今日は「黎明」を読みながら過ごしました。
特に第8章の「誕生と死」。
台風が来そうでしたので備えていましたが、山陰沖に逸れていきました。
今日のバラ達
お昼には青空が。
でも、台風は夕方の6時あたりに最も接近していたようです。
夕方5時過ぎ、歩きに行くと風が少し強く吹いていました。
今年の紅葉は昨年よりも遅いようです。
雲が面白い形でした。
ポコポコポコッと
今日は「黎明」を読みながら過ごしました。
特に第8章の「誕生と死」。
台風が来そうでしたので備えていましたが、山陰沖に逸れていきました。
今日のバラ達
お昼には青空が。
でも、台風は夕方の6時あたりに最も接近していたようです。
夕方5時過ぎ、歩きに行くと風が少し強く吹いていました。
今年の紅葉は昨年よりも遅いようです。
雲が面白い形でした。
ポコポコポコッと
続報が届きました。
葦原さんは「少し微笑むような驚くほど綺麗で穏やかな表情で、
まさに普通に眠っていて、今にも起きあがって話しかけてきそうな感じ」
だったそうです。
あれほど大きな事故でしたのに、笑っていらしているようなお顔とは
やはりこれがみ旨だったのですね。
未だに信じられませんが。。。
今日も折に触れて、葦原さんのことを思い出していました。
教えて頂いたことを本当に真剣に生きないといけないと思いました。
今まで涙が出ませんでしたが、お知らせ下さった方に返信を打ちながら
涙があふれてきました。
私があちらに行った時にはきっと迎えに来て下さるはず。
勝手にそう思っています。
私はあの日のあの時間、司教様のごミサに出ていました。
あの時、事故に遭われていたなんて。
私は何の知らせも感じませんでした。
ただ急に暑くなり蒸し暑くなり体調が悪いな等と思っていました。
今は何だか力が抜けたような感じですが、教えて頂いたことをしっかり
生きなくては。
一言で言うならば「日常生活を丁寧に愛を込めて生きる」。
このことに尽きると思っています。
私にはわかりませんが、前世からのご縁で「黎明」に出逢ったようです。
約束通りに「黎明」を書いて下さり、講演会という恐らく予定外のことも
なさって下さったことに心から感謝したいと思っています。
そのご恩に報いるには、やはり「解脱」しかないと思っています。
新しい本を書かれているとお聞きしましたが、この世に出る予定は
なかったのですね。
今日は私の霊名の保護の聖人であるアッシジの聖フランチェスコの記念日です。
私のクリスチャンネームは「マリア・フランチェスカ」です。
また、臨終洗礼を受けて亡くなった父も「ペテロ・フランチェスコ」であり、その後洗礼を受けた母は「アンナ・クララ」です。英語では「クレア」です。
今日をどのようにお祝いしようかと思いましたが、「ブラザーザン・シスタームーン」を母と観て過ごすことにしました。
日本では良寛様とよく似ているというとこで話題によく出来てきますが、世界的にとても有名な聖人です。
一番有名なのは「平和の祈り」でしょうか。
神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。
St. Francis - Brother Sun, Sister Moon - Song
いと高い、全能の、善い主よ、
賛美と栄光と誉れと、
すべての祝福は
あなたのものです。
いと高いお方よ、
このすべては、あなただけのものです。
だれも、あなたの御名を
呼ぶにふさわしくありません。
私の主よ、あなたは称えられますように
すべての、あなたの造られたものと共に
太陽は昼であり、
あなたは太陽で
私たちを照らされます。
太陽は美しく、
偉大な光彩を放って輝き、
いと高いお方よ、
あなたの似姿を宿しています。
私の主よ、あなたは称えられますように
姉妹である月と星のために
あなたは、月と星を
天に明るく、貴く、
美しく創られました。
私の主よ、あなたは称えられますように
兄弟である風のために。
また、空気と雲と晴天と
あらゆる天候のために
あなたは、これらによって、
御自分の造られたものを
扶け養われます。
私の主よ、あなたは称えられますように
姉妹である水のために
水は、有益で謙遜、
貴く、純潔です。
私の主よ、あなたは称えられますように
兄弟である火のために。
あなたは、火で
夜を照らされます。
火は美しく、快活で、
たくましく、力があります。
私の主よ、あなたは称えられますように
私たちの姉妹である
母なる大地のために。
大地は、私たちを養い、治め、
さまざまの実と
色とりどりの草花を生み出します。
私の主よ、あなたは称えられますように
あなたへの愛のゆえに赦し
病いと苦難を
堪え忍ぶ人々のために。
平和な心で堪え忍ぶ人々は
幸いです。
その人たちは、
いと高いお方よ、あなたから
栄冠を受けるからです。
私の主よ、あなたは称えられますように
私たちの姉妹である
肉体の死のために。
生きている者はだれも、
死から逃れることができません。
大罪のうちに死ぬ者は、
不幸です。
あなたの、いと聖なる御旨のうちにいる人々は、
幸いです。
第二の死が、その人々を
そこなうことは、ないからです。
私の主をほめ、称えなさい。
主に感謝し、
深くへりくだって、主に仕えなさい。
朝一に、葦原さんの地元のニュースを調べてみました。
単独の事故だったようです。
乗用車は大破し、胸を強く打たれた葦原さんが間もなく亡くなったことがわかりました。
「2日午前9時40分ごろ、(中略)走っていた乗用車が道路左側の斜面に衝突。ガードレールなどにも衝突し大破した。この事故で運転していた(中略)が胸などを強く打って間もなく死亡。中央道上り線は事故の影響で(中略)間が2時間半にわたって通行止めとなった。」
とニュースには書かれてありました。
大破した車の写真も掲載されていました。
一体、何が起こったのでしょうか。。。
まだご葬儀等、詳細については決まっていないようです。
葦原瑞穂さんが肉体を離れられたのは正確には昨日の朝9時38分頃だったことが別のルートからわかりました。
お車だったか、歩いていらしたのか、場所はどこだったのか・・・。
「黎明」を読んで以来、会いたくて会いたくて探して会いに行ったのが2012年(平成24年)12月15日のことでし
た。
長い間表舞台には出られませんでしたが、ここ何年か講演会でお目にかかれるようになり岡山にも2度いらして下
さいました。
「黎明」の本はサインのみならず、次の時には梵字やメッセージを書いて下さり、まるで御朱印帳みたいになって
いくのも楽しみで、またお会い出来るものと思っていました。
次は何て書いて下さるかしらとよく思ったものです。
私のお気に入りのエル・グレコの「聖ペテロの涙」の絵葉書(トレドで奇跡的にもらいました)の裏に初めてお会い
した時に書いて下さったお言葉は(しかも、お願いして本名で)、
「神の恩寵が貴方の普遍意識の展開を早めますように」でした。
一緒に撮って頂いたお写真もこの文字も段々と薄くなってきていました。
最後のお言葉は「解放」でした。
2015年(平成27年)3月8日、岡山においてでした。
昨日のその時間、私は新司教様の初の公式訪問の為久し振りに日曜日のごミサに与っていました。
昨日はまた、「守護の天使」のお祝い日でもありました。
今は肉体を脱がれて自由を満喫されているでしょうか?
今朝の「奇跡講座」のレッスン201のテーマは図らずも「私は肉体ではない。私は自由である。私は今も神が創造
したままの私なのだから」でした。
たった今、9時06分に東京から「訃報」のメールが届きました。
一体どなたの?と思いつつ読むと、何と「黎明」の著者・葦原瑞穂さん!
なぜ?
信じられません。
これが葦原さんが書いて来られた今生のシナリオだったことだけは確かでしょうけれども。
昨日の出来事だったようです。
原因は交通事故死。
それ以外はまだわかりません。
すぐに返信しましたが、きっとお返事は遅れるのではないかと思います。
お役目は充分果たされたと思いますが、私個人の気持ちはまた岡山に来て下さると思って
いましたし、講演会にも参加出来るものと思っていました。
真の命である神様のもとに帰られたのですから、もちろんお悔みは言いません。
今はもっと身近に感じています。
そばに来て下さっているのかもしれません。
「黎明」の存在を知って以来、会いたくて会いたくて、探して会いに行きました。
そういう人が多くなったのでしょう。
決して表舞台には出られなかったのに、ここ何年間かは講演活動をなさり、本来なら
自分で見つけないといけない答えを「宇宙にも例外はありますから」と何でも
答えて下さっていました。
私の「黎明」の本は葦原さんの文字で、まるで御朱印帳のようになっていました。
最初は名前を書いて下さり、次からはメッセージや梵字などを書いて下さいました。
本の表裏表紙に書かれたこのメッセージは今後も増えて行くと思っていたのに。
こんな突然の今生でのお別れになってしまいました。
葦原さんがいらした場所へ行けるように励まなければ!
今日はカトリック教会歴では、「守護の天使」のお祝い日。
と同時に、9月19日(月)に広島の幟町にある「世界平和記念聖堂」において司教様に叙階されたばかりのアレキシオ白浜満司教様の初めての地方公式訪問日でもありました。
滅多にないことですし、母を伴って出かけてきました。
聖堂に入られる前の新司教様
ごミサが始まりました。
今日の福音書の朗読箇所はルカ17章5~10
「わたしどもの信仰を増して下さい」と願う弟子に言われたキリストの言葉は「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう」と言うものでした。
司教様のお説教はとてもわかりやすかったです。
からし種はとっても小さなものです。
この「からし種ほどの信仰」のヒントはその前の第2朗読にあるとおっしゃいました。
使徒パウロのテモテへの手紙 二テモテ1章6~8.13~14です。
私達のよいものはすでに私達の中にすでにあるのですね。
今朝の「奇跡講座」も同じテーマでした。
「私達がすでに持っているものを求めるのだから、うまくいかないはずがない。」
「もう静まる以外にない」と思って久しいですが、今日の福音の第1朗読のハバククの予言 ハバクク1章2~3、2章2~4 の中にも「たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。」
堅信式
ごミサの頂点である「聖変化」
ご聖体拝領。
閉祭の時の祝福
ごミサ後、皆で写真撮影。
その後、手作りサンドイッチやお菓子で茶話会。
小さい教会ですと、距離が近いです。
一緒にツーショットも撮って頂きました。
気さくな方のようで、若い神父様の肩もみをされていました。
今日は暑かったです。
久し振りに30.6℃。
教会内もエアコンが入っていました。
日曜日にごミサに行くのは本当に久し振りでした。
懐かしい人達にたくさん出会い、話に花が咲きました。
今日は新月であり、カレンダーも残すところあと3枚になりました。
10月はカトリック教会歴ではロザリオの月。
また1日の今日は"リジューの幼きイエズスの聖テレジア"の記念日です。
24歳の若さで亡くなるのですが、遺言の「天からバラの雨を降らせましょう」は今でも途絶えることなく続いているようです。
このご像はかれこれ頂いて25年にはなるかも。
カルメル会の修道女でしたから、本当は修道服の色は茶色です。
彼女の道は大きなことは出来ないから「小さき道(日常の些細なことに愛を込めて行なう)」を歩んだということ、幼子のように神に全託して「空の手でみ前に出るでしょう」と言う言葉に集約されている気がします。
リジューの聖テレジアについて
余談ですが、彼女は生まれ変わって、ご聖体だけで生きた聖テレーゼ・ノイマン(毎週金曜日の受難も有名です)になったと聞いたことがありますが、もちろん、今のカトリックでは輪廻転生は認められていません。
聖テレーゼ・ノイマンについて
http://sp-phenomena.in.coocan.jp/part3/p3chapter1/p3c1-08.htm
このテレーゼ・ノイマンにパラマハンサ・ヨガナンダが会いに行かれているのも興味深いです。
お2人は意気投合なさったようです。
久し振りに朝、ウオーキングへ行きました。
どこからともなくいい香りが・・・見渡すと金木犀や銀木犀が咲いています。
我が家の今朝のバラとお花達
今日は真面目の夕方もウオーキングに行きました。
朝の"ラ・マリエ"が開き切りました。
毎回公園を歩く1周目に教会に寄って祈るのですが、明日は新しい司教様の公式訪問があるということで、ふと前から気になっていたご像を教会に寄付することを思い出しました。
ちょうど神父様やお世話係の方がいらしたので再び伝えたところ、喜ばれたので持って行くことにしました。
やはり、教会に置いて頂くのが一番しっくりくるようです。
教会から離れていましたが、妙なことにアガスティアの葉を開いて以来、カルマ解消の祈りのこともあって、少し教会返りをしています。
結局は目指しているところ同じで、登山道が違うだけです。