もこにゃんとばあば

もこにゃん もうすぐ八才(2015年生れ)
登場数は少ないですがヨロシク!にゃん

藤ノ木古墳記念日

2021-09-25 04:26:25 | 俳句

満月のタイムスリップ見てみたし

(お月様は何を見ていたのでしょう、見てたものが再現されると面白いです)

(科学が解決してくれるかも知れませんね)

       藤ノ木古墳 に対する画像結果

1985(昭和60)年9月25日、奈良県斑鳩町にある藤ノ木古墳から、石室等が発堀されたことにちなんで記念日に制定されております。

藤ノ木古墳は、その後の調査から直径:約48m、高さ:約9m、形状:円墳、時期:6世紀後半(古墳時代後期)だと考えられております。

また、1988(昭和63)年には、発掘調査史上初めてファイバースコープを使った石棺の内部調査が行われており、約1,400年ぶりに石棺の蓋が開かれました。

石棺は未盗掘で埋葬当時の姿がほぼそのまま残っていたことから、6世紀後半当時の埋葬儀礼を解明する貴重な史料となっております。

加えて、古墳全体からは金銅鞍金具金属製品土師器須恵器など多数発見されており、文化庁国の重要文化財及び国宝に指定されております。

被葬者:副葬品が金銅製の馬具や装身具類、刀剣類などであるからこの当時の支配階級の一人であったと考えられているが、円墳であることから大王クラスではないが、貴金属を用いたきらびやかな副葬品が多いことから強大な権力を持った人物であったと推測されている。

南側の人物は、左手首にガラス製ナツメ玉10個、両足に濃い青色のガラス玉各9個を装身具にしていた

大学教授は、2人の被葬者が『日本書紀』が記す587年6月の暗殺時期と一致することなどから、聖徳太子の叔父で蘇我馬子に暗殺された穴穂部皇子と、宣化天皇の皇子ともされる宅部皇子の可能性が高いと論じている、一方、は副葬品や埋葬の様子から「元々穴穂部皇子の陵墓であった所に同母弟でこれもまた蘇我馬子が東漢駒に暗殺させた第32代崇峻天皇が合葬された」との説を主張した。

法隆寺長老等は、骨の残りが悪く骨盤が残っていない南側被葬者について、僅かに残った足首の骨と、かかとの骨に基づいて、1993年『第2次・第3次調査報告書』で被葬者について1人は男性、南側の1人も男性の確率が極めて高いと指摘した。

考古学者は、古墳の規模と合葬の関係で、男性2人同時埋葬は被葬者にとり誇るべきものではなく、よほどの緊急のことが起きたのではと、疑問を述べている。

考古学者で古墳時代の玉類の研究者は、2009年手首や両足の装身具から、人物埴輪の装飾と『古事記』と『日本書紀』の記述を手掛かりに、手玉や足玉は「これらは女性の装身具」だと「藤ノ木古墳男女合葬説」を唱えた。

考古学者は「形質人類学的に考えれば、9割以上の確率で南側被葬者は男」と反論している

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古代のお墓というのは、副葬品がたくさんあって想いを馳せる事に繋がります。

僅か36年前に発見されたんですね。まだ眠っているものはあるかも知れないですね。

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日本に人が住み始めて36,000年、わずか1,500年前のタイムスリップですね。


畳の日

2021-09-24 03:58:00 | 短歌

日が暮れてすぐ差し昇る名月を畳に座り眺める夕べ

(昔の日本家屋は風情がありました、懐かしく思い出すのもまたいいものですね)

                畳  に対する画像結果

9月24日が掃除の日として記念日制定されていることと、冬の衣替えを行うまえに、畳を上げて大掃除を推奨することを合わせて、全国畳産業振興会が記念日に制定。

また、畳に使用されるい草は緑色であることから、以前「緑の日」だった4月29日も同振興会が畳の日として同名の記念日を制定しております。

い草を編み込んで作られる日本の伝統的な畳は、世界的に見ても類がない日本固有の文化となっており、湿度調整、空気浄化、消臭、殺菌効果もあることから、残暑の時季に限らず夏場の健康維持としてもその効能が注目を集めております。
 
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我が家も18年前に畳の部屋を作りましたが、当時の新しい畳でしたので今でも色が変わらず美しいままです。
 
両親のベッドが畳でしたね~。

お彼岸

2021-09-23 04:11:05 | 短歌

墓じまいする人多き時代なりお彼岸に手を先祖を偲ぶ

(時代の流れには逆らえないのかも知れませんがご先祖様を偲び、感謝・詫び・許し・愛を伝えましょう)

 

           お彼岸 に対する画像結果

春分の日・秋分の日を中日(ちゅうにち)として、前後3日間、それぞれ合計7日間がお彼岸です。

言うまでもなく春分・秋分の日は国民の祝日。昼と夜の長さがほぼ同じ日です。

太陽が真東から上り、真西に沈みますが、春分の日は夜が長め、秋分の日は昼が長めです。

日付は年によって変動します、太陽黄経が0度の瞬間が属する日を春分、180度の瞬間が属する日を秋分と定めていて、天文学的に決まります。

日本では、春分の日は3月20~21日頃、秋分の日は9月22~24日頃となり、正確には官報によって発表されます。

2021年のお彼岸はいつからいつまでかというと

<春のお彼岸>彼岸入り:3月17日(水)中日(春分の日):3月20日(土)彼岸明け:3月23日(月)

<秋のお彼岸>彼岸入り:9月20日(月)中日(秋分の日):9月23日(木)彼岸明け:9月26日(日)

いきなりですが、お彼岸の最古の記録と思われるものは、日本後紀に記されている「延暦25(806)年、早良親王(※謀反の疑いで死去)のために、春分・秋分を中心とした7日間、お経を転読させた」という記述です。

つまり1200年前の平安時代にはすでに、春分・秋分の日が宗教的意識と結びついていたことがうかがえます。

この法要は恒例となり、朝廷の年中行事になりました。

ちなみに「彼岸」という呼び名はサンスクリット語の「パーラミター」を漢語に意訳したもので、仏教でいう悟りの世界のこと。私たちが普段生きている世界が「此岸(しがん)」です。

ところが春分・秋分の日にお墓参りをする習慣があるのは日本だけで、他の仏教国にはこういう習慣はないのです。

古来から日本には、太陽信仰や先祖崇拝という素朴な信仰がありました。

太陽が真東から上り真西に沈む日を、経験的に特別な日だと感じていたのでしょう。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、季節が急に移り変わる時期。

米作りで生きてきた日本人には、苗代作りや稲刈りの目安にもなる大事な節目だったわけです。

それらの日本独自の風習に、太陽が真西に沈むことから「はるか西方にある浄土に通じる」という仏教的な教えが加わり、ご先祖様を供養し、お墓参りをするという習慣がはぐくまれていきました。

暑さ寒さも和らぎ、日中も過ごしやすくなる季節です。

お墓参りをし、自分のこれからを思うことができれば、それはきっと有意義なものになるでしょう。

ただ、お盆と違って長いお休みが取れない人も多いので、無理のない範囲で、自宅でそっと手を合わせるだけでも、ご先祖様はきっと喜んでくれるはずです。

ちなみに、喪中のように身を慎んだり何かを避けたりする必要はまったくありません。

結婚式でも結納でもドンとこい、それがお彼岸です。

お彼岸に必要なものといえばお供え物!お供えといえば、おはぎ。ぼたもちとも言いますね。

基本的には同じもので、一説には、萩(はぎ)の花は秋に咲くから秋の彼岸は「お萩」、牡丹(ぼたん)は春に咲くから「牡丹餅(ぼたもち)」と呼び分けるとも。また、小豆の収穫時期の違いもあります。

秋は収穫したばかりの小豆が使えて、皮まで柔らかく食べられることから、皮も一緒に炊いた「つぶあん」。

春は、一冬越した小豆の皮が硬いため、皮を除いた「こしあん」を味わうのがツウ!古来からお餅は、特別な力を持つ食事としてハレの日に用意されてきました。

同じく小豆も、赤い色には邪を払う不思議な力があると考えられ、縁起の良い食べ物として好まれてきました。

おはぎはお正月のお餅と違って、臼や杵(きね)でペッタンペッタンつかなくても簡単に作れたのです。

もち米とうるち米を蒸して丸めれば、中のお餅のできあがり。

小豆は煮るだけで崩れて粉になり、砂糖を混ぜてこねればあんこにすることができたので、各家庭でも簡単に作れ、折に触れてお供え物に利用されてきたのです。

私たちの生活に根付いた「お彼岸」は宗教上の法要にとどまらず、日本の気候風土がはぐくんできた習俗であることが分かりますね。

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春分の日、秋分の日が彼岸の中日で・・そのくらいのことは知っていましたが、良く調べてみるとあら!と思う事ばかりですね。

因みに私は粒あんのおはぎが大好きです。

今日は近くにある、祖父のお墓参りに行ってきましょう。


「奴隷解放宣言」が公布

2021-09-22 04:32:35 | 俳句

何気なき言葉の重み霧晴るる

(言葉って何気なくいつも使っていますが、常に相手を思いやって使うのがいいと思います)

     奴隷解放宣言

1862(文久2)年9月22日、アメリカ第16代 エイブラハム・リンカーン大統領によって奴隷解放の予備宣言が公布されました。

人種差別が蔓延している最中でも、早くから奴隷制度に反対していたリンカーン氏に対しては、急進的な奴隷廃止を唱える者、奴隷制度廃止自体を反対する者や、主張断行のために武力衝突も辞さない者など多くの圧力が掛かるも、会って直談するのが悪感情を一掃する最良の方法だと説き、話し合いによる人道的な解決の道を模索し続けました。

「ニューヨーク・トリビューン」紙の編集者への直接反論の手紙。

リンカーンは大統領としての行動の主目的は連邦を守ることであるとし、次のようにのべていた(リンカーンはその「公務」に言及するときは一人称を用いた)。

この戦争における私の至上の目的は、連邦を救うことにあります。

奴隷制度を救うことにも、亡ぼすことにもありません。
 
もし奴隷は一人も自由にせずに連邦を救うことができるものならば、私はそうするでしょう。
 
そしてもしすべての奴隷を自由にすることによって連邦が救えるならば、私はそうするでしょう。
 
またもし一部の奴隷を自由にし、他はそのままにしておくことによって連邦が救えるものならば、そうもするでしょう。
 
私が奴隷制度や黒人種についてすることは、これが連邦を救うに役立つと信じているためなのです。
 
また私はあることを差し控えるのは、そのことが連邦を救うに役立つと信じないためなのです。
 
...以上は職務上の義務に対する私の考え方に基づき、私の目的を述べたのであります。
 
そして、しばしば表明してきた私の個人的な願い、すなわち万人はどこにあっても自由でありうるという願いを、少しも変えようとは思いません
 
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約160年前の奴隷解放運動が始まりましたが、いまだ人種差別は続いているようです。
 
日本もアイヌへの人種差別が一部の人たちによって行われています。
 
アイヌ民族はロシアと日本に分布しており、北海道縄文人と同化した人も多いらしいです。
 
現在の北海道人がそうかというと、アイヌの人たち以外の現在の北海道人は、明治に入植した人たちの子孫が主に現在の北海道人なのです。
 
まあ日本人というのはもともとの縄文人がいてそこに北方系・南方系・大陸系の人種がやってきて同化した民族なので、そもそも人種差別するのがおかしい!と私は思います。
 
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今年はオリンピックでした、たくさんの国からたくさんの人たちが来て、たくさんのパフォーマンスを見ました。
 
それぞれみんなカッコ良かったです。

中秋の名月

2021-09-21 04:17:22 | 短歌

オホーツクの海を照らすは名月の太く明るき光の道や

(中秋の名月は日没と入れ替わりのように上がってきますので、大きくて美しいです)

        

中秋(ちゅうしゅう)の名月はいつ?→2021年は、9月21日(火)です。

お供え物をしてお月見を楽しむ満月の日。

別名「十五夜」とも言いますね。

中秋の名月とは、旧暦8月15日の夕方に出る月のことで、現代では代替9月中旬~10月初旬です。

旧暦は月の動きに基づいているので、月の形を見れば日付が分かるようになっています。

新月の日が1日、満月の日が15日。

カレンダーなど売っていない時代には、月はどこでも見ることができる便利なこよみ代わりでした。

満月を表す「十五夜」という言葉はここから生まれています。

中秋の名月は夕方って決まっているの?というと、秋分のころ(9月23日前後)の満月は、だいたい18時ごろに上ってきます。ちょうど日没と入れ替わりですね。

中秋の名月は、1年のうち1日だけを指します。

十五夜は、中秋の名月を指す場合もありますが、単に満月の夜のこと(年に12〜13回ある)を指す場合もあり、二通りの意味を持っています。

中秋とは、「秋の真ん中の日」という意味です。

旧暦では、1~3月を春、4~6月を夏、7~9月を秋、10~12月を冬としていました。

8月15日は秋の3カ月間の中で、ちょうど真ん中の日にあたります。

この日に月を観賞する習慣は、平安時代に中国から伝わりました。

のちに庶民にも広がり、秋の収穫物を供えて実りに感謝する行事となっていきました。

東アジアでは今でも盛んで、中国、台湾、ベトナムでは「中秋節」といって春節とならぶ大きな行事。

月餅(げっぺい)などを贈り合います。

韓国でも「秋夕」といって、前後ふくめて3連休の祝日になっています。

発祥は違いますがアメリカにもあり、英語ではハーベスト・ムーン(収穫の月)と呼びます。

アメリカでの定義は「秋分の日に一番近い満月の日」、ほぼ中秋の名月と一致します。

これはネイティブアメリカンの文化からきていて、日没と入れ替わりに満月が上ってくるため、夜までトウモロコシなどの収穫作業ができるほど明るい…というところからの呼び名だとか。

秋の実りに感謝する気持ちがこもっている点は同じですね。

中秋の名月は満月とは限らない?

旧暦8月15日の夕方は、厳密な意味で満月とは限りません。実際には1日ほど遅れることがよくあります。

お月見といえば月見団子、山のように盛るイメージがありますね。

満月の形を模したといわれますが、昔は里芋が主流だったようです。

室町時代ごろの和歌や日記に、掘ったばかりの里芋を水炊きにして、高く盛ってお供えした…と書かれています。

「芋名月」の名前はここからきています。

そのため、里芋を茹でた「きぬかつぎ」をお供えする場合も。

また、名古屋エリアでは月見団子といえばしずく型で、これも里芋をかたどったといわれています。

お団子は置いておくと硬くなるので、一度お供えしたら、月を観賞しつつその日のうちにいただきましょう。

月見団子には、よくススキがセットになっています。ススキには魔除けの意味があるのだとか。

また、実りを象徴する稲穂に似ているので、神様の依り代(よりしろ)という意味もあります。

ススキも秋の七草のひとつですが、ススキと一緒に、他の秋の七草もお供えしてみてはいかがでしょうか。

ハギ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウ…、どれも9月ごろに花期を迎えます。

ちなみに、ススキの稲穂のような部分も花穂(かすい)といってれっきとした花。

オミナエシは切り花にすると少し臭う難点がありますが、大輪のキキョウはきれいでおすすめ。

ハギやナデシコなども風情があります。

以上出典は

2021年の中秋の名月(十五夜)は9月21日!お月見の風習やお供え物について解説|じゃらんニュース (jalan.net)

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昨夜の月も見事でした。

月の出が早くて、地球に近いのできれいなんだと思います。

今夜は庭の芒と萩、そしてお団子でお月見を楽しみましょう