懐かしくもあるけれど

2007-11-15 17:51:02 | 出来事
先日、以前一緒に働いたことがある知人から電話が来た。
当時の事を思うと、一緒に働いたと言うより、よく遊んだと言う印象が強い。  
家にも遊びに行き、旦那さんにもとてもよくして貰った。  
ご馳走になり泊まらせて貰い、飲んで唄って踊ってと言う思い出だ。  
年賀状のやりとりはしているが、電話を貰うのは数年ぶりだった。
私よりひとまわりも歳が離れている人で、久し振りのおばさん同士の話は決まっている。
あっち悪い、こっち悪い、ここ痛い、あそこ痛い、身体の話に病院の話。

ハタと気が付いた「そうだ!この人、長電話の人だった」
私は受話器片手に、立ったり座ったり歩いたり、いささか飽きてきていた。
頃合いを見て「今度又、カラオケでも行こうよ」と社交辞令。
「そうだね!」で終わると思ったのに、
「今度と言っても駄目だから、日にち決めよう?」と言われ、
実現の運びとなった。
迎えに行って送る羽目に・・・




幸福という名の不幸

2007-11-15 11:19:40 | 折りに触れ思うこと

自分は幸か不幸かなどと言うことは、
いくら考えても答えは出てこない。
答えが出てこないと言うより、
自分が幸か不幸かいくら考えても解らない。
なにを持って幸せとするかと言う定義はないし、
あったとしても、万人に当てはまることではない。

日常では、「幸せ」という言葉はよく使う。
〝あの子は幸せだ、みんなに祝福されて生まれてきた〟
〝親孝行の息子が居て、あそこの親は幸せだ〟
他人の勝手な価値判断で、人は幸せな人とされたり、
私自身、日々の暮らしの中で簡単に「幸せだ」と感じる瞬間が度々ある。
幸せとは、その程度の軽い浮き球の様な物で、決して大きな物でも、深いものでも、続いて行くものでもない様に思う。

不幸というのは何だろう?
自分は不幸だろうかと考えると、これも簡単には答えが出ない。
不利益は沢山あるけれど、それを不幸だと感じたことは一度もないが、
だからといって不幸ではないとも云えない。

幸も不幸も、人それぞれの心の有り様なのかな。

 

誰の詩か忘れたけれど、 確かこの様な詩だった。
何故か忘れない。

 ~ 幸せは 一様に幸せだけれど
    不幸は とりどりに不幸である~