[人として、あやまちのない人は、1人もいない、
だから、人のあやまちも無限に、許して(赦して)いかなければならない]
人間は、人格的に完全でないことは、誰もが認めるところでしょう。
そして時に、誰もが、スゴイ心を使っています。
それは、(悪いことしながら、良いことを思い)
(良いことをしながらも、悪いことを思う)ことができるのです。
これは、いかに人間が、他の動物と違い 複雑な心理を、無意識のうちに、働かせ、(善、悪、)
とりまぜて、仕出かす能力の持ち主かということです。
もし、生まれたままで成人するならば、法や道徳心を壊す、人格になってもしょうがありません。
今朝の言葉の、理解しにくいところは、[無限に]にあります。
この言葉をはぶいても、文脈は通じます。
しかしそれでは、御神尊様の教えに反することになります。
立場を変えてみると、よく理解できます。御神尊様の前で、
『やりますを誓い』ながら、
『やりませんの人』になったことがあるはず。
実は私もそれを、繰り返した時代がありました。
でも御神尊様は、いつもご慈悲の眼差しを注いで、
いちども、責め とがめ、されたことはありません。
それどころか、何度も助けられながら、同じ失敗を繰り返し、また相手を、
命がけでとがめるのです。
でも、神様はそのたびに、赦し続けるのです。
そこを、受け取ってこそ、天地の慈悲とともに歩む真実の生き方でしょう。
[無限に、赦す道]をまなぶ、誓願を立ててください。
私たちは、<自覚する、せざる>にかかわらず、『赦されて、生かされている』ことを、
忘れてはなりません。
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