秋は忍び寄る様に訪れる、嫌いな秋。
空は高く澄み、鰯雲流れ、頬を撫でる風は心地良いけれど、
秋の夜長が嫌いだ。
日暮れが早くなり、夜明けが遅くなると、
もう今から春の訪れが待ち遠しくなる。
少し心が病気だった頃、
夕暮れが近づいてくると、
叫びたくなる様な不安に襲われた。
それからずっと、夜は嫌いだ。
大原麗子の葬儀での浅丘ルリ子の弔辞に思うところがあった。
~ 夜中であろうがお構いなしに、他人のこと自分のことの不平不満の一方的な長電話に、もう電話には出たくないと、一時的に距離を置いたときもあったけれど、辛さを分かってやれずごめんなさい ~ という内容だった。
私も、難病を抱えている友人からの度々の長電話に閉口するときがある。
言葉にこそ出さないけれど、いい加減勘弁して欲しいと思う。
浅丘ルリ子の思いに共感する所だ。
そしてその友人からも、同様に浅丘ルリ子の弔辞に思うところがあると電話があった。 彼女は大原麗子の立場に自分を重ね合わせ、どんなに辛かっただろうと思うと、可哀想で涙が出て胸がいっぱいになったと云った。
私は、人を思いやることが出来る、相手の立場になって考えることが出来る、どうしているだろうと案じることが出来る。 けれど、その思いの中で明け暮れする事はない。 日常は忘れているし、例え思っても次の瞬間テレビを見て笑い転げる事だって有る。 所詮、他人事、きっと私は薄情な人間なのだろう。
私には中学時代から懇意にしている友人がいて、この人には親との確執を度々話していた時期があった。 ある時、彼女が知人のことを話すとき
~ アンタと同ンなじで、いっつも親の悪口云ってるんだわ ~ と言った。 ドキッ!とした。 そうか、そう言う風に思っていたのか、通り一遍の世間の評価の様だと思った。 彼女は、私の生い立ちや環境や生活状況や、勿論親との関係も知っていたので私の悩みを分かってくれている友人だった。
けれども私は一方で、難病の友人には言葉にこそ出さないけれど、心の中では同様のことをしているのだ。 私は彼女が、貧しさ辛さ苦しさの生活を味わい、そこから現在に至る迄の人世を知っている。 だから分かってくれていると思う私に、病気の愚痴の長電話、私はそれを迷惑と思ってしまうのだ。
私も友人も、誰彼構わず自分の悩みを話したりはしてない。 けれど、人の心の中は難しい。 友人も、私が病気の電話に辟易していると知ったら深く傷つくだろうから、それは心して、本当に心して改めようと思う。
大原麗子の死から学んだ事と、ふと思い出した昔の事。
昨日の高校野球決勝戦中京大中京×日本文理は
早稲田実業×駒大苫小牧戦以来の鳥肌が立つ様な感動ドラマだった。
勝った中京大中京が泣いて、負けた日本文理が笑ってた。
中京大中京の応援OBは泣き笑いだったと中継していたけれど、展開がよく解る表現だ。 本当に筋書きのない良いドラマを見せてくれた。
世界陸上女子マラソン、尾崎好美も感動をくれた。
もしかしたらと金も見えたけれど、同等の銀メダルだ。
最終日に、思いもかけない「男子やり投げ」で村上幸史が銅メダル。
本人も困惑するほどの快挙だ。
スポーツの大会は、マスコミや周囲がメダル!メダル!と期待する中で、そのプレッシャーは想像できない重いものだろうと思うけれど、その合間を縫ってリラックスして競技する事が出来て運にも恵まれれば、意外とノーマークの選手があっ!と云わせてくれる。
北京オリンピックの「フェンシング」太田雄貴銀メダル、「ケイリン」永井清史銅メダル。 かつては、「テコンドー」岡本依子銅メダル、「アーチェリー」山本博銀メダル、「競泳800㍍自由形」柴田亜依金メダル。 そして何と云っても一番驚いたのは「競泳平泳ぎ」岩崎恭子14歳金メダル。 〝今まで生きた来た中で、一番嬉しい!〟と言ったコメントも可愛かった。
スポーツは私の人世に感動を与えてくれる。
いっぱい寝てるのに眠たい。
ゴルフ、高校野球、バレーボール、世界陸上。
目が覚めるとテレビを見て、眠くなったら寝て。
なのに、眠たい!
何だかボーッとしてる。
子供と一緒にご飯を食べる親ではなかったけれど、
今、やっと親と一緒にご飯を食べる自分になった。
親が退院した一週間前から。
自分の視界にすら入れたくなかった親の部屋も綺麗に片づけ、
外を歩くときは手を繋ぎ、
怒らず、普通に話し、
お早う、おやすみ、
行ってきます、ただいま、
・・・・そんなことが出来るようになった。
しょうがないんだ、これは私の役割分担。
自己嫌悪が少し軽くなった。
無気力と倦怠感、
何だかとても眠たい。
かえるぴょこぴょこ 2ぴょこぴょこ
って云えなくなった。
早口言葉だけれど、早口じゃなくてもスムーズに云えない。
ほんとに云えない。
最近気が付いた、どうしてかな?
こんな事も加齢のせい?