あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

「今がこの世の始まりと」 の出展

2020年04月14日 11時11分40秒 | 気になる言葉

先の記事で、「今がこの世の始まりと」と書いて、出展が気になって記憶をたどった。

今がこの世のはじまりと いうていながらなんのことやら

と頭に浮かぶ。

この口調は、「おふでさき」かなぁとおふでさきを検索してみたら、あった!

いまゝでも今がこのよのはじまりと
ゆうてあれどもなんの事やら (7-35)

「今が」の前に「いままでも」があって、なかなか探すのに苦労した。

さて、

このお歌について、おふでさき注釈を書いてみる。

35、36 今までからも、今がこの世の初まりと、度々説いてはいるが、人間は、それが何の事やら分からずにいたけれども、このたび現れた親神の自由自在の働きを見て、その意味をよく悟れ。銘々の心の入れ替えによって、どんな自由も得られるというこの珍しい守護を今までだれも知らなかったであろう。

註 今がこのよのはじまりとは、親神様がこのだめの教えによって、一列人間の心身の更生に着手下さる事を仰せられたのである。

とある。

この天理教という教えが、この世にあらわされたのは、これまでの様々な宗教、医学、哲学などなどの教えを踏まえて、人々の心の入れ替えを示唆する教えだということなのであるが、それは時がたって、歴代の真柱様方が教えをまとめて、ようやくわかってきたことである。

この教祖の時代に、すでにこの世は始まっていて、現在われわれ人間は生活をしているのに、「今がこの世のはじまり」と言われること事態、人間には理解しずらい事と思う。だから、「ゆうてあれどもなんのことやら」と言われることも理解できると思う。

教祖は、このおふでさきを書かれるまでにも、「今がこの世の始り」と言っておられたことが、「今までも」の言葉から分かる。

そうした中に、

このたびのぢうよぢざいでとくしんせ
いまゝでこんな事ハしろまい (7-36)

月日よりたいないよりも入こんで
ぢうよぢざいをみなしてみせる (7-37)

こらほどのぢうよぢざいのしんぢつを
はなしするのハいまはじめやで (7-38)

と、

親神様の不思議な働きを目の当たりにさせて、理解はできなくても、得心をせよ。何とか得心をさせたい。とわれわれ人間に求められている。

 

「心の入れ替え」。これが、これから人間がしなければならないことである。

何度も書くが、こうした思いを親神様は思われて、段取りをされても、人々は聞き入れず、甘露台も完成することができず、模様替えとなった。

よく、この教えは「拝み信心ではない」と言われる人がある。

それは、「おがみきとうでいくでなし 伺い立てていくでなけれど」というおふでさきを引用して、言われる。まさしく、親神様が願う誠真実を受け取ってくだされば、どんな不思議もあらわして下さる。けれども、そこまでの誠真実が出せる人々はそうそうない。

そうした中に、誠真実を出せる人におさづけを渡し、教祖の代わりに不思議を見せて、「拝み信心を求める」人々を集められた。これがこれまでのお道の歩みだと思う。

この歩みがあって、今の姿がある。

時間がないので、またの機会に書こうと思う。

親神様、大難は小難にお守りくださいませ。

 

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様々な思い。

2020年04月14日 06時13分49秒 | 思った事

新型コロナで、7日に緊急事態宣言が出て、早くも一週間になろうとしている。

娘がつとめるデーパートも昨日はほとんど人がいなかったそうである。

 

先月の26日、本部の月次祭はとても良い天気だった。

それが終わって次の日から、雨が続いた。

うちの月次祭12日は、ほとんど雨は降らない。それが、終わりがけからパラついて、皆さんが帰られたら本格的な雨になった、そして昨日は一日中雨。

こうした天気にも親神様の思いがある気がする。

真の陽気ぐらしになったら、昼間は良い天気で、夜に雨が降ると聞いている。

 

丁度、12日は日曜日で、フランスの出張所でも月次祭だった。

弟から、ラインでこそっとライブ配信をすると聞いて、見させてもらった。(時差のお陰で、日本時間では午後5時半で、見ることが出来た。)

40人ほどが見ていた。見ていたというよりも、チャットをみれば、参拝をされていたのが良く分かる。

所長の挨拶。日本語とフランス語交互にしゃべりながらしている様子。すごいなぁと思った。

また、若い所員たちが、真摯に、元気で勤めてくれる姿。本当に頼もしかったし、安心をした。

 

こんな事が簡単に出来る世の中に、親神様は導いて下さった。本当にありがたいと思う。

私は祭文で、つねに「虫鳥畜類と八千八度の生まれ変わりをさせて、知恵文字のお仕込みにより結構なる暮らしをお与え下されて」とお礼を申し上げている。

教祖が元の理をお教え下さるのは、現在のようにまとまった話をされたのではない。

「こうきをつくれ」と言われた言葉から、それまでに聞いた話をまとめたものが作られて、それが元となって、今日の元に理の話がある。

 

この中で、「知恵文字を仕込み」がとてもありがたい。

それによって、今の文明があり、こうした技術のお陰で、世界中の人々の暮らし、また考えも知ることが出来るのだから。

そうした様々な考え、思いをどうしたら、世界中の人々が望む、幸せにとなるのだろうか。

それを真剣に思案するのが、これからだと思う。

「元の理」では泥海からすべてが始まっている。天も地も分かれていない、混とんとした中から、この人間の姿が年限をかけて作られて、今日である。

旬刻限の到来によって、教祖が月日のやしろになって、この教えが始まったが、この時に、「今がこの世の始まり」という言葉を使われていたように記憶をしている。(出展が分かる方があれば教えて下さい。)

それから、100年余りたって、この日本は戦争を終えて、本当に自由に考えて行動が出来る世の中となった。

しかし、自由だからこそ、人々の考え方は混とんとして、親が子供に伝えるにしても、「あなたの好きなように」という言葉から、自分中心の考えの人々も多く表れて、それから今日、様々な考えで日本は混とんとしている。

それをまとめる政治が、苦労しているように思える。

人を批判し攻撃するのではなく、人の意見を尊重して、自分で切り替えていく。

そうした考えが出来れば良いのになぁと思う。

親神様、どうぞ大難は小難にとお守りください。

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