今日は4月6日(月)今日の夕方、ようやく天理時報4月5日号が郵送で着いた。
同じ区内の教会では、土曜日の夕方についたとの事で、心配したのだが、無事に着いてよかった。
新型コロナで配達が遅くなったのだろう。
内容を見ると、先月の月次祭の様子が書かれており、真柱様のお言葉が書かれていた。
その中で、「こうして与わった状況の中で、教えられたことを実行していくのが私たちのつとめ。」を見た時に、教えられていない人もあるのでは?と思ったのである。
修養科に入れば、授業で教祖のみちすがらを学ぶ機会はある。それは授業があるから。。。
そうでなければ、どこで話を聞くことができるだろうか?
私は、専修科で教祖伝を学ぶ機会を得たが、私の子供たちには学ぶ機会はない。
また授業として、『稿本天理教教祖伝』を学んだとしても、良く分からなかったというのが正直なところだ。
あれから、40年近く年限が経つ。
身上や事情の解決を求めている中に、専修科で学んだ事か、または当時読んだ本なのかは定かではないが、神様のお言葉がふと思い浮かぶ。
十数年前は、天理教も教理についてこうしたネットで盛んに議論されていて、その渦中に私もいた。
うろ覚えな神様の言葉が、どこに書かれていたかと出典を探し求めた。
そうした中に、一つの本に出合った。
それは、『先人の遺した教話(3) 根のある花・山田伊八郎』である。
その中に、教祖が最後のご苦労に行かれて、戻られた時の様子が書かれているものを見つけた。
敷島の人々が教祖にお喜び頂きたいと、12下りのおつとめをしたのが最後のご苦労のきっかけであったが、教祖は「一の筆やな」と言われて喜ばれた事がずっと引っかかっていた。
しかし、この本を読んで理解できた。無言のお仕込みを頂かれた山田伊八郎先生は、一言一句漏らさないようにと、教祖のお言葉を書き留められていたわけである。
そして、この後の頁で、その時教祖は耳も聞こえない状態であった様子が伺われる。
今、コロナで自粛の時、家で本を読んで勉強するのも大切だと思う。
この本は、今現在、売られている本です。