~まだ元気で身体が動くうちは、好きなこともやりたいし、子供の世話にはなりたくない~ 子供との同居を断り老人施設に入ってくる。
6畳程の小さな一間に、ほんの身の回りの物だけを運び入れて、自立した共同生活が始まる。
思い出を
荷づくる指が躊躇する
この行く先が 終の棲家か
生活に慣れてくると、当然のように衣類やら日用品やら、僅かだった生活用品がどんどん増えてくる。 後に、あの狭い部屋によくこんなに沢山の荷物が入っていたものだと感心する程、物と言うのはたまっていく。
何年かの後、
それらの品々がもし遺品となった時、
家族にとっては、それは単なる邪魔な不要品でしかなくなるのだ。
きれい事は言わない。
例えば、
親が使っていたベッド、
毎日寝ていた布団、
愛用の湯飲み茶碗、
衣類や小物、
それらを持ち帰って使うだろうか。
例えば、
書きためた習字や、
趣味で作った小物や、
行事の度の沢山の写真や、
それらをゆっくり手に取って見るだろうか。
それらの物たちが、
本人にとってどんなに深い思いの入ったものであっても、
それを共有することは出来ない。
ただ、
それらの物を見た時、
そこに暮らした親の、生き様のような物を感じればそれで良いと思う。
様々に
人間模様 織りなして
歳月巡る 苑の食卓
物を不要品として処分しても、
家族として決して非情でも薄情でもなく、
それが正しい在り方だと自分は思う。
自分も、何度も身辺整理をしている。
しかし、
なかなか捨てるに忍びないのが手紙と写真、
思い切って処分したけれど、
25年程習っていた踊りの写真はちょっと遅れている。
最後の舞台
2006 5/7
踊りを止めてまだ2年しか経っていない。
随分昔のように感じる。
時々、正座出来るようになった夢を見る。
正夢にはならないだろうなぁ。