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天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

委ねあう

2021-02-10 13:04:06 | 信仰と生活

令和3年2月10日人生の処方箋
[天地自然の妙力に一切をお任せする]

『委ねるとか、任せる』とかは、よく使われることばです。しかし、ある時は、うまく任せることができ、ある時は、とらわれて事情という荷物を抱えたまま、苦しみを繰り返すものです。

とかく悩みごとは雪だるまのようになります。お任せするとは、[自然の力にすべてを任せる]とありますが、なんだか雲を掴むように感じる人もいるでしょう。

人間というものは都合が悪くなると、任せきれないものです
調子の良いときは、大きな気持ちになり何でも任せられるものです。では、誰に対して委ねるのかといえば、身近の夫、妻、親、子からはじまるものです。

双方が任せ合う、委ね合う生活に舵をきることです。そして、どんな事情にあろうとも『過剰反応せず無関心を肝心とする』ことです。そして『祈りと合掌』で、人に向き合うとき天地自然の妙力が、はたらくようになっています。やります!

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救われる法

2021-02-10 12:58:55 | 運命の原理

令和3年2月9日人生の処方箋
[救われる法は 事情を超越すること]


『救われる法』とありますが、これは『変わること』をいい、変わるに遅いはありません。『人生では今が実は最高』だからです。その最高を味わう心境は、変わろうとした瞬間におとずれるものです。

半身不随になり、リハビリに日々向かう時、車椅子を押してくれる人が必要と感じた私は燃えました。その時から不自由な身体のとらわれは忘れ、リハビリが楽しくなりました。

道は私に絶望を与えませんでした。不自由への挑戦、そして一歩の確かな手応え、誰が見ても変化がわからないのに、本人だけは確かな手応えと進歩を感じていました。

ライン日記には、必ず使われることばのひとつに事情があります。問題は事情の処理に性格がでることです。事情を私は道に委ねることで、性格に封印することができました。

なかなか性格を変えることはできませんが、善いほうに努力することはできます。なにしろもとは性格から出たことです。

かえって半身不随になることで『短気の、頑固の、恩着せの、完全主義の』から事情を生み出していたことを、再発見したことは、実に衝撃的な入院生活でした。

生きている以上、事情はつきません。ただ事情にするかしないかはあなた次第となりましょう。私も相変わらず事情の中にいます。でも、感じなくなりました。やります!

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委ねる道

2021-02-10 12:55:20 | 信仰と生活

令和3年2月8日人生の処方箋
[いかなる台風も自然に止むときがきます]


『自然に任せる』のことば『任せるは人生の悟り』です。

どんなに事情を解決しようと思っても、任せることができず、右往左往の気分でいればどうにもなりません。

『任せる委ねる道』は、悩みが晴れ気持ちもおだやかになるものです。つまりどんな台風も今では気象の予報で進路も特定できます。大雨も自然に止むことになっています。

人間の身の上に発生する病気も、一時的なものや瞬間的なものもあります。それがいつどのような時に、よくなるんだろうと、気持ちが騒いでも原因がある以上、長びくことになります。

もうここまでくれば仕方がない、生きているだけ儲けもの、御神尊様どうかお任せします。私はお任せした以上、いのちある限り家族に尽くしていくつもりです。

というようにそれぞれの立場で、やらなければならない宿題があるはずです。それはあなたの愛情の過不足を補うための修行です。任せてください。やります!

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事情のもと

2021-02-10 12:51:23 | 運命の原理

令和3年2月7日人生の処方箋
[人を憎みとがめてはならないという原則がある]


最近の交通事故に、ブレーキのつもりでアクセルを踏む事故を起こしても、ふみ続けるということがたえません。

ではなぜ事故につながるのか。起こしてしまったのか。必ず物事には原因と結果の関係が存在しています。

病気や仕事上の問題も同じことです。人生途上でおきる事情のもとは、まずはその心から出ているものです。

日常生活において、その日その日を、あるいはその場その場で、『気持ちの切り替え』を順調にできれば、幸福であり、健康めぐまれるでしょう。

それがいったん不順になれば、そこから事情が生まれ病気という名をもらうことになります。もとをただせばいつまでも何かを思いわずらい、何かにこだわってきた心の不順にあります。

御神尊様は、宗教的にいえば理由の如何、事情の如何にかかわらず、[人を憎みとがめてはならないという原則がある]といわれます。これが[神の掟]でもあります。

過去に置き忘れた憎みとがめのもとを捨てない限り、苦しみは延々続くのです。朝日が毎日おとずれるように、日々新たなる気持ちと、新しい生活を営むことです。やります!

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いかなることも!

2021-02-10 11:51:56 | 新陳代謝

令和3年2月6日人生の処方箋
[循環は天地の生命なり]

天地は間断なく動いています。その動きが『循環』といわれるものです。昨日と今日は別のものです。夜を境に変わり、今日はあすへと変わっていきます。この『変わりゆく姿を循環作用』といいます。

天地の生命に生かされる人間の、生命もまた循環のなかにあります。

昨日も今日も気持ちの変わらないあなたなら、その喜びが毎日のように続くものならいうことがありません。まさに幸せそのものです。

ところが『怒りあり、悶えあり、憎みあり、とがめあり、喜びは瞬時にすがたを消す』ものです。でも、怒りっぱなし、憎み通しでは生きてはいけないのも事実です。

『不愉快を捨て愉快になってこそ生きられる』のであって『不愉快のままならば生きられる』保証はありません。

大きな声で笑うことができなくても、かろうじて生きていられるのは天地のめぐみ、循環のおかげです。

とにかく『幸せでありたいと心から思う』ならば『循環をまもる』ことにあります。『いかなる事情にも引っかからないこと、とらわれないこと。悩まないこと』そして『笑って喜んで日々を迎える』ことです。やります!

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