🔴24令和6年5月29日実践心学
[反省と自制の精米機を使う]ライン日記
取れたばかりの米は、そのままでは食べることができず、精米機にかけて、磨く必要があります。そのことを指して『精』といいます。これを人に喩えれば『誠心』といい、反面、磨くことをせず、玄米なら食べることはできず、喩えて邪気といわれます。
また、心のなかの邪気邪念を、精算するのも精といわれます。つまりは『心のなかの精米機、浄化装置が反省であり』それによって調節され、自制のブレーキがかかり、良い方向に向かうことができます。『心の磨きは精、そして瞬時に幸せ感が伝わるのが神』です。これ天地の妙。やります!
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