乃木神社人から神へ祀られた乃木大将の人となりかな
(昨今の政治家の中に後世に語り継がれるような人間は皆無だろう)
日露戦争で大国ロシアを破った手腕が称えられる中でも、戦死した仲間を思う気持ちや、捕虜となったロシア兵士を一人の人間として扱う人間性が、日本のみならず海外でも聖将として高く評価されている乃木希典大将。
その乃木大将が、1912(大正元)年9月13日に執り行われた明治天皇の大喪の日、夫人とともに自刃し、その生涯を自ら閉じました。
明治天皇を敬い明治天皇からの信頼も厚かった乃木大将の死に対して、海外からも多くの追悼が寄せられました。
乃木将軍の自刃に関しては、『こゝろ』著・夏目漱石『興津弥五右衛門の遺書』著・森鴎外などでも題材として扱われており、自宅のあった東京・赤坂には乃木大将を祀った乃木神社が建てられております。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私が子供の頃はよく乃木大将の話を聞かされたものです。
祖父は宮城県白石市から北海道に渡ってきてから、農業をしておりましたが・・?
宮城では何を生業にしていたかは分かりませんが、乃木大将が活躍したころは祖父は血気盛んな年ごろだったのでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
乃木大将の人となり:乃木大将は日露戦争後は、全国を行脚し、遺族と傷病兵一人一人を見舞ったという。
皇室からの御下賜品などは、戦争によって負傷や障害を持った人を収容した「廃兵院」に届けていたようだ。
義理堅く、人情厚く、誰からも慕われれる人物であった。
最期まで「軍人」を貫き通した乃木希典。
果たして、彼が現代に生きていたならば、なんというだろうか。そう、思わずにはいられない。
こんな政治家が日本にいればと思う昨今の日本の政治・・国民が政治家を選んでいることを忘れないようにしたいものです。
乃木希典は幼少時に左目を失明していたそうです。