昭和も遠くなりにけり

2014-09-16 05:04:37 | 折りに触れ思うこと

死んだ子の歳を数える様に、死んだ親の歳を数える。  6月で88歳になっているので米寿、昨日の敬老の日にはきっとお祝いに洋服を買っていただろうなぁ。  思えば自分もいつの間にか高齢者、敬老なんて言葉はおごそかだけど親と二人の祝日だ。   

 好きだった赤飯を蒸かした、花も買ってきた、自分用にハイボールを買って来た、かんぱ~い!

 
昔「敬老会」は施設での一番大きな行事だった。  全員に記念品、更には喜寿、米寿、卒寿、節目を迎えた方にはお祝い品、食べきれないほどの料理。 行政では「道」からも記念品が贈られたりした。 「町」では十勝川温泉のホテルに日帰り招待、演芸を見て料理をご馳走になった。  ヘリコプターで遊覧飛行と云うのもあった。 今も継続しているのかわからないけど、世の中こんなに年寄りが増えたんじゃそんな事やっていられないだろうとは思う。 

パート先では13日だった。  ちらし寿司、ほうれん草の和え物、 お吸い物を作っただけ、茶わん蒸しは既製品だった。  お茶のペットボトルがテーブルに置いてあった、アルコールはなし、記念品らしきものも何もなかった。  入所者は職員の手で、白粉付けて紅付けて別嬪さんにしてもらい、そんな光景だけが、私としては何か少し嬉しい気持ちになれたのは、関わっていた昔が懐かしかったからだろうか。  翌日、シリコンで出来たコースターにもなるし蓋にもなる・・・・みたいなものがあり、それが施設からのプレゼントだったようだ。  生活している場所だと思えば家庭と同じ、そんな大ごとはいらないのかもしれない。  「軽老の日」だなと思った「敬老の日」