美濃国分寺は、美濃国分寺跡の山手にあります。
美濃国分寺跡とは・・約1300年前、天平十三年に民の精神面の支配と地方政治の安定を目的とし、聖武天皇の詔勅によって全国68ヶ所に建てられた国分寺あとです。
また、現在の「美濃国分寺」は平安時代に創建された「美濃国分寺」が兵火や雷で焼け落ち木造の大きな本尊が長く雑草の中に放置されていたのを山側の雷からも安心なこの地にお祀りしたものだそうです。本尊の仏像は上半身だけ焼け残り、今も同じ姿でお祀りされています。山手の「美濃国分寺」と平地の「美濃国分寺跡」との間には「大垣市歴史資料館」があります。(中仙道・美濃ダイジェスト版より)
美濃国分寺は、3人目を流産して水子供養をしてもらったのをきっかけに、これまで愛犬を供養してもらい、昨年は敷地内の墓地も買わせて頂きました(正しくは永代供養代)そんな訳で、先日逝ってしまった愛猫の供養を今日お願いしてきました。
美濃国分寺跡とは・・約1300年前、天平十三年に民の精神面の支配と地方政治の安定を目的とし、聖武天皇の詔勅によって全国68ヶ所に建てられた国分寺あとです。
また、現在の「美濃国分寺」は平安時代に創建された「美濃国分寺」が兵火や雷で焼け落ち木造の大きな本尊が長く雑草の中に放置されていたのを山側の雷からも安心なこの地にお祀りしたものだそうです。本尊の仏像は上半身だけ焼け残り、今も同じ姿でお祀りされています。山手の「美濃国分寺」と平地の「美濃国分寺跡」との間には「大垣市歴史資料館」があります。(中仙道・美濃ダイジェスト版より)
美濃国分寺は、3人目を流産して水子供養をしてもらったのをきっかけに、これまで愛犬を供養してもらい、昨年は敷地内の墓地も買わせて頂きました(正しくは永代供養代)そんな訳で、先日逝ってしまった愛猫の供養を今日お願いしてきました。
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