満月のタイムスリップ見てみたし
(お月様は何を見ていたのでしょう、見てたものが再現されると面白いです)
(科学が解決してくれるかも知れませんね)
1985(昭和60)年9月25日、奈良県斑鳩町にある藤ノ木古墳から、石室等が発堀されたことにちなんで記念日に制定されております。
藤ノ木古墳は、その後の調査から直径:約48m、高さ:約9m、形状:円墳、時期:6世紀後半(古墳時代後期)だと考えられております。
また、1988(昭和63)年には、発掘調査史上初めてファイバースコープを使った石棺の内部調査が行われており、約1,400年ぶりに石棺の蓋が開かれました。
石棺は未盗掘で埋葬当時の姿がほぼそのまま残っていたことから、6世紀後半当時の埋葬儀礼を解明する貴重な史料となっております。
加えて、古墳全体からは金銅鞍金具金属製品土師器須恵器など多数発見されており、文化庁国の重要文化財及び国宝に指定されております。
被葬者:副葬品が金銅製の馬具や装身具類、刀剣類などであるからこの当時の支配階級の一人であったと考えられているが、円墳であることから大王クラスではないが、貴金属を用いたきらびやかな副葬品が多いことから強大な権力を持った人物であったと推測されている。
南側の人物は、左手首にガラス製ナツメ玉10個、両足に濃い青色のガラス玉各9個を装身具にしていた。
大学教授は、2人の被葬者が『日本書紀』が記す587年6月の暗殺時期と一致することなどから、聖徳太子の叔父で蘇我馬子に暗殺された穴穂部皇子と、宣化天皇の皇子ともされる宅部皇子の可能性が高いと論じている、一方、は副葬品や埋葬の様子から「元々穴穂部皇子の陵墓であった所に同母弟でこれもまた蘇我馬子が東漢駒に暗殺させた第32代崇峻天皇が合葬された」との説を主張した。
法隆寺長老等は、骨の残りが悪く骨盤が残っていない南側被葬者について、僅かに残った足首の骨と、かかとの骨に基づいて、1993年『第2次・第3次調査報告書』で被葬者について1人は男性、南側の1人も男性の確率が極めて高いと指摘した。
考古学者は、古墳の規模と合葬の関係で、男性2人同時埋葬は被葬者にとり誇るべきものではなく、よほどの緊急のことが起きたのではと、疑問を述べている。
考古学者で古墳時代の玉類の研究者は、2009年手首や両足の装身具から、人物埴輪の装飾と『古事記』と『日本書紀』の記述を手掛かりに、手玉や足玉は「これらは女性の装身具」だと「藤ノ木古墳男女合葬説」を唱えた。
考古学者は「形質人類学的に考えれば、9割以上の確率で南側被葬者は男」と反論している。
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古代のお墓というのは、副葬品がたくさんあって想いを馳せる事に繋がります。
僅か36年前に発見されたんですね。まだ眠っているものはあるかも知れないですね。
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日本に人が住み始めて36,000年、わずか1,500年前のタイムスリップですね。