偉そうに、

「えーっ!」とか「何なの、それ」

「わからないなぁ」と呟くのは、

自分の中に、絶対こうだと(わかる)ものがあるから。

本当に自分が「わからないこと」は 自分に知りえない。

言葉にならない。

地球の反対側のどこかの国の誰かさんのことは(わからない)から、

その人のことが自分の意識にのぼることはない。

自分の口からそれについて言葉が出ることは無い。


2011-11-23 11:39:59 | ひとの幸福
敵と味方 という言葉がある。

小学校の運動会の赤と白。

赤組から見たら白組は敵。

事実は赤組と白組であって、敵組という名前じゃないんだけどね。

「敵意」って言葉があるけど、

それは相手を敵として憎む気持ち、と辞書にある。

「敵として」と表現されている。

「~として」っていうのは、

ダンボールを家“として”使うのがホームレス、みたいに、

~と観る見方のこと。

思考の世界、意識の世界、心の世界に敵がある、ということで、

現象・事実の世界にあるのは、単に赤組と白組。

自民党と民社党。共和党と民主党。

イラクとアメリカ。

敵というものがこの世に事実としてあるわけじゃない。

そのものを「敵」と観る見方があるだけ。

敵となると、やっつけなくちゃならないってわけだ。

それで戦争や紛争やトラブルや裁判沙汰がある。

カントが「世界中に『敵意』が一つも無くなった時に平和が訪れる」

と言ったそうだ。

カントが言わなくてもそう。

誰が言っても言わなくてもそう。

敵意って聞くと激しい感じがするけど、

結構日常生活でもある。

オウム真理教に敵意を抱いている人は多いだろうし。

私も合成洗剤を敵視してた。


討論で「賛成」と「反対」という言葉があるけど、

事実実際は賛成意見と反対意見があるんじゃなくて、

「私はこう思う」というそれぞれの意見があるだけ。

それを反対意見として観るのも、

見方。

一つの意見と観るんじゃなくて、

反対意見と観るから、反論ばかりしたくなる。

だいたい、討論っていう言葉も「討つ」だね~。

話し合いじゃないんだね。








ちょうどよく・・

2011-11-23 09:48:35 | 日々の暮らし・思い出
夕方の5時頃にこう思った、7時から出かけようと。

夕飯を食べ終え、

何気なく義父の顔の向こうを見たよう。

視野にデジタル時計が映った。

18:28という数字が見えた。

まだ6時半か、この後、用も無いし、何しようかな、早く寝ちゃおうかな、

・・という思いが浮かんだ。

次の瞬間意識が動き回る感じ・・があって、

あ、確か7時から出かける用があったんだった というのが浮かんだ。

面白いなぁ と思った。

7時から出かけよう と5時に思った。

思った後すぐにそれを忘れた感じだったよう。

時計の数字を見、寝ちゃおうかなと思ったそのすぐ後に、

意識が自分の意識を動き回る感じ、

・・えーっとと何かを探している感じがあった。

出かけたい、その30分前に、

「7時から出かけよう」という(過去に思ったこと)を、

潜在意識から取り出したような感じ。

潜在意識にはそれまでの人生で思ったこと、

感じたことが全部畳み込まれている、

というのを何かの本で読んだ記憶があるし、

養老先生の脳のビデオでも見た記憶がある。

そうなんだなぁと思った。

こうしたいと思ったことを、

忘れないようにしようと意識していなくても、

本当にやりたいことは自然に思い出すのかもしれないと思ったよ。

忘れるようなことは元々どうでもいいことなのかも。

排尿したり、寝るのを忘れることはないもの。


好きだった

2011-11-22 14:30:15 | ひとの幸福
自分が好きだった。

昔からほとんど自分を好きだった。

考えがなかったからだと今は思う。

思ってることについてアレコレ考えなかった。

死にたいなぁと思ったこともあった。

ダメな自分だと思ったことも数限りなくあった。

でもそういうことを思った自分を嫌いになれなかった。

そういう自分を否定的に捉えなかった、ということと、

すぐに他のことに気が行ったからと思う。

そう、軽かったんだろうね。


それがある時から変わった。

重くなっちゃった。

それから又、いろいろあって、

自分をよ~く観察できるようになって、

また、軽くなれた。








ためして合点・腰痛 ②

2011-11-17 10:40:08 | ひとの幸福
痛みというものは身体のどこかに、

異常があることを知らせるためにあると思うんだけど、

腰が痛くてたまらない人が病院で診て貰っても、

どこにも異常が認められない場合があった、

というのを昨日の ためして合点 でやってた。

それで調べたら脳の働きに異常があったらしい。

脳のナントカというところが、普通は痛みを減らしたり、

なくしたりする働きをするんだけども、

他にストレスがいっぱいあると、

そのナントカというのが働かなくなる、らしい。

そういう意味でも 痛み は、

何かしらの異常を知らせる信号になっている。


病院に行っても、どこも悪くないと言われると、

こんなに痛いのにと、反ってストレスになるんだろ。

そして余計に腰に手をやり、関心を向け続ける。

そうして関心を向けることが又痛みが続くことになる。

痛みが続くとそれに又関心を寄せる。

悪循環だ。


他のことに関心を向けること。

楽しいこと、明るいこと、に。

「そんなこと言ったって無理だよ、痛いものは痛いんだよ」

うん、わかるよ。今、痛い。それはわかる。

でも明日の痛みがあるかないかは、今の時点でわからない。

明日も絶対痛い、痛いに決まってる、

そうとしか思えなかったら、やはり、明日も痛い。

ためして合点・腰痛

2011-11-16 21:00:28 | テレビを見て
腰痛の原因はヘルニアではなかった。

つい最近それがわかった、という。

腰痛になるキッカケは何らかの物理的要因だけど、

ストレスが多いということ。

さっきの番組に出ていた人は寝たきりくらいの状態だったのが、

ダンナに子犬をプレゼントしてもらって、

それがキッカケでかなり治ったという。

痛い時って、その痛みばかりに気が行っちゃうので、

益々痛い。

そこへ子犬!子犬は可愛いし、

ご飯の用意やおしっこの世話ややることがいろいろある。

それをやることに気が行くから、

痛みに気が行くことが減る。

ほんと、これも観測者効果だなぁと思うよ。

それを注視することで、現象化する。

それに関心を寄せ続けるとそれは消えない。

量子ゼノン効果。

痛みを和らげる働きをする脳のナントカいうところが、

他にストレスがたくさんあると、

その働きが鈍くなったり、

なくなったりするらしい。

私も腰痛もちなんだけど、

ストレスなのかな~。

俳優の高橋英樹さんが最後に、

「俺の腰は治ったぞ」って書いてて、

この人感度いいなって思った。

40年の腰痛持ちらしいけど、治るといいね。

全員一致

2011-11-16 10:48:26 | ひとの幸福
地球は回っている とか、

種は条件が揃えば発芽し、成長する、

・・というようなことは全員が一致して、

「そうだなぁ」となるんじゃないかな。

そういう知識が及ばないが為に、

そうだなぁとならないことはあるだろうけど、

それこそ、そういう条件(知識)が揃えば「そうだなぁ」となるはず。

反対する人は一人もいない。

「理」というもの が それ だと思う。

全員が「それは理だろう」と思うもの。

だから、全員一致 は有り得ること。




情熱

2011-11-16 10:10:52 | ひとの幸福
「燐寸」


「マッチが発明された時

ベンサムは感動して詩をつくった

赤いレッテルの小さな函

燃えるものをぎっしり詰めて

いまだ我が手中にあり」


この詩。

高校生の頃知った。

まだ憶えてる。

杉山平一さんの詩。

津波と堤防

2011-11-11 15:00:06 | ひとの幸福
今朝の新聞に堤防の高さをどのくらいにするかという話が出ていた。

高さ10メートルの防波堤を越えて津波が街に押し寄せた。

もし、これが30メートルの高さの防波堤だったら、どうなるんだろう。

勿論その市街地は津波にやられないかもしれない。

けれど、その津波のエネルギーは

その防波堤にぶつかって、どうなるんだろう。

もしかして、隣の低い防波堤の湾に向かうことになるんじゃないか。

津波のエネルギーは防波堤があっても消えないんじゃないかな。

こんなことしないだろうけど、

日本中の全ての海岸に高さ50メートルの防波堤を設けたら、

もし大きな地震が起きて、津波が起こったら、

日本列島に向かう津波のエネルギーはどこにどう向かって行くんだろう。

コンピューターでシュミレーションすれば、

その位のことはわかるのかもしれないけど、

ど素人の私はわからない。

エネルギーはエネルギー保存の原則があるから

凄まじいエネルギーになって朝鮮半島とか、大陸とか、

他所の国に行くことになるのかもしれない。

それとも50メートルの高さを超えるんだろか。


勿論、防波堤を作ることが悪いと言っているわけじゃないよ。

よその国、他所の人のことなんか構わないと思って、

防波堤を作っているわけではないことなどわかる。

わが町のわが町民、市民、わが国の為を思っているからこそ、

どの位の高さの防波堤を作ったらいいか考えているんだろ。

けど、日本という国、ナントカという自治体は、

この、ひとつである地球の一部。

この地域はどうしようか、だけでは済まないのかな。


夜みる夢

2011-11-10 11:52:03 | ひとの幸福
夜見る夢 について。

登場人物として自分が出て来る。

このことっておかしくないかな?

自分が見ているのなら自分は出られないはずなのに。

見るのはカメラマン、観客。

役者は演じている。

私が夢を見ている なら わたしは観客やカメラマンなのに、

私が動いて演じている!?

夢を見ているのは誰???ということになる。


意識が働いているという現象なんだろうけど、

夢に出てくる自分を観ているもう一人の自分がいる、

ということになる。





誰も見ない月・誰も見ない露出狂

2011-11-08 16:19:59 | 量子力学と心
「誰も見ない月は存在するか」というアインシュタインの言葉だけど、

これは量子物理学の「コペンハーゲン解釈」という結論が出された時の、

それを聞いたアインシュタインが発した言葉らしい。

「じゃあ、誰も見ない月は存在しないと言うのか、

そんな馬鹿なことがあるか・・」

・・こんなニュアンスだったらしい。

これを「誰も見ない露出狂は存在するか」という問いに置き換えて考えると・・・

春の日曜日の昼間、沢山の人がいる中で、

露出狂の人が自分の性器を見せびらかしたが・・・

そこにいた誰もの人が、それにまるで関心を寄せなかったという現象があったとして・・

その人はどうなったか??

そこに何が起こったか?

「性器をズボンから出している男」という人間現象はその時、存在したけど、

それを否定するという認識が無い、という状態になり、

すぐに誰も見ない露出狂は消えた。
(ズボンを上げるという行為を自らした)

そのひとのしている行為(この例では性器を露出すること)に、

否定・批判・非難という反応もせず、肯定という反応もせず、

ただ、「これは何だろう?」しか、なかったら、

彼はそうしていることに何の価値も見出せなくて、そういう行為は消えるはずだ。

そういう経験を何度かすれば、露出狂はそれ以後存在しなくなるだろう。

消えてなくなる。

関心を向けないで居れば、波動関数の収縮が起こらない。非局所的になる。

どう観るか、どう観測するか、によって観測された側の行為が変わってくる。

この場合、誰もがそういうことは良くない事であるという見方をしてなかったということだろう。

良くないことをしてる男として、周りが扱わなかったということだろう。


にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村


「お大事に」 量子力学

2011-11-07 10:03:35 | 本を読んで
ある医学博士が書いたもので、その名前も忘れてしまったんだけど、

こういうのがあった。

「日本人は病気や怪我をした人に対して、

「お大事に」と言うが、あれがいけない。

お大事にというのは、それに気が行くことだから、治らないんだ・・」

なるほど、と思った。

関心を向けると現象化する。

意識が身体という現象に影響を与える、というもの。


うちの義父の常套句は「上等や」だ。

ここらへんの言葉で「上等」というのは、

大丈夫 とか 沖縄の言葉で言えば、

「なんくるないさぁ」というようなニュアンス。

take it easy かな。


義父は割と小さな怪我が多くて、、

それを見た私が「あら、どうしたんですか?」なんて言うと、

必ずと言っていいくらい「上等や(大丈夫)」と言う。

昔、腕を骨折したとき、

医師からリハビリを続けるようにと言われたけど、

病院に居ることがイヤで、勝手に抜け出してしまい、

医師はもう知らん、こんなことしたら腕は上がらなくなるぞ

って、怒ったらしいけど、

義父は「上等や(大丈夫)」と言って、

病院には戻らなかったらしい。

リハビリもせずにいたけど、

その結果、義父の腕はちゃんと高く上がっている。

なんともない。

義父は恐いもの知らずで、よく怪我をしたと、

義母は言っていて、

とにかく医者に行きたがらなくて、かなりの怪我をしても、

「上等や(大丈夫)」が口癖で、病院に行かずに治ってきたみたい。

消毒もしなかったんだろ。

でも今は洗うだけで消毒はしないらしいから、

それがよかったのかもしれないけど。

こういうのも、そのもの怪我、に関心を寄せなかった、

お大事にしなかった ということなんだろうと思う。

反対に義母は私から見ると、しょっちゅう身体のことを言っていた。

あれを食べるといけない これを食べるといい・・

こういう時にはこの薬、あの薬・・

自分の身体にも、薬にも病院にもとても関心があったように見えた。

もう亡くなったけど、健康体とはいえない身体だった。

義父は極端なくらい自分の健康、自分の身体に無関心だ。

生まれつき心臓に普通の人には無い穴があいているそうで、

頑健な身体とはいえないと思うけど、

この集落では一番元気な長老。

そしてとても穏やか。