優雅な立ち居振る舞いの様な桜が咲き終えると
今度は 躍動感溢れる若者のようなタンポポが咲き乱れる
ライラック 牡丹 芍薬 藤
順に静かにバトンを受け取った花々たちは
密かに蕾を膨らませ
やがて圧倒的な華やかさで
自分の分を生きる
十勝の初夏
花々を引き立たせる緑は一層眩しく
駆け抜ける風は奏でる様に過ぎる
当然だけど、この世に生まれたのも始めて、歳を重ねたのも始めての経験、気が付いたらこんなに遠くまで歩いてきていた。 心身も共に歳を重ねてきたけれど、巡り来る季節や空と大地、木々や草花など、周りの自然に気付き、深く左右されるようになったのは、最近に近いように思う。 若い頃、一体何を考えていたのだろう? 春を心待ちにしていた覚えもないし、空の青さに感動した記憶もない。
新しいことは覚えられない、物事を思い出せない、忘れる・・・機能的には確かにそうだけれど、心の深いところでは粗く雑だった感情が、きめ細かな上質の物に成長しているのではないだろうか・・・なんて。
強がりか、思い違いか、勘違いか。