もこにゃんとばあば

もこにゃん もうすぐ八才(2015年生れ)
登場数は少ないですがヨロシク!にゃん

米百俵デー

2021-06-15 05:20:14 | 俳句

学べども足りず紫陽花ひらきをり

        (人は生きている間は全て学びです)  

            

新潟県長岡市が1996年に制定。

戊辰戦争で敗れ財政が窮乏した長岡藩に、支藩三根山藩から百俵の米が贈られた。

藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだが、藩の大参事小林虎三郎は米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用(学校設備の費用とも)とすることを決定する。

藩士たちはこの通達に驚き反発して虎三郎のもとへと押しかけ抗議するが、それに対し虎三郎は、「百俵の米も、食えばなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」と諭し、自らの政策を押しきった。

この米百俵の売却金によって開校したのが「国漢学校」であり、洋学局と医学局が設置された。

この学校は士族によって建てられた学校であるが、一定の学力に達した庶民の入学も許可された。

そのお金によって「国漢学校」が開校したのが1,870年(明治3年)6月15日であった。

この物語は「米百俵の精神」という言葉になり、内閣総理大臣だった小泉純一郎が、小泉内閣発足直後の国会の所信表明演説で引用されて有名になり、2001年の流行語大賞にも選ばれた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本当に教育って大事だと思います。

学業しかり、日々の生活行動しかり・・昨日小6の孫が食べ終わったよと言ってきたので、茶碗洗ってくれると嬉しいなと言って茶碗を洗ってもらいました。

ちょっとしたことでもそれが身に着くと良いと思います。


五輪旗制定記念日

2021-06-14 05:07:57 | 短歌

オリンピック平和を願う祭典は何時の時代も変わりなくあり

       (バッハ会長、コーツ委員長世界平和をお忘れなく!!) 

                                                      

1914年6月14日、5色のオリンピック大会旗が制定された。

オリンピックのシンボルであるオリンピックマーク(五輪マーク)は、5つの輪が重なり合って

構成されています。

世界を構成する5つの大陸が重なり合っている大会、世界中で連帯し繋がっている大会であると

いうことを表しています。

このオリンピックマークは、5つの輪が真横に繋がっているのではなく、上に3つ、下に2つと

いう配置になっています。

これは、WORLD(世界)の頭文字であるWのかたちになるよう配置されたもの。

5つの輪が重なり合うかたちとなっているのは、オリンピックが「世界が団結した大会」である

ことを表しています。

そして、オリンピックマークには青・黄・黒・緑・赤の5色が使われています。

それぞれの大陸に色が割り当てられているという説もあるようですが、IOCによると「どの大陸が

どの色ということは無」とのことです。

どの大陸をどの色に、と決めると、差別的な意味があるかのように(アフリカ大陸を黒色

=黒人というように)捉えられる可能性があるため、どの大陸がどの色とは決めないでいるのでしょう。

オリンピックマークに使われている色がどうして青・黄・黒・緑・赤の5色なのかについては

  • 「5つの自然現象を意味している」
  • 「スポーツの5大鉄則を意味している」

とする説があります。

5つの自然現象とは「水・砂・土・木・火」のことであり、

青=水

黄=砂

黒=土

緑=木

赤=火

と表されます。

そして、スポーツの5大鉄則は「水分・体力・技術・情熱・栄養」であり、それぞれを色

に当てはめると

青=水分

黄=技術

黒=体力

緑=栄養

赤=情熱

となります。

これらの説に加え、オリンピックマークに使われている色に関しては、

「下地の色である白に青・黄・黒・緑・赤の計6色で、世界の国旗のほとんどを描くことができる」

ことから選ばれたという説もあります。

オリンピックマークの5つの輪が五大陸を表しているのですから、この説が一番しっくりきますね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今まさにこのコロナ禍において、時の政権はなし崩し的に五輪開催に向けて動いています。

クーベルタン男爵が設立したIOCも今やカネ・カネ・カネの巣窟になり果てています。

平和の祭典のオリンピックは「世界の5大陸の友愛と親交を象徴し、世界の頭文字であるWを

形取った」と言われ、

平和の祭典であるオンピックを開くことができた喜びを戦争で傷ついた人々と分ち合うため

だったともいわれています。

IOC・JOCともに世界平和を第一に考えているのでしょうか❓


小さな親切運動スタートの日

2021-06-13 04:15:34 | 短歌

窓越しに挨拶したる鈴蘭のその佇まい優し気に見ゆ

      (可憐!代表格のような鈴蘭も凛として優しさも感じます)

 

             

1963年6月13日、「小さな親切」運動本部が発足した。

その年の東京大学の卒業式の告辞の中で、茅誠司総長が「小さな親切を勇気をもってやってほしい」と言ったことがきっかけとなって、6月13日に茅氏を始めとする8名の提唱者が、運動を発足させた。

“できる親切はみんなでしよう それが社会の習慣となるように”、“人を信じ、人を愛し、人に尽くす”をスローガンに運動が進められている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

朝夕の挨拶を必ずしましょう。

はっきりした声で返事をしましょう。

他人からの親切を心から受け入れ「ありがとう」と言いましょう。

ひとからありがとうと言われたら「どういたしまして」と言いましょう。

紙くずなどをやたらに捨てないようにしましょう。

電車やバスの中でお年寄りや赤ちゃんを抱いたおかあさんには席を譲りましょう。

人が困っているのを見つけたら手伝ってあげましょう。

他人の迷惑になることは止めましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

生きる基本のようなことなのに・・、

年を取ると朝の挨拶は家族の中では嫁さんと孫にしかしなくなっています。

大きな声での返事はできなくなっています。

明るく元気に生きるとは、迷惑にならないようにすることですかね。


アンネの日記の日

2021-06-12 04:24:57 | 俳句

日記にも絵文字のふえてさくらんぼ

         (たくさんありますし、もっと増えたらとも・・・)

                

1942年6月12日、ユダヤ人の少女アンネ・フランクによって「アンネの日記」が書き始められた。

アンネの家族は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害を逃れて、アムステルダムの隠れ家に身を隠した。

日記は隠れ家に入る少し前の、この日の13歳の誕生日に父から贈られたものだった。

1944年8月1日、アンネらは隠れ家から連れ出されて、ポーランドのアウシュビッツに送られたため、日記はこの日で終わっている。

そして、1945年3月にドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で病死した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

読んだことはありませんが、13歳の多感な少女が日頃の思いなど書き綴っていたのだと思います。

私は日記を書いても長続きしなくていつの間にか止めてしまうのが常です。

チョットしたテーマを見つけてそれに沿ったつぶやきを書く程度のこのようなブログは性に合あっているのだと思います。

それにしても同じ国民であるユダヤ人を迫害するなんて、戦争はいろんな罪を引き起こしますね。

アメリカ人がインディアンを、日本人が〇〇〇人を迫害することと同じ・・恐ろしい事です。

~~~~~~~~~~~~~~~

父は手帳に毎日の出来事を書いていました。

書くということが生きていた証しになりましたね。

母が日記をつけているのは見たことがありませんが家計簿の隅にでも書いているのかもしれません。

骨折で入院中の母はもう書くことは出来ないと思います。

療養型の病院へ転院することになると思いますがこの先どうなるのか心配でもあります。

高齢者が多すぎて希望のところへは転院できないようです。


傘の日

2021-06-11 03:45:54 | 俳句

梅雨空やせっかちに振る傘雫

     (傘雫の光景は最近見ていませんね・・)

             

日本洋傘振興協議会(JUPA)が1989年に制定。

この日が雑節の一つ「入梅」になることが多いことから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本の傘の歴史は六世紀頃からのようですが、ヨーロッパは17世紀頃からのようです。

日本が洋傘の生産量が和傘を上回ったのは昭和30年代でした。

最近は車に乗ることが多く滅多に傘をさすことは無くなりました。