今日は浜松での定例会に参加してまいりました。
テーマは「魂の伴侶への道」
てんてんはと~~~~っても昔からなぜかいつも心にぽっかりと穴が開いたような
「寂しい」というなんともいえない孤独感に包まれることがありました。
両親も健在ですし、妹もいますし、信頼できる友達もいてくれるのに・・・
それでもなぜかいつも満たされない・・・とにかく寂しい感情がいつもそばにあったのでした。
その感情がいったいどこからくるのか? 全くわかりませんでした。
「私はいったなんの為に生まれてきたのだろう?」
そんな疑問を持ちはじめたの19歳の頃だったかな?
「きっとなにかを成し遂げる為に生まれてきたはず・・・。」
自分の生まれてきた意味を探すかのように様々なことにチャレンジし、
また世の中に少しでも貢献できることはないかとお仕事も一生懸命がんばっていた日々でした。
けれどもどれだけお仕事をがんばってたくさんの人に「ありがとう」と言われても・・・
上司の方から「よくがんばったね。」と誉めていただいても・・・
もちろん一時的にはとっても日々が充実しているかのように思えたのですが、
それでもやっぱり胸の奥深くに「ぽっかり開いた穴」を決して埋めることはできませんでした。
そして32歳にしてこのホリスティックアロマセラピーと出会い、純粋なエネルギーを持つ
精油やクリスタルとの生活がはじまり、また代表である広海先生とゆりあ先生と関わらせて
いただく中で、少しずつその「ぽっかり開いた穴」の正体を知ることになるのでした。
夫と出逢ったのが21歳の頃・・・。
「ビビビ!!!」っとくる感覚なんて全くありませんでした。
むしろ夫から交際を申し込まれた時も自分より3歳も年下のしかも学生さんとお付き合い
するなんて「論外!!」
それでもあきらめずアタックしてくれた夫・・・。
まっすぐに・・・純粋に・・・とてもひたむきにてんてんのことを思ってくれる当時の夫に
少しずつ心が動かされていったのでした。
そして交際期間7年の月日を経て結婚・・・。
7年という長い間お付き合いしていたにも関わらずお互いそれまで全く違った環境で
育ってきたもの同士が同じ屋根の下、生活を共にすることで、様々な考え方の違いや
習慣の違いにぶつかることも何度かありました・・・というか・・・未熟なてんてんだけが
自分の「我」を通そうとしてわがままばかり彼にぶつけていたのです。
交際期間も新婚時代もどんなわがままなてんてんもまるごと受け止めようとしてくれていた
夫でした。
けれど夫だって人間です・・・。
そんな我がままなてんてんにやはり夫も次第に苦しくなっていった時期がありました。
どこからおかしくなってしまったのか・・・。
なんだか2人の間に「かすかな心の溝ができはじめ・・・」
一緒にいるのに寂しい・・・そんな毎日を過ごすようになっていました。
でもそんな時でさえ、『まっいっか・・・お互い健康で、お互いが好きなことをして、
それで幸せであれば別に同じ方向を見て歩かなくても・・・それはそれでいいのかも・・・。』
そんな『あきらめ』とも思える感情を抱きながら魂に蓋をし、心を無理矢理納得させ
過ごしていた時期がありました。
けれど・・・先ほども書いたようにホリスティックアロマの世界に身を置き、純粋な植物や
クリスタルとの生活がはじまり、また代表の広海先生、ゆりあ先生ご夫妻と関わらせて
いただく中で次第にその閉じてしまった『魂』が反応しはじめたのでした。
そう・・・あの「ぽっかり開いた穴」の痛みを再び感じるようになったのです。
その時その痛みは前にも増してとても強くなっていたのでした。
「この痛みの正体は???」
ずっと・・・ずっと・・・ずっと・・・気の遠くなるような年月を探して・・・探して・・・探して続けていたもの・・・。
そして自分がなんの為に生まれてきたのか?
それはそのたったひとつのその「探し物」と出会う為・・・。
その「探し物」とは・・・
そう・・・・てんてんのもうひとつの魂の片割れの存在だったのです。
そしてその片割れと出逢っていても・・・結婚して一緒に暮らしていても
真に繋がれない寂しさ・・・虚無感・・・だったのです。
「魂の伴侶」
それは陽のエネルギーと陰のエネルギーがしっかりと結びついて初めて完成する
ひとつの魂なのです。
そして魂の伴侶の相手が誰なのか?
それを認識するのもお互い「自分自身」なのです。
片方だけが「この人は間違いなく自分の魂の伴侶だ」と認識するだけではそれは成立しません。
もちろん誰かから言い渡されるものでもないのす。
双方が「間違いなくこの人は自分の魂の伴侶だ」と認識してはじめてその2人は「魂の伴侶」と
してなりうるのでした。
結婚生活の中でお互いの様々な考え方の違い、習慣の違い、物の見方の違いなどから
お互いぶつかったり、傷つけあったり、これまでたくさんしてきました。
けれど・・・てんてんは「この人に間違いない・・・」という感覚に揺るぎはありませんでした。
もちろん、ぶつかりあって大変な時は「この人が自分の魂の伴侶だなんてありえない!!」
「絶対違う!!」・・・そう一時的に思うことはありました。
でも・・・言葉では説明できないけれど・・・
夫といる時のそこはかとない安心感・・・・。
それだけはいつの時も変わらずに感じる感覚だったのです。
大好きだった母とも違う・・・大好きな親友といる時ともまた違う・・・
全く気をつかわなくてもいい・・・空気のような存在・・・一緒にいて・・・ほっとできる存在・・・
そしてやっぱり「この人しかだめだ・・・」そういう感覚はどんなにぶつかっても
どんなに嫌な想いをしてもいつの時もちゃんと奥のほうに存在していたのでした。
私の生まれてきた意味・・・。
それは「もうひとつの自分の魂の片割れと心も身体も魂も真に一体となること・・・」
それを思い出したときからてんてんの「魂の伴侶への道」はスタートしたのでした。
そして今ももちろん道の途中です。
アロマを学ぶ前も・・・そして学んでからも心がとても弱く未熟だったので、
「夫に寄り添う優しさ」、「夫を受け止める器」、全くありませんでした。
けれど・・・ほんとうに亀さんのようにのろいけれど、精油やクリスタルのサポートがあり、
先生にいっぱいサポートしていただき、家族にもいっぱいサポートしてもらい、
これまで1歩1歩確実にその「魂の伴侶への道」を歩いくることができました。
もし・・夫がなんでも私のいうことを聞いてくれて、なんでも意見がぴったり合って、
私のことをいつもよしよしってしてくれて、
理想の人そのもので、とってもできた夫だったら・・・
てんてんに「成長」というものはあったかのかな?と思うのです。
全く違う環境に生まれて、考え方も、趣味も、生活習慣も全く違う2人が最初はぶつかり
合いながら、それでもひとつひとつお互いが「歩みより」、「寄り添い」、「慈しみあい」ながら
元のひとつの姿に戻っていく・・・そのプロセスこそが「愛」だと思うのです。
今日の定例会で群馬校講師の小出先生がとっても素敵なことを教えてくださいました。
「愛」という字は「心」を「受け止める」と書くのです・・と・・・。
伴侶同士がもし最初から同じ形をしていたら・・・確かに心地いいかもしれないけれど
一生交わることはないと思うのですね・・・。
陰陽のマークのようにお互いに欠けた部分をお互いが補い合ってこそひとつの「円」に
なるのです・・・。
てんてんはほんとうにまだまだ「道の途中」です。
まだまだ未熟なところもたくさんあるので日々の生活の中で夫によからぬ想いを抱いて
しまうことだってあります・・・。
でも・・・たったひとつ思うことは「絶対あきらめない!」ということです。
幸せになることを・・・決してあきれめないのだ
これからどれだけの時間を要するかもしれない・・・けれど・・・必ず・・・必ず・・・
やっとみつけた「探し物・・・」決して二度と見失わないように・・・。
そしてこの生を終えるとき、「あなたに出逢えて本当によかった・・・ありがとう。」
感謝が溢れてとまらな~い・・・
お互いがそういうふうに思えるように・・これからの日々を暮らしていきたいな・・って思っています。
日常のちょっとしたささいな思いやり・・・優しい言葉・・・わすれずに・・・
おはよう~
行ってらっしゃ~い
おかえりなさ~い、お仕事おつかれさまでした~。
ありがとう~~。
お庭のピエール・ドゥ・ロンサール・・・一輪開花しました~。うっとり
今年はちょっぴり開花が遅いようです~。