モノ作り・自分作り

東横線 元住吉 にある 絵画教室 アトリエ・ミオス の授業をご紹介します。
美術スタッフが、徒然に日記を書いています。

もしもの視界

2023-01-24 20:42:46 | 学生


桂吾 高2 『死というものが祝福ならば、辛い人生より死を選ぶ』 水彩

年を経るごとに重ね着の枚数が増えているので、気づいたら10枚くらい着ていそうで怖いですね!ホノカです。
今回は桂吾の作品のご紹介です。
渋い木の色で描かれる厳かな教会の内部、十字架の後ろからは窓で光が取り込まれて、まさしく後光がさしています。教会の中は左右対称に作られ、窓や奥に見えるパイプオルガン、神父が立つであろう祭壇などは光に照らされています。

よくデッサンの構図で「左右は非対称にしましょう。対称なものは宗教画などには有効です」というお話を耳にされるかもしれません。左右対称で均整が取れていることは安定感がある反面、つまらない構図にもなりがちなためその様に言われています。ですが、宗教画においてはトップに位置するものが分かりやすく伝わる様に、左右対称の構図が用いられているとされており、この作品でもそのような宗教性を持たせるという意図で左右対称に描かれているのではないでしょうか。ただ、この作品では揺らめくロウソクの火だけが大きく左右で非対称になっており、そこに左右対称の完璧さが少し崩れる片鱗が見え、不安な気持ちを感じさせる部分になっています。

また、この作品では見る人が教会の入り口近くにいるような場所から描き始められています。ここでは通路が手前側に描かれることで、視線が手前から奥に向かって移動し、自然に十字架の方に目が向きます。実際に自らが教会に入った時のように、内部の広さや高さに驚き上を見上げる時と同じ体験ができるような構図になっていますね。そして、この景色を見た人はタイトルにもあるように、辛い人生から死へ向かうことの祝福を求めて遮二無二なりながらこの地へ赴いたのかもしれません。フリーハンドの感じが残るこの作品ですが、本当は人工的に整えられた直線でも必死に渇望する人から見ると、汗や涙で視界が歪んで見えているのかもしれないと思わせてくれます。

生まれて洗礼を受けた空間でその命を終わらせる。カトリックでは命は神から預けられたものとされており、実際はその命を自身の意志で断つことは禁じられています(もちろん他にも様々な捉え方があります)。ですがそれが祝福となれば、現世からは存在を消して、主の元に向かうことが幸福になり得るのかもしれません。
タイトル、絵とどちらも併せて一つの作品として考えながら楽しませて頂きました。この世界ではどの様な人々が暮らしているのかなどなど、次々に世界観に興味を惹かれる作品でした。

コメント
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