天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

思念

2021-05-07 19:07:00 | 信仰と生活
令和3年4月30日人生の処方箋
[思いの通りに生きてみて] ラインの日記

自分勝手にと、いっているのではありません。
一種の反語でしょうか?なかなか『思いの通りに』生きたいのに、現実はそうはいきません。

『思いの通り』です。日頃から人生にどのような設計図を、描いているのでしょうか。なかなか人生の計画は、年齢的に、仕事、学業、家庭の人間関係が絡んで『思いの』を形にするは、意識の壁に穴をあけなければなりません。そのノミは合掌の積み重ねで念を強くすることです。

そこに縁が生まれ人生の師との、出会あいもあなたの思いです。
もっと言えば思念です。尊敬する人に導かれたい、この人のようになりたい。ならば『なりたいというだけ』です。『思念を口にするだけで現実化します』とにかく『経文を読むように声を上げる』私はそうしてきました。やります
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天地の慈悲

2021-05-07 17:24:00 | 信仰
令和3年4月29日人生の処方箋
[本当は 自他力一如なんだがなあ]ライン日記

おはようございます😃
御神尊様はある宗教に招待されて、でかけられました。そこの山門に入られて、足が止まりました。その視線の先に記念碑が見えます。

じっと碑文を見ていましたが、やがて『本当は自他力一如なんだがなあ』と呟きました。そこに『自力と他力』と彫られています。

感慨を込めての言葉。20年かけ人間の運命解明の悟りが思わずこぼれました。世間には自力を問う宗教もあり、他力をいう宗教もあります。その隙間に誤解が生まれています。

御神尊様は、『自分自身にひそむ人間力を発揮する』ことで、『天地の力、他力とひとつ』になり、救われると言われます。『変わる力は自力、変える力は他力』『変わる努力に、変える天地の慈悲』が注がれて、ひとつになります。やります


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人間力

2021-05-07 17:19:00 | 生命力
令和3年4月28日人生の処方箋
[為せば成る 成せば成るとは]ライン日記


<思い立ったが吉日>とはよくいったものです。決断力の鈍い人に迫ったものです。そもそも目的が明確でないと、なかなか吉日とはなりません。

だから、『為せば成る』は、世間ではやる気を出させ励ましなどに用いられます。
この言葉は、米沢藩主、上杉鷹山公。武田信玄公が使われ、現在では慣用句として使われたています。

しかし、御神尊様の『為せば成る』は、人間の精神に潜む霊力を、『百日間千里の道の修行』で人間力として証明したものです。誰もにある人間力、それに気付いてないことです。

いかなる人生苦をも乗り越えるには、それは『成る』の結果ばかりを気にせず、まずは『為すこと』からです。そのために

『人生苦の象徴として、自らが30キロのレンガを背負い、私たちに苦悩はわたしに任せて、目の前のことに全力であたれ』
と進むべき道をしめされました。

私は『わたしの人間力養成』のために、いろんな試練をいただきましたが、おかげでそのご慈悲を人さまにお返しする日々がやってきました。共にあゆみましょう。やります。!

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信念

2021-05-07 08:37:00 | 信仰と生活
令和3年4月27日人生の処方箋
[コロナ禍、今こそ、試される時]ライン日記


コロナ禍の中で、さまざまな差別が社会に現れています。近いところでは江戸時代から令和まで、身分差別は言うまでもありません。農民は生かさず殺さず、下級武士は上級武士に雨降りに土下座や、傘をさしてはいけないなど。

その影で病気の差別は、特にひどいものがありました。御神尊様は、まずは生きるための道を20年研究しました。

コロナ禍の時代、いつ自分がなってもおかしくないのに、患者の批判や誹謗(ひぼう)がちまたに広がっています。

御神尊様は、霊的信念で結核の患者に寄り添い、血痰をススって見せたのも、病や差別に負けない精神力にめざめさせるためです。

なぜ、血痰をススルことができたのか、それは『結核の性格、人間関係、家族関係を臨床実験』で真理を掴んでいたからです。

だから、北九州市折尾に大天幕講堂で結核の青年を助けたときも、科学と宗教はクルマの両輪、しかも、貧富、男女の差別なく病めるからこそ無条件で救うにありました。やります!
※血痰のことは、長久の取材によるのと、養父の吐血体験からです。

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実生活

2021-05-07 08:33:00 | 神と人
令和3年4月26日人生の処方箋
[人間みな神にすかれようとしている]

人間は妙な生き物で、何かといえば神を引き合いに出して、事情があれば、解決を願うところがあります。

神の側から見れば、なんと都合のいいことではないか。といいたいもの。神の教え、家族の言い分はいい加減に聞いています。

だから日常生活も人に嫌われる性格を発揮しながら、相手の合わせる努力が足らないとなります。それでいて神前にぬかずけば、その場限りの神妙な姿勢になるのが不思議なものです。

まるで別人のような見事な使い分けです。では、せっかくだから、神もおかげをその殊勝さに免じてあげたいもの、しかし、神の前では融通はききません。

神の前でも役者では助けようもありません。なぜなら実生活こそ、その人の人間性だからです。

神のまなこを信じている人は、常に心を洗っています。とがめ、憎み、とらわれを、日々に清めて流しているものです。その清々しさ心の清らかさこそ、当然、お陰げに包まれるものです。やります。!

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為の道

2021-05-07 08:29:00 | 人生
令和3年4月25日
世のため、人のためになる道

いささか手垢のついたことばです、それは、世のためとは何をすればいいのか。
よく考えてみると、ボランティアはオリンピック、パラリンピックが問題になっています。

以前は、病院には傾聴ボランティア、案内、子どもたちの読み聞かせ、子ども食堂、など、今の社会にはこんなに多くの奉仕の場所がありました。

なぜ過去なのか、コロナで電線がきれたように断線して、愛の線がきれた状態だからです。

それどころではないとして、世のためにも、人のためにもならないことは、放置されています。

これが信仰の世界では、その信念が逆行しているような印象です。コロナにかかりませんから、あつまりましょうなど、きいています。

世のため社会のためは、家庭の一人からの出発です。

今だからこそまずは、批判的生き方から、家の中を明るさ、優しさで満たす。そのコップからこぼれ落ちるしずくでいいから、社会に世の中に手を目を向けてみませんか、あなたのおかげで[為の道]がひろがります。やりまーす
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心は見える

2021-05-07 08:20:00 | 神と人
令和3年4月24日人生の処方箋
[どうかしましたか。はこわい]


どうかしましたか?いえなんでもありません。と否定しても不思議なもので、隠そうとすればするほどあらわれるものです。
どこに現れるか。顔に出るに決まっています。顔ほど怖しいものはありません。

誰かに言われたあと愛想笑いで返したものの、心配した人は振り返って見ています。こわばった背中でとぼとぼと歩いて、先程の笑顔から、お面のような顔に変げしています。

固まっている本人はまさか見られているとは思いもしません。なぜなら気がかりなことで腹一杯だからです。そして、どうなりますか?の、その後は『はい、そのとうりになりました』

これが運命の行手です。油断も隙もありません。神は人を遣わしてそれとなく、慈悲を与えられています。気づきを与えられています。

天地の道を学び、合掌の心がけで歩く人は、『どうしましたか』に敏感です。だから『ハイ、わかりました』『ありがとうございます😊』救われましたね。やります!


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