一昨日も昨日も-14度を超える冷え冷えの朝だった、私は冬の朝のこの冷気が好きだ。 外へ出ると一層ピリッと張りつめた澄んだ空気が何か生きてる実感を、そして冬という厳しい季節を感じさせてくれる気がするのだ。
もう母が居なくなって12日にもなる。 未だに手を合わせると「ごめんね」という言葉しかない。 鼻声、咳、痰、熱、 症状はいっぱいあったし高齢者は即肺炎を疑う・・・・これくらいの知識私にもあったのに、なまじっか残っていた座薬で熱を下げ二日ほど受診が遅れた。 何をやってたんだ私は・・・・
肺炎ではあるけれどそれより心臓・・・・・・脈が150以上あるので年齢から考えて危ないかもしれないよとDrに云われた。 入院して夜間に見回ってきた看護師に「痰がひどいんですよね」と取って欲しいとは云わなかったけれど暗に伝えた。 母は絶え間なく手を動かし、空を掴む様だったりに、衣類の袖や裾をまさぐり、寝具を引っ張り・・・・「いつもこんなに動くの?」と問う看護師に「いつもは動かないです、苦しいんだと思います、身の置き所がない様な感じと思います」 看護師はじっとしばらく観察して「痰とろうか」と云った。 私はサクションを知っていたチューブを挿入して痰をとる、苦しいのも知っていた、だけどここをすりれば息が楽になるよ、頑張れと思い、苦しむ母の両手を抑え協力した。
ここ数日間で始めて痰の絡まない静かな呼吸で眠る母を見て良かったね、楽だね、と嬉しかった。
けれど明けて又痰を取り、日勤者に代わって又取り私が3時間付き添いを頼んで不在の間再度取り、夜勤者に変わって巡回の時「苦しそうだね、痰とろうね」
痰が絡むのは苦しい、だけどサクションの後の心臓の負担これがさらに苦しかったと思う。 肺炎より心臓がと云われたけど、どの看護師も心臓の負担は考えていなかったように思う。 終わった後の心臓は飛び出さんばかりで、私はいつも心臓に手を当てていて「心臓凄いんですよね」と云っても「そうなんですよね」で終わり。 脈を診るでもなく様子を見ることもなく一つの処置を終えただけ。 痰をとって楽になったのは一度だけだった。 苦しい思いをさせてしまった、わたしもそれに加担したような気がする。
二日目の午後、尿意も便意もしっかりあるのに管を通され、それにより必然的におむつ、そしてつなぎ服を着せられた。 これは一種の拘束、この服は本人が嫌がってもどこからも手が入らないし絶対脱げない、管を外したら大変だからだ。 そんなことしなくてもパンツとパットで対応できていたのに「酸素してるからね」と云う事だった。 起こしてトイレまで行く負担はかけなかったのに。
だから遺影に向かい、
「ほんとごめんね、ごめんね」 この言葉しか出てこない。
だけど
病床で「ごめんね、もっと早くこんなに悪くなる前に病院へ連れてくれば良かったのにね」と云うと殆ど喋らなかったのに、
「どしてそんな事云うの?そんなことないよ」と云った。
食事は全く摂れなかったのに、薬だけは何とか飲んだから、
「ご飯食べないのに薬飲むのは上手いね」と云ったら、罰悪そうに、照れ臭そうに笑った。
それが思い出。
それでも少し、ごめんね・・・の後に、ありがとね・・・・が云えるようになった。